かつてノスタルジアは「病気」だった? 危険な感情の歴史をひもとく 1冊ほか、本読みの達人たちが教える選りすぐりの新刊本

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2025/10/26

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年11月号からの転載です。

本読みの達人、ダ・ヴィンチBOOK Watchersがあらゆるジャンルの新刊本から選りすぐりの8冊をご紹介。あなたの気になる一冊はどれですか。

イラスト=千野エー

[読得指数]★★★★★
この本を読んで味わえる気分、およびオトクなポイント。

村井理子
むらい・りこ●1970年生まれ、静岡県出身。翻訳家、エッセイスト。著書に『村井さんちの生活』『兄の終い』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』など。訳書としては『ゼロからトースターを作ってみた結果』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』ほか。

『介護未満の父に起きたこと』
『介護未満の父に起きたこと』(ジェーン・スー/新潮社)990円(税込)

介護はひとつとして同じではない

私自身は義理の両親の介護を始めてすでに六年ほどが経過している。とんでもなく大変だ。そんな大変な日々を送る私の頭のなかには、常にある疑問があって、それは「実の親の介護の方が大変なのか、それとも義理の親の方が大変なのか?」というもので、本書を読んでからは「どちらも大変」だと理解するようになった。著者はありとあらゆるツールを駆使して介護未満の父の生活を支援する。しかし、娘にとって完璧に思えた作戦も、きままな父には通用しない。次々と起きるトラブル、コロナ、口げんか……一人娘である著者は悪戦苦闘しながらも父の生活を支える方法を徐々に見いだしていく。父の生き様から自分自身の将来を見つめる娘の、肝の据わったハイテク介護は、これから親の介護をする人達にとっては、大いに参考になるだろう。きまま同士の父と娘が、衝突しながらも互いを思いやり、一歩一歩前進していく姿は微笑ましくもあり、感動的だ。
文芸/エッセイ

未来の介護の教科書度
★★★★★

『光る夏 旅をしても僕はそのまま』
『光る夏 旅をしても僕はそのまま』(鳥羽和久/晶文社)1980円(税込)

夏の終わりにぴったりな紀行文

福岡で学習塾、単位制高校、オルタナティブスクールを経営、そのうえ、学習塾に併設された書店&イベントスペース「とらきつね」では頻繁にイベントを開催している多忙な著者。それなのに気づくといつの間にか旅に出ている神出鬼没で不思議な人。そんな著者が旅について記した本書だが、これは夏の終わりのけだるさのなかで、体をソファに沈ませるようにして読みたい一冊。著者の目を通して、行ったこともない場所、会ったこともない人を想像して読み手も旅をする。緩いようで、まったく緩くない、スローなようで、まったくスローではない、そんな新しい紀行文学の傑作だ。
ちなみに普段からSNSで著者の様子をじっと観察している私は、その溢れる体力というか、行動力がどこからくるのか疑問だったのだが、ジャワ島のガイド・ミコが「トバさんは生きるエネルギーを余らせている」と発言しており、なるほどと思った次第。
文芸/ノンフィクション

読めば読むほど自由になれる度
★★★★★

上田航平
うえだ・こうへい●1984年生まれ、神奈川県出身。コント作家兼芸人。お笑いコンビ「ゾフィー」として2017年、19年と「キングオブコント」ファイナリストも経験。23年からは単独で活躍中。著作として『書きしごと。』内に掲載の短編小説がある。

『ノスタルジアは世界を滅ぼすのか ある危険な感情の歴史』
『ノスタルジアは世界を滅ぼすのか ある危険な感情の歴史』(アグネス・アーノルド=フォースター:著、月谷真紀:訳/東洋経済新報社)2420円(税込)

懐かしさは、時に武器となる

ノスタルジア、それは一見、やさしい感情に思える。しかし歴史をさかのぼれば、この言葉には血なまぐさい背景がある。かつてノスタルジアは「病気」とされ、兵士が故郷を懐かしむ歌を歌っただけで死刑を宣告した軍もあったという。やがて時代が進むにつれ、ノスタルジアは徐々に病気ではなく娯楽や文化として扱われるようになり、古き良き時代を懐かしむ映画や音楽が人々を熱狂させていった。だがその懐かしさは政治的に利用される危険もはらんでいる。トランプ大統領が掲げた「Make America Great Again」のスローガンは、まさにノスタルジアを武器としたものだ。過去への郷愁は人々をひとつにする力を持つが、同時に現実から目を逸らし、分断や対立をあおる刃にもなりうる。「え待ってまじ超エモい!」なんて最近思ったそこのあなた、そのエモ、裏で誰かに利用されていませんか? ともあれ私は『スタンド・バイ・ミー』が大好きです。
歴史/感情史

エモくて楽しくて危険度
★★★★★

『世界のほうがおもしろすぎた ゴースト・イン・ザ・ブックス』
『世界のほうがおもしろすぎた ゴースト・イン・ザ・ブックス』(松岡正剛/晶文社)2090円(税込)

迷子になるほど世界は豊かだ

松岡正剛は、文学や思想をはじめ、美術、科学、宗教など多彩な領域を自在に結びつけ、情報を編み合わせて新たな宇宙を生み出すことを生涯の仕事とした「編集」者である。本書は、松岡が亡くなる前に自らの人生と思想を語り尽くした最後のロングインタビュー。松岡が高校生の時、瀬戸内海の風景を見て得た感動をどうしても言葉にできず、和尚さんと牧師さんに相談したら、それぞれが「座禅を」とか「イエス様が」とかそれぞれの枠の中だけでしか語らないことに「この人じゃ無理だ」と思った話など、松岡がいかにして多様なものを多様なままに面白がろうとしていたか、その行動と思考の軌跡が当時の空気感とともにひしひしと伝わってくる。その博識ぶりに何度も迷子にはなるのだが、それがわからなさを面白がる訓練でもあるような気もするし、ただの勉強不足のような気もする。だがこの答えのない読後感こそがこの本の醍醐味だと思う。
自伝/思想

世界まぜまぜシャッフル度
★★★★★

渡辺祐真
わたなべ・すけざね●1992年生まれ、東京都出身。2021年から文筆家、書評家、書評系You
Tuberとして活動。ラジオなどの各種メディア出演、トークイベント、書店でのブックフェアなども手掛ける。著書に『物語のカギ』がある。

『運慶講義』
『運慶講義』(山本勉/新潮社)2750円(税込)

政治を乗りこなし時代を越える傑作を残した仏師

いつの時代もアートと国家の関係は微妙だ。プロパガンダにされたり、国家を陰に陽に揶揄したり、補助金によって助けられたりしながら、どちらかと言えば国家がアートを包摂する傾向が強い。最近なら大阪万博がそうだ。
こうした傾向は最近のものかと言えば、そうではない。むしろ現代の方が国家の縛りは緩くなったとすら思う。そう思ったのは運慶について学んだ時だ。運慶は円成寺・大日如来坐像や東大寺南大門・金剛力士像で知られる仏師で、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した。彼が生きた時代は、貴族と武家が東西に分かれて緊張関係を放っていた時代だ。そんな状況下で運慶とその一門は、武家や貴族、仏教勢力とそれぞれ良好な関係を保ち、各地で作品を残すことに成功した。驚くべきことである。本書は運慶に関する最新でコンパクトな解説書であり、彼の作品と政治動向の関係についてもばっちり押さえられている。
美術/歴史

仏像を分解してみたくなる度
★★★★★

『斜め論 空間の病理学』
『斜め論 空間の病理学』(松本卓也/筑摩書房)2420円(税込)

垂直でも水平でもなく、斜めに心を捉えよう

ここ数年、出版界ではケアが注目されている。誰かを気遣ったり助けたりする概念だ。ブームと言ってもいいが、一過性の流行として片付けるにしては事が深刻だ。というのも、現代社会では「自己責任」という化け物が跋扈している。こいつは、困っているなら自分で努力して上昇すればいいと煽ってくる。厄介なことに、何割かは正論だ。しかし様々な事情から頑張れない人もいれば、頑張ってもどうしようもない天井も存在する。そこでケアは、連帯しようと唱えるのである。
ただ、ここまでの整理で分かる通り、どちらも大事だ。助け合いつつも、自分で少しは頑張るべき局面もある。本書ではそれを「斜め」と名づける。心の捉え方は、上昇や自己分析という垂直から、横並びに手を取り合う水平へと移行してきた。本書ではその推移を整理し、わずかな垂直を加えた斜めを提唱する。本書を通して心の捉え方を少し変えることができるはずだ。
論考/哲学

行き方が楽になる度
★★★★★

本間 悠
ほんま・はるか●1979年生まれ、佐賀市在住。書店店長。明林堂書店南佐賀店やうなぎBOOKSで勤務し、現在は佐賀之書店の店長を務める。バラエティ書店員として書評執筆やラジオパーソナリティなどマルチに活躍の幅を広げている。

『書店怪談』
『書店怪談』(岡崎隼人/講談社)1925円(税込)

売りたいけど置きたくない…書店が舞台の最恐怪談!

作家・岡崎隼人さんと担当編集の菱川氏は、書店回りの最中にいくつかの怪談を耳にしたことを機に、書店×ホラーの新刊を企画する。取材と話題作りを兼ねて全国の書店員から体験談を募ると、全く別な場所の書店でありながら、いくつかのモチーフが共通する怪談があることに気づく。偶然か、それとも。追って取材を重ねるうちに、担当編集の菱川氏にも異変が起こり始め……。一人称は岡崎隼人さん、登場する出版社も実名、紹介される書店もモデル店舗がわかりそうな名前で、この本に書かれていることの一体どこが虚実で、何が真実なのかがわからなくなってしまう。
帯には「もう書店には行けない」と色んな意味で恐ろしいコピーが書かれているが、書店員も「もう書店では働けない」状態になってしまう。なぜ書店を舞台に、全国に「一致した話」が出現するのか。そのオチにも本好きはニヤリと、いやゾクッとするだろう。
文芸/小説

それでも本屋に来てください度
★★★★★

『失われた貌』
『失われた貌』(櫻田智也/新潮社)1980円(税込)

驚愕のタイトル回収! 心震える傑作ミステリ

本物の「どんでん返し」と言われましても、こちとらそれなりにミステリは読んでますし、何となくオチの予想はついちゃいますが……? そんな嫌な読者代表の私だが、久々に声が出た。「そういうこと⁉」深夜二時に飛び起き、ページを遡ったり悶えたりしながら、幸せな朝を迎えた作品を紹介したい。
顔がつぶされ、両手首が切断されるなど、徹底的に身元が分からないように工作された遺体が見つかった6月29日から八日間の物語。メインとなる死体の正体のネタバラシがすごいのはもちろん、蜘蛛の巣のように張り巡らされた伏線が最後の最後まで回収され続ける構成は本当に見事としか言いようがない。謎解きの美しさもさることながら、特に注目してほしいのが、海外の探偵小説やドラマを彷彿とさせるようなおしゃれな(としか表現しようがない!)会話だ。信頼関係があるからこそ生まれる数々のやりとりに、ニヤニヤが止まりません!
文芸/小説

あなたの時間溶かします度
★★★★★

<第7回に続く>

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