金原ひとみ『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』女子大学生を性的搾取した50代男性編集者が告発された。闘いの結末にあるものは――【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/9/21

YABUNONAKA-ヤブノナカ-
YABUNONAKA-ヤブノナカ-(金原ひとみ/文藝春秋)

 読むのには体力がいる。もちろん悪い意味ではない。ギリギリ耐えられる負荷のかかった筋トレを終えた時、感じるのは疲労感だけじゃないはずだ。『YABUNONAKA-ヤブノナカ-』(金原ひとみ/文藝春秋)は、そんな感覚を与えてくれる。

自分にとっての下等生物を抹殺できるボタンがあったら、きっと自分は迷いなく押すだろう。

 登場人物の一人、長岡友梨奈は、「そうすれば世界の秩序を保てる」と信じている40代の小説家だ。

 下等生物とは、偉そうな人、暴力をふるう人、弱者を搾取する人、人を貶めたり欺いたりする人、デリカシーのない人のこと。彼女は持ち前の白黒はっきりした性格と、夫にレイプされ続けたという傷から、激しい“怒り”を胸中に抱えていた。

advertisement

 ある時、読者の一人である橋山美津から「許せないこと」を打ち明けられる。美津は友梨奈の知人でもある編集者の木戸と大学生の時に付き合っており、「木戸に性的搾取をされた」のだという。事情を聴いた友梨奈は、彼女の告発を手助けするのだが……。

 本作は出版業界を舞台に「変わりゆく時代に翻弄される人々」を描いた物語だと感じた。

 ポリコレが厳しくなった昨今、「女優」「女医」は差別用語だし、初対面の人に「お子さんはいないんですか?」と聞くのもマナー違反になった(らしい……)。

 数年前の“普通”が今では許されないことになり、その許されないことも刻々と変化している。そんな現代の「生きづらい」状況を、本作は克明に描き出している。

 構成としては、章ごとに視点が異なり、8人の登場人物たちの主観で物語が進んでいく。だが読んでいると、登場人物たちは同じ出来事を語っているはずなのに、全く噛み合っていないことが浮き彫りになっていく。人によってこうまで現実の捉え方が異なるのかと、恐怖を感じるほどだ。

 また明記しておきたいのは、本作が「女性蔑視する男サイテー!」と訴えたいだけの物語ではないということ。

 50代の木戸は、女子大学生を性的搾取したと告発された男性だが、それに関して「告発されたことよりも、自分の何がそんなに彼女を傷つけたのか、全く分からなかったこと」にショックを受けたと話す。

自由に発言すれば必ず誰かの安全基準に引っかかり、気をつけて発言していても時に誰かを傷つけ怒らせた。(中略)ヘマをしないだけの人生。それでも時々ヘマをして責められる人生。なんの喜びもない人生。

 そう語る彼は加害者なのか、被害者なのか。

 作中には「男を断罪したい」女性がたくさん出てきて激しく執念を燃やす一方、読めば読むほど、断罪される人間など、どこにもいないような気持ちにさせられる。

 全ては時代のせいか。いや、そんな短絡的な問題ではない。過去、男性に虐げられた女性は確かにいる。……だがそれは本当に、全ての原因が男性側にあるのだろうか。

 考えさせられる。白黒つけてもらえれば、楽なのに。でもそうではないからこそ、読むのに体力がいる。

 本作は世界の真実を教えてくれるわけではなく、自分だけの真実を追い求めるための小説なのかもしれない。たとえ読者の見つけた真実が、時代の流れとともに、許されなくなったとしても。

文=雨野裾

あわせて読みたい