くどうれいん「サンエックス女児だったから、夢のようなお仕事だった」憧れのコンドウアキとタッグを組んだ絵本とは【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/10/3

9月1日に白泉社から刊行された『スウスウとチャッポン』。小説やエッセイで話題のくどうれいん氏と、リラックマの生みの親・コンドウアキ氏がタッグを組んで誕生した絵本だ。

『スウスウとチャッポン』
『スウスウとチャッポン』(くどうれいん:文、コンドウアキ:絵/白泉社)

物語は、犬の毛を吸ってばかりの掃除機のスウスウと、「おふろきらい」と言われてばかりのバスタブのチャッポンが家出をすることから始まる。

なぜ掃除機とバスタブだったのか? ふたり(?)はなぜ誕生したのか? 本記事ではくどうれいん氏にインタビューを実施。本作の誕生や、幼い頃からのファンだというコンドウアキ氏への想いなどを伺った。

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――家がいやになって飛び出した掃除機のスウスウとバスタブのチャッポン。ふたり(?)が遠くへ旅する本作は、どこから生まれたのでしょうか。

くどうれいん氏(以下、くどう):私の誕生日会で、飛び散るタイプのクラッカーを鳴らしてくれた人がいたんです。金と銀の紙吹雪が、床にわっと散らばったのが嬉しくて、その日はそのまま寝てしまったんですね。ところが翌朝、みんなが帰って掃除機をかけようとしたら、床にはりついて全然吸い込まない。まわりの埃や髪の毛はぐんぐん吸い込むのに、何度やっても、きれいなものだけつるんと素通りしてしまうのが悔しくて。

――ゴミばかりではなく、きれいなものも吸わせろと。

くどう:掃除機の人生が、そんなものであっていいはずがない。煌びやかなものを吸ったっていいじゃないか!という、シンプルな気持ちから動き出したお話です。でも、いくら負けん気が強くて行動力のある掃除機とて、ひとりでは心細かろう、違う個性をもった誰かが隣にいてくれたほうがきっと道中も楽しいだろうなと、生まれたのがチャッポンです。

――別の家電ではなく、バスタブだったのは、なぜだったんですか?

くどう:風呂場のタイルから、引っこ抜きたくて(笑)。海外だと猫足のついたバスタブなど、独立して置かれていることが多くて、日本ではたいてい埋め込まれているじゃないですか。だから独立した存在として認識しづらいけれど、私たちが思っているよりバスタブは独立させてもかわいいはずだし、もうちょっと自由に動けたらいいのになと。

――友達というより、相棒という雰囲気ですよね。ことさら、友情を確かめあったりはしないけど、ふたりでいることに意味があるんだという描かれ方が素敵でした。

くどう:そうですね。あんまり、絆を描きたいとは思っていませんでした。それよりも、同じ家に暮らしている仲間。家族ではないけど、小さなののちゃんという女の子の生活を支えあう同志という感じ。

――掃除とお風呂、どちらも日々の必需だからこそ面倒くさがられがちな習慣、というのもいいですよね。

くどう:やって後悔したことはないし、失敗もしない。なんなら気持ちよくなるものでもあるのに、邪険にされちゃう。その二つを選んだのは偶然ですが、自発的に家を出る、つまりボイコットするきっかけが必要だったので、自然とそうなったんだと思います。私も、ふたりには役割を放棄したまま、できるだけ遠くに行ってほしいなと思いながら書いていました。

――チャッポンが「いつも おんなじところに いるんだもの、 とにかく とおくへ いってみたいの」と言うシーンもありましたね。

くどう:そのセリフを書いたあたりから、チャッポンの個性が開き始めて。電気で動くスウスウと違って、ふだんから動くこともないアナログの存在であるチャッポンは、のんびり、おっとりした性格。でも、ただスウスウについてきただけでなく、自分なりの野心を抱いてもいるんだなって。一見対照的だけど、「これまでの自分とは違う何かになりたい」という同じ気持ちを抱くふたりを私は描こうとしているんだな、と気づきました。

――きれいなものをたくさん吸い込んで、お湯じゃないもので中身をいっぱいにして、特別な掃除機とバスタブになりたいと野心を抱くふたり。その道中を描くコンドウアキさんの絵が、本当に色鮮やかで、わくわくに満ち溢れているんですよね。

くどう:そうなんですよ……! サンエックス女児だった私にとって、今回のお仕事は夢のようで、本ができあがった今も現実じゃないのではないかと疑っています(笑)。もうね、どこが好きか聞かれても、言えないくらい、物心ついたときからこの世代の小学生の生活にはあたりまえにコンドウアキさんがいたんですよ。文具はもちろん、プロフィール帳や年賀状、Tシャツにコップ、ありとあらゆるものがコンドウさんの描くキャラクターで彩られていた。

――とくに好きだったキャラクターはいますか?

くどう:みかんぼうやです。そのころから食べ物モチーフのキャラクターが好きで、友達に手紙を書くときとか、自分でもまねして必ず描いていました。そんなお方が私の書いた物語に絵をつけてくれるなんて……。いただいたラフからすべてカラーだったのですが、一つ一つに「かわいすぎます」「最高です」「好きです」ってコメントをつけることしかできませんでした。自分で書いたお話なのに読んでいて泣けてきてしまうのも、コンドウさんの絵があるからこそ。

――スウスウとチャッポンの造形がかわいいのはもちろんですが、やがてふたりがたどりつくパーティ会場や湖のほとり。明暗を描きわける色のグラデーションなど、一枚絵としてのクオリティも高すぎますよね。

くどう:もう、本当にそう。スウスウには、金と銀の紙吹雪の前にまず、バラを吸い込んでほしいなと思ったんです。町中に出かけて、最初にお手軽に吸い込めるきれいなものといったら、花びらかなあと。まっか、ピンク、きいろ、しろ。バリエーションがあるというのは確かに私が書いたことだけど、色と色がまじりあうと、こんなにも美しくなるのか。そりゃあ、スカウトもされちゃうよ、と。

――突然あらわれた蝶ネクタイのおじいさんも、素敵でしたね(笑)。そうしてふたりは、担がれて誕生日パーティの会場へと連れていかれる。

くどう:ずいぶん力持ちのおじいさんですよね(笑)。なんとなく、「スカウトされてほしいな」と思っていたんです。いやがられたり、好きじゃないものを吸い込んだりしながら、自分の役目をまっとうしていたふたりが、外の世界で、誰かに「きみこそ必要なんだ」と求められてほしいと。

――そうして連れていかれたパーティ会場が、あまりに楽しそうで、参加したくなっちゃいました。ケーキもドリンクも細部まで魅力的に描かれていて。

くどう:私が想像していたよりもずっと賑やかなパーティに描いてもらえたのが嬉しかったです。ザ・執事のいでたちの男の人もいいですよね。スウスウと違って、チャッポンが何をバスタブのなかに入れるかは、書きながら考えていたんですけど、ふだんはあたたかいお湯を入れているんだから、たまには冷たいものもいいんじゃないかと、氷水を入れてドリンクを冷やす係に。これも、想像していた以上にいろんなドリンクが描かれていたので、感激しました。私が想像したとおりの質感と光の反射ぐあいで紙吹雪が描かれていたことにも。

――スウスウはついに「たのしくって きれいなもの」(紙吹雪)を吸い込み、チャッポンはみんなを喜ばせるドリンクを抱いて。ふたりとも、さぞや嬉しかったことだろう……と思ってページをめくると、夜に月が水面に映る湖のシーン。あの静けさも、対照的で美しかったです。

くどう:パーティの高揚感って私も好きだし、自分がスターになれたような気持ちになれるのも嬉しい。スウスウが吸い込んだ紙吹雪が、内側から発光していたように、自分を認めてもらえたり、何かを成し遂げて達成感を味わえたりすると、それだけで内側から輝くような気持ちになれるじゃないですか。でも、それがずっと続くと、やっぱり疲れちゃうんですよね。

――急にひとりきりになりたくなったり、音のない居場所に行きたくなったりしますよね。

くどう:家に帰ってお茶漬けを食べる時間も必要なんですよ。そういう、ほっと息をつく瞬間がほしくて、湖のシーンを入れたのですが、私が想像していたよりも薄暗く描かれていて驚きました。でも、深い青のグラデーションがあるからこそ、月明かりの輝きが際立つ。いっきに詩的な雰囲気に引き込んでくださるコンドウさんが、すごすぎます。その絵があるから、「ののちゃんのおうちに帰ろうか」と思うふたりの気持ちにも、説得力が生まれるんです。

――絵本だと、ののちゃんに再会するラストが描かれることも多いと思うのですが、帰りの道中でしめくくったのはなぜなのでしょうか。

くどう:めでたし、めでたし、で終わらせることへの抵抗が私のなかにはあって。「そこまではやってあげないぞ」って思っちゃうんですよね。あと、野心をもって家を飛び出したふたりの大冒険を、そのまま肯定したかったんです。自分の役割を抜け出し、違う何かになりたいと願って、特別に光り輝く時間を得たことは、めったにない非日常で、けっきょくおうちに……日常に戻ることが正解なんだよねってことになってしまうのも、いやだった。ののちゃんが大事じゃないわけじゃない、かといって大冒険したことを反省するわけでもない。両方をきちんと肯定するためにはどうしたらいいのかな、と考えたら、ああいう結末になりました。そのかわり、コンドウさんが裏表紙に、ののちゃんとの再会を描いてくださったので、やっぱり最高ですね……。

――今年刊行された『まきさんのソフトクリーム』ともまた違うテイストの絵本でしたが、2冊連続したことで、より強まった絵本への思いはありますか?

くどう:あらゆる制約から解き放たれて自由に描けるのが絵本のいいところですよね。時間も場所も超えて物語をつくることができるし、子どもたちはそのすべてを柔軟に受け止めてくれるんです。先日、トークイベントにたくさんの小さな読者が来てくれたのですが、「掃除機とバスタブが家出した」ところにはまったく引っかからず「ケーキが大きいのがよかった」「誕生日会が楽しそう」「こんな冒険を自分もしたい」という気持ちになってくれる。なんだって書いていいんだ、と改めて思わされると同時に、そうか、この作品って誕生日絵本だったんだ、と気づかされました。

――たしかに! 意外なふたりが家出することに気を取られて、あんまり気にしてませんでした……。

くどう:私も、自分の誕生日会から着想を得たはずなのに、全然気づいていなくて。お祝いの絵本としても手に取ってもらえるんだなと思ったら、とても嬉しくなったし、読者に届くことでより豊かに広がっていくのも、絵本のおもしろさですよね。『まきさんのソフトクリーム』のとき(https://ddnavi.com/article/1279852/a/)にもお話ししましたけど、絵本って、ほかのメディアよりも生きざまが出るというか、私がどういう人間なのかが問われると思うんです。最終的には、街をニコニコ歩いているおばあちゃんになりたいというのが私自身の野望なのですが、そんな雰囲気がにじみでるような絵本を、これからも描いていきたいです。

取材・文=立花もも、写真=干川修

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