ロックバンドOasis リアムが“歌えない時代”を乗り越え完全復活。東京ドーム公演を前に振り返る「伝説の初来日」「バンド解散期」【「ROLL WITH IT Oasis IN PHOTOGRAPHS」 監修者&翻訳者インタビュー】
PR 公開日:2025/10/3
伝説の初来日、歌えない暗黒時代、そして解散へ
――今まで見たオアシスのライブで、特に印象に残っているものはありますか?
粉川:私は94年の初来日、渋谷クワトロでのライブですね。階段の入場列で並んでいたところにリアムがやってきたんですよ。サインをもらえるかもしれないと思って、みんながざわめき立っていたんですけど、リアムが怒髪天を衝く勢いで怒っていて。「ファッキン、ファッキン」って言いながらのしのし上がってきて、後ろではドラマーのトニー・マッキャロルが項垂れていていました。その空気に周りのファンも凍り付いて、さすがに声をかけられない状況だったのをよく覚えています。
――それは凍り付きますね(笑)。ちなみに、その日のライブはどうだったんですか?
粉川:ライブはね、すごかったです。私はその後の日本ツアーはすべて行っているんですけど、おそらくリアムの声が1番出ていたのは初来日時だったと思います。
鈴木:伝説になっていますよね、クワトロのライブは。
粉川:リアムは90年代の後半から“Live Forever”の高音が出なくなっているんですよ。“Supersonic”のキーも変えて歌っています。でも、初来日のときはキーもピッチも音源のままで歌えていて、音もデカくて、凄まじいライブでした。天井が抜けそうなくらいの音圧で、どう考えても800人キャパのバンドじゃないと思いましたね。
2010年代にノエルにインタビューする機会があって、「あなたにとってオアシスのベストライブは?」と質問をしたら、「94年のツアーを超えるものはない」と言っていて。あの頃の日に日に観客が増えていく状況や、人々の興奮しきった様子、隣に目をやれば無敵の弟が歌っていて、自分も気分よくバンドをしているというのが、最初で最後だったと話していました。
鈴木:私が覚えているのは、これも伝説の「2002年福岡キャンセル事件」ですね。その頃、私はロッキング・オンの姉妹誌である『BUZZ』という雑誌を作っていました。校了直前に福岡公演があって、観に行っていた友人から夜8時くらいにいきなり電話がかかってきたんです。「あかねさん、大変だよ。リアムが出ていっちゃった」って。その友人がそのときのノエルのトークをすべて生中継してくれて、それを原稿にしました。今、手元にあるので、ちょっと読みますね。
「ノエル:えーと、みんな、英語わかるかわかんないんだけど、とりあえず2分で戻るから、ちょっと待ってて」(と弟を追いかけて舞台袖に消える。拍手。しばらくすると中央のマイクが片づけられ、アコギ・セットの準備が整えられる。悲鳴。どよめき。えーマジ。またかよ。5分後、アコギを手に戻ってくるノエル)
「ここは just you and I、君たちとおれだけになりました。では聴いてください」(と“ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト”を演奏。場内不穏。続いて“トーク・トゥナイト”)
「こんなことになって本当に申し訳ありませんでした。だからあいつは自己中のマスカキ野郎だっていうんだよ。ていうかシンガーは全員マスカキ野郎だけど」。(客席正面の西洋人がひとりキレる)
「いいよ、あんた別に帰ってくれて。残りのみんな、帰らずにいてくれてありがとう。何かリクエストある?」。(ホワットエヴァー!!etc.)
「じゃあ、一番前のジェントルマンのリクエストに答えましょう」(と“ビター・スウィート・シンフォニー”を…)
って感じで一部始終を書きました。
粉川:これは歴史的証言ですよね。当時はスマホで撮っている人もいないから。私も、あかねさんが書いた原稿で、福岡キャンセルの全貌を知りましたから。
長くオアシスファンをやっていると、90年代末から2000年代にかけての不調期も経験していますよね。リアムの声がなかなか出なくなっていって。彼は声が出なくなると不貞腐れて、そうするとノエルがキレるんです。そうやって空気が悪くなるライブっていうのが何度もあって。2009年のフジロックでもリアムは不調で、ノエルがやけくそのようにギターを弾いていました。今思えば、あれはもう解散の予兆だったのかもしれません。
フジロックの前に東京でオアシスのプレスデイが設けられていたんですが、前日になってリアムが取材を全てキャンセルして、ノエルが弟のぶんまで引き受けることになったんです。取材場所に現れたノエルは静かに怒りながらも、プロフェッショナルとしてしっかり話をしてくれました。ただ、その文字起こしを読んでみると、ノエルの話はオアシスの総括で、近いうちにバンドが終わることをわかって話しているような内容でした。実際、その1ヶ月後にはノエルの脱退が発表されたんです。
鈴木:それまでにも解散説は何度も出ていたので、最初は「またか」って感じでしたよね。
粉川:当時、私はロッキング・オンの編集長をしていましたが、「オアシス解散」と打った号は作れませんでした。信じたくなかったので。すごく未練っぽく、「本当に終わりなのか?」みたいなコピーを書いた記憶があります。実際、ノエルの脱退なのか、バンドの解散なのか、解釈がはっきりしない時期が数ヶ月はあったと思います。
その翌年にはリアムにインタビューをしたんですけど、そこでの話は完全にお兄ちゃんへの恨み節でした。「あいつが俺のバンドをむちゃくちゃにしたんだ。俺は今だってオアシスをやっていられたらよかったのに。あいつのせいで、俺はビーディ・アイをやる」みたいな話をしていて、オアシスは終わったんだなと思いました。彼はすごく混乱していて、「これからは俺とノエルのそれぞれのアルバムが出ると思ったら、ロックシーンにとってはいいことだ」と自分を納得させるようなことを言っていましたね。