死後の世界とこの世をつなぐ不可思議な日記。亡き母が綴る日記が解きほぐす後悔と過ち

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/10/1

みちゆくひと
みちゆくひと(彩瀬まる/講談社)

 私は本を読んでいると、ときどき目の前で強い光が弾けたような感覚に包まれることがある。主人公が自身の辛い気持ちを解きほぐす糸口を見つける。そんな瞬間に出くわすと、私自身のなかに沈殿した何かも一緒に解き放たれ、これからの人生を強く、明るく生きていけるような気持ちになるのだ。この気持ちを久しぶりに感じることができたのが『みちゆくひと』(彩瀬まる/講談社)だ。

 不動産会社で働く原田燈子。原田家では、20年以上前、まだ3歳だった弟が亡くなって以来、父も母もふさぎ込んでいた。もともと甘え上手な弟としっかりものの姉という家族だったが、弟の他界以降、両親とも自分を見てくれていないという思いを燈子は抱いていた。そんな状態のまま父を2年前に亡くし、ついに母も他界する。母の死後、実家を整理していたら母の日記を発見。その日記には、母が死んだあとの日々のことも綴られていた。

 死後の世界は本当にあるのだろうか? あるとしたらどのような場所なのか? そんな疑問を誰しも一度は持ったことがあると思う。本作はそんな死後の世界にいる母・晶枝、父・啓和の視点、そして燈子の視点で綴られていく。登場人物は燈子と両親の三人に加え、燈子の恋人・泰良などわずかな人々のみ。その分、一人ひとりの心情が丁寧に描写されている。

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 特に印象に残っているのが、お互いが同じところを見ていても、気付くもの・感じるものがまったく違うという描写だ。晶枝は夫について、同じところにいても自分の目には入ってこない周囲のことによく気付くと感じる。そしてそれを楽しく、頼もしく思う。啓和は自分の妻のことを「馬鹿馬鹿しく潔癖な道を行く者」、自分のことを「自分の痛みにも他人の痛みにも感応しない者」と捉える。そしてそれを不思議だな、面白いなと考える。一方の燈子は恋人の「ガラスって海みたいだろ?」という言葉にぴんとこず、「他者の人生の体感はこんなにも遠いのだ」と思う。そして分かり合えないことを不幸に感じてしまう時があるとこぼす。

 例えば同じ夕日を見ても、感動する人もいれば恐怖を感じる人もいる。文字にしてみると至極当たり前のことだが、私たちはそれをつい忘れてしまいがちだ。特に家族や恋人など近い関係であればあるほど、相手を自分と同一視しがちな上、違うことを考えている相手を受け入れがたく思ってしまう。

 現に燈子は、自分と恋人の考え方の違いを寂しく感じる。しかし、長年連れ添ってきた晶枝と啓和は、それぞれの違いを肯定的に捉えるのだ。そんな他者との違い、そしてその受け入れ方の違いが、三人の視点で描かれる本作だからこそより伝わってくる。

『やがて海へと届く』などこれまでの作品でも死や死後の世界について描いてきた著者・彩瀬まる。彼女らしい、不穏ながらも温かい死後の世界の表現も見どころだ。

 一般的にはこの世に後悔を抱えた魂は成仏できずこの世を漂うとされているが、息子を自分の不注意で死なせてしまったという大きすぎる後悔を抱えた晶枝の魂はどうなるのか? 仮に死後成仏できたとして、現世を生きる燈子の想いはどうなるのか?

 例えば明日死ぬとして、これまでの人生に後悔のない人は少ないはずだ。その後悔とどう向き合い、赦していくのか。そんな人生の大きなテーマに光を与えてくれる作品だ。

文=原智香