社会が動くとき、陰で誰が何をしている? 社会革命を教えてくれる1冊ほか、本読みの達人たちが教える選りすぐりの新刊本

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2025/10/3

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年10月号からの転載です。

本読みの達人、ダ・ヴィンチBOOK Watchersがあらゆるジャンルの新刊本から選りすぐりの8冊をご紹介。あなたの気になる一冊はどれですか。
*今月は前田裕太さんがお休みのため、上田航平さんにご執筆いただいています。

イラスト=千野エー

[読得指数]★★★★★ 
この本を読んで味わえる気分、およびオトクなポイント。

上田航平
うえだ・こうへい●1984年生まれ、神奈川県出身。コント作家兼芸人。お笑いコンビ「ゾフィー」として2017年、19年と「キングオブコント」ファイナリストも経験。23年からは単独で活躍中。著作として『書きしごと。』内に掲載の短編小説がある。

『生きのびるための事務 全講義』
『生きのびるための事務 全講義』(坂口恭平/マガジンハウス新書)1650円(税込)

暮らしを自由にするのは、事務

この本は、夢や創作をあきらめずに生きていきたいと願うすべての人にとって、心強い生存戦略の書だ。そして、ここで紹介される最強の味方は、とにかく地味で目立たない【事務】である。自分の感性に正直に生きたいと思っても、やりたいことを続けるためには、「予定」と「予算」の管理という、極めて現実的でありながら、確実な基盤作りが欠かせない。何時に起きて、何時に働き、何時に寝るのか。その生活を支えるにはいくら必要で、どこからどうやって稼ぐのか。これらを曖昧な将来の夢で放置せず、言葉にして数字にして、将来の現実へと変えていく。モチベーションや自己肯定感は必要ない。あくまで今、あなたに必要なのは、理性であり、正しい方法である。漠然とした不安や他者の評価に心が揺れたとき、自分の「好き」や「直感」を全力で守ってくれる事務。その誠実で淡々とした静かな強さは、創作を継続させる力になる。

実用書/ライフスタイル
人生の縁の下の力持ち度 ★★★★★

『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』
『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』(難波優輝/講談社現代新書)1056円(税込)

物語にしない勇気

私たちは「物語」が大好きだ。成功の裏にある苦労話、逆境から這い上がる感動のドラマ、敗者の美学、勝者の涙。スポーツや芸能、政治の世界でも、誰かの人生をわかりやすい起承転結に当てはめることで、私たちは納得し、安心し、熱狂してきた。けれど、その「物語」は時に毒にもなる。SNSには、怒りや悲しみを効率よく増幅させるために編集されたストーリーが蔓延し、断片的な出来事が無理やり一本の線にされていく。だが、人生は本来、物語ではない。小説のような伏線やカタルシスは現実には存在しないし、意味を持たせる必要もない。不幸を「意味ある経験」として語ることが、かえって当事者を苦しめることもある。本書は、そうした物語依存の現代に警鐘を鳴らしつつ、後半では物語のオルタナティブとして、ゲームやパズルなどを検討する。なかでもギャンブルの章には、芸人・岡野陽一の哲学まで登場したので、思わずワクワクした。

現代社会/物語論
回収しなくていい伏線度 ★★★★★

渡辺祐真
わたなべ・すけざね●1992年生まれ、東京都出身。2021年から文筆家、書評家、書評系You
Tuberとして活動。ラジオなどの各種メディア出演、トークイベント、書店でのブックフェアなども手掛ける。著書に『物語のカギ』がある。

『空海』
『空海』(安藤礼二/講談社)4950円(税込)

空と海、世界の全てを見た男

おかざき真里『阿・吽』という、最澄と空海を描いたマンガがある。同作で空海は、比類のない天才、野生児、人たらしであり、そして世界の真理を言葉で表現した人物として描かれる。世界の真理は密教にあると思った。以来、空海の著作を読んでいる。だがなにしろ、約1200年前の人物だし並の天才ではない。よく分からなかった。
そこで本書を読んだ。やっと少し分かった。本書は空海を、詩によって宇宙の根源に存在するものを表現し尽くしてしまった人物と位置付ける。その上で空海の言葉、彼が志したグローバル世界(日本、中国、インド)の書物を参照しながら、学問と生活に根ざした宗教として空海を解釈する。しかも著者は折口信夫、井筒俊彦、鈴木大拙の大著を物しているため、彼らの理論的梯子が掛けられており論として明快だ。本書を読み終えたとき、たった32字の漢詩に世界が詰まっている、そう確信しているだろう。

宗教/哲学
仏になれるかもしれない度 ★★★★★

『なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論』
『なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論』(富永京子/講談社現代新書)1100円(税込)

社会が動くとき陰では誰が何をしているのか

日本では社会運動と言うと敬遠されがちだが、労働環境の改善、男女格差是正、バリアフリー化など、社会の変化は起こっている。本書では社会学の立場から、社会運動の原因やメカニズムを論ずる。
個人的に最も面白かったのは、フレーム分析と呼ばれる理論だ。簡単に言えば、多くの人々がなんとなく不満に感じている事象について、誰かがぴったりな言葉を発明したとき、それに賛同して人々が声を上げ始める。そしてその言葉が、近い問題や普遍性の高い問題に関連づけられたりして、社会を動かすという。ベストセラーや流行語の発生に近いものを感じた。何かが爆発的に流行るとき、それを受け入れる下地が既に整っており、そこから徐々に裾野が広がっていくことが多い。実際、ベストセラーは、社会の不満を受け止め、増幅させ、ときに社会を変える。本書を読んだら、書き手として社会変革は他人事ではなくなっていた。

社会学/現代社会
社会変革に敏感になれる度 ★★★★★

本間 悠
ほんま・はるか●1979年生まれ、佐賀市在住。書店店長。明林堂書店南佐賀店やうなぎBOOKSで勤務し、現在は佐賀之書店の店長を務める。バラエティ書店員として書評執筆やラジオパーソナリティなどマルチに活躍の幅を広げている。

『天使と歌う』
『天使と歌う』(愛野史香/角川春樹事務所)1760円(税込)

音が聴こえる絵が見える…天使の歌声をご堪能あれ!

昨年『あの日の風を描く』でデビュー、現在も佐賀県嬉野市にお住いの愛野文香さんの2作目『天使と歌う』が素晴らしかった。
恩師との偶然の出会いを機にチェロ奏者を志すこととなる主人公・大夢ほか、一癖も二癖もあるワケアリの登場人物たちが、年齢制限のないコンクールに挑む。音楽家に限らず言えることだが、大舞台を彩る成功者はほんの一部。夢や憧れに折り合いをつけ、諦めざるを得なかったものたちのほうがずっと多い。ほとんど表出することなく忘れられていく彼らの物語が読者の胸をざわつかせ、涙腺を刺激する。
何より、作中で彼らが奏でる音楽の表現が唯一無二だと感じた。私はピアノを習っていたが、習い事レベルでは及びもつかない、豊かな表現の世界に圧倒されるばかりだった。読後はチェロの音色を聴きたくなること間違いなし! 彼らの人生をフィナーレまで存分に堪能して欲しい。

文芸/小説
演奏曲が聞きたくなる度 ★★★★★

『マザーアウトロウ』
『マザーアウトロウ』(金原ひとみ/U-NEXT)990円(税込)

こんな義母なら大歓迎? 価値観一新の没入感!

嫁と姑の関係を描く作品で、これほど痛快なものは今後刊行されないのではと思うほどに最高だった。
嫁との念願の初顔合わせに際し、全身金色の出で立ちで、しかも遅刻して登場したアッパー過ぎる53歳の義母・張子のパワフルなキャラクターがスゴイのはもちろんだが、張子にやや圧倒されつつも意気投合し、関係を深めていく嫁・40歳の波那もスゴすぎる。自身の価値観を木っ端みじんに吹き飛ばす登場人物たちに、目から鱗を引っぺがされる読書体験が爽快だ。心の垢がぼろぼろと落とされ、ほとんど生まれ変わったような心地になれることを約束しよう。
ああ私も、勢いで韓国に弾丸旅行をキメたいし、絵柄も決めずにタトゥースタジオに飛び込みたい。いくつになってもどんな立場にあっても、人生の操縦桿を握っているのは自分、握りこんだ操縦桿をいつどんなタイミングで、どちらに切るかは自分次第なのだ。

文芸/小説
張子と友達になりたい度 ★★★★★

村井理子
むらい・りこ●1970年生まれ、静岡県出身。翻訳家、エッセイスト。著書に『村井さんちの生活』『兄の終い』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』など。訳書としては『ゼロからトースターを作ってみた結果』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』ほか。

『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』
『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』(早見和真/新潮社)1980円(税込)

加害者、それとも被害者なのか?

ジャニーズ事務所は知っていても、藤島ジュリー景子氏を知っていた人はほとんどいなかっただろう。ジャニー喜多川氏が所属タレントに対して行ったとされる性加害に関する記者会見や謝罪動画を見た視聴者の多くが、「この人物は本当に何も知らなかったのだろうか?」という印象を抱いたと思うし、私自身もそんなひとりだった。本書は作家早見和真が藤島氏から47時間にわたって、その生涯、叔父ジャニーとの関係、そしてジャニーズ事務所廃業について聞いたインタビューをまとめた一冊だ。藤島氏の発言には、終始つかみ所のない印象があったし、「知らなかった」という言葉がこの問題を複雑にしていると感じる。しかし、2023年10月2日の記者会見で読み上げられた彼女の手紙にある「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切、無くしたいと思います」という強い言葉に偽りはないと私は感じたし、彼女自身も被害者と言えるのではと感じた。

文芸/ノンフィクション
貴重なインタビュー度 ★★★★★

『幽霊の脳科学』
『幽霊の脳科学』(古谷博和/ハヤカワ新書)1254円(税込)

夏の夜にぴったりな一冊

幽霊も、占いも、血液型も、MBTIも、何もかも一切信じない私が、レビー小体型認知症(主な症状に幻視や幻聴がある)になった義母に「あなたの横に男の子が立っている」と、誰もいない場所を指さして言われたときに感じた恐怖を思い出しつつ、大変興味深く読んだ一冊。そして、今まで一度も幽霊を見たことがない私も、いつか見ちゃうかもしれないと、若干、ワクワクしてしまうのである。脳神経内科医の著者が紹介する幽霊譚や症例の多くは、確かに怖いのだけれど、どこかユーモラスで人間味があり、興味深くてスイスイ読めてしまう。筋金入りの不眠症の私にとって、レム睡眠とノンレム睡眠に関する記述も興味深かった。人が幽霊を見てしまう理由の多くを大変わかりやすく、科学的に解説した本書、夏の夜にぴったりの一冊だし、自分の脳をもっともっと知りたくなる。面白くて、ページをめくる手が止まらない。これぞエンタメノンフィクション!

ノンフィクション/科学
エンタメノンフィクション度 ★★★★★

<第6回に続く>

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