病人にとって、文学は究極の「実用書」!? 患者が“痛み”を上手く言語化できるようになる、痛みのカタログ本【頭木弘樹インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/10/13

読書感想文で無理やり読んだカフカに入院中に救われた

――病気になるまでは本は読まれなかった頭木さんが、小説を読まれたきっかけは何だったんですか?

頭木 中学の夏休みの読書感想文を書くのが面倒で、本屋の文庫コーナーで一番薄い本を探したら、新潮文庫の『変身』だったんです。それで『変身』は読んだことがあったんですね。突然、難病になって入院したときに、「今の自分の状況って、急に虫になって部屋から出られなくなったグレーゴルと同じじゃないの」と思いだして。それで、あらためて読んでみたら、不条理小説どころか、難病患者のドキュメンタリーとしか思えなくて。今の自分の状況や気持ちや周囲の人たちのことなんかが、本当に正確に書いてある。「文学ってすごい!」って思ったんです。

 それからカフカの「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」という言葉にも出会いました。僕はその時まで、転んだら立ち上がるのが当たり前と思っていたんですけど、「うまくできるのは倒れたままでいること」って考え方があり得るんだということが衝撃的で、本当に救われましたね。そこからは、心が焦げなくなりました。

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――自分の言葉にできない思いが書かれた小説があり、それを書いた人がいることに救われたんですね。

頭木 自分が感じている苦しさを先に感じて言葉にしてくれてる人がいることが、すごく大きかったです。真っ暗な道って、ひとりで歩いていたら怖いじゃないですか。でも、その道の前に人がいて歩いてくれているなら、少しほっとしますよね。

――病気で立ち上がれなくなっていなかったら、本を読まない人生を送っていたかもしれないですね。

頭木 全然、読まなかったと思いますね。でも僕は、みんなが本を読んだほうがいいとは思いません。読まずに一生を幸せに終えられたら、それが一番ですから(笑)。でもなかなかそうもいかないので、元気なうちに読んでおいてほしい。僕も、『変身』を一度読んでいたから、入院したときに思い出すことができました。読書感想文はやめたほうがいいと言う人もいるけど、僕は賛成派ですね。無理やりでも本を読むのは、結構、意味がありますよ。

頭木弘樹さまインタビュー3

病気の体験を面白く書くことは絶対にしない

――痛みの本ながら、頭木さんの経験も含めて、笑えるところもありました。つらい経験を伝える時に意識していることはありますか?

頭木 僕のような病人や障害のある人は、体験を話したり書いたりするときに、「面白く話をしないと人が聞いてくれないよ」と言われてしまうんです。つらい、悲しいばかりだと人が逃げてしまうから。でも、僕はそれに大反対なんですね。だって、悲しい時に笑えなんてひどい話じゃないですか。悲しければ悲しく話せばいいし、苦しかったら苦しく話せばいい。その自由まで奪わないでよ、と思うんですよね。

 ではどうしたらいいのか、僕も悩んだんですけど、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というチャップリンの言葉があるんです。チャップリンは子どもの頃、食肉処理場から羊が逃げて大人が追いかけ回している姿を見て、大笑いしたそうなんです。でも、羊が捕まって引っ張られていくところで急に悲しくなって、泣き出してしまった。同じ出来事だけど、視点によって受け取り方が全然、違うわけですよね。病気もまさにそうです。当人にとってはすごく悲しいけれど、引きのカメラで見ると笑えるわけですよ。僕が病院で、下痢で点滴台を槍のように持ってトイレに走っている姿を見て、廊下にいる人たちはみんな笑っていました。でも当人は、笑うどころじゃありません。

 要するに、面白おかしく書くことは絶対にしない。ただ、ロングショットで書くということはしていますね。すると、それ本来の滑稽さは自然と感じてもらえますから。でも、受け取り方は、読む時によって変わります。自分に関係ないことだと思えば笑うでしょうし、僕と同じ状況になったことがあれば泣くでしょうし。でも、ふざけた書き方をしていたら笑うしかないですから、それは絶対しないと決めていますね。

――本書を、どういう人に手に取ってほしいと思いますか?

頭木 「痛い人」が世の中にはいます。痛くない人も、みんな、「痛い人のそばにいる人」たちなんですよね。ですから、そういう意味では、全員に読んでほしいです。ただ、痛いってイヤじゃないですか。正直、痛みの本を読もうという気にはなりにくいですよね(笑)。でも、「痛みってなんだろう?」と、一回くらい、じっくり考えてみてもいいのではないでしょうか。自分に今、痛みがまったくない人も、痛みへの知的好奇心を持って、読んでみていただければ嬉しいですね。

取材・文=川辺美希、写真=杉山拓也