「哲学の一番偉いところは、『何もバカにしない』こと」“哲学対話”を続ける永井玲衣が考える“信頼と対話の関係”【『これがそうなのか』刊行記念インタビュー後編】
公開日:2025/11/6

2024年に第17回「わたくし、つまりNobody賞」を受賞した、哲学者・作家の永井玲衣さん。各地で行われる哲学対話をはじめとして、表現を通して戦争について対話する写真家・八木咲さんとのユニット「せんそうってプロジェクト」、Podcast「夜ふかしの読み明かし」など、数々の対話の場を作る永井さんが、このたび新著『これがそうなのか』(永井玲衣/集英社)を上梓した。
本書の第1部では、日々生まれる「新語」から生まれる問いに向き合い、「なぜ、その言葉が作られたのか」をひもとく。第2部では、“本を育て親とし、師とした”永井さんの読書体験に基づき、“言葉を適切に保存する”試みを通して、世界との対話を望む。
前編記事では、本書執筆の経緯、永井さんにとっての哲学対話の原風景、読書体験から生まれた衝撃について触れた。後編では、信頼と対話の関係や哲学との出会い、哲学と詩の不思議な共鳴についてご紹介したい。
「信頼」は与えられるものではない。信頼を作る試みこそが対話である
――本書のみならず、これまでの著書においても、幅広いジャンルの書籍が引用されています。永井さんは、水を飲むように本を読まれる方なのだと感じました。幼少期の頃から、本に馴染みやすい環境があったのでしょうか。
永井玲衣(以下、永井):そうかもしれないですね。「本はいくらでも読め」というスタンスの家ではあったので。ただ、言い換えれば「本しかなかった」とも言えます。だから私は、読書以外の体験が人より少ないんです。
本は、世界に対して憎しみを抱いている時や、「ここにはいられない」と思った時に手を伸ばすものだと思うんですよね。ここではないどこかに行きたい、とか。必ずしもそうとは限らないけど、少なくとも私は、そういう意味合いで本を読んできたところが大きい気がします。
――永井さんは、J-P・サルトルの『実存主義とは何か』(伊吹武彦 他:訳/人文書院)に出会ったことが、哲学の道を志すきっかけになったとうかがいました。サルトルのどんなところに惹かれたのでしょうか。
永井:サルトルの「あなた方が生きる世界は無である。要は、無価値である。価値というものは与えられているものではない。だが、その無に価値を与えるのはあなた方である」という言葉に衝撃を受けました。与えられているものはないぞ、あなた方が行動し、考えて、自ら作っていくんだよ、とサルトルは言ったわけです。「これが哲学なんだ」と打ちのめされて、そこから哲学の道にのめり込みました。この言葉に出会い、主体性の手触りみたいなものを彼に教えてもらった気がします。

――「哲学」に対する心理的ハードルが高い人はわりと多いと思っていて、私自身も「難しいもの」というイメージがありました。しかし、永井さんの書籍に触れて、そのハードルを取り払ってもらえたように感じています。誰でも、哲学に触れていい。哲学をしていい。みんな知らず知らずに哲学しているんだな、と気付かされました。
永井:哲学の一番偉いところは、「何もバカにしない」ことです。どんな語りでも、ある種の真理に貢献する。取るに足らないものと切り捨ててしまうのではなく、どんなことも大切にする。他者の語りをそのように受けとめられないのなら、私はそれは哲学と呼ばないほうがいいと思うんです。本当に大事に受けとめられたかどうかが重要なのではなく、「しようと試みる」場が大事なんですよね。対話が少ない社会において、そのような空間が出現すること自体に私は意義を感じているので、対話の場では、それを冒頭でお伝えしています。
――本書の「つづけるんだ」の中に、「対話で最も革新的なことは、共に座るというところだと思うようになった」との一節があります。そのような境地に至ったきっかけを教えてください。
永井:私は、これまで十数年もの間、対話の場を作ってきました。特にここ数年は、ほぼ毎日のように現場があります。それなのに、「この人、なんか面倒くさいこと言いそうだな」とか、「この人、話長そう」とか、未だに思うわけです。でも、その不安は常に良い意味でぶち壊されます。
「永井さんの『対話が大事』みたいな話はわかるけど、信頼できる人とじゃないとできません」とよく言われます。「安心できる場じゃないと話せない」とも。安心できる場じゃないと話せないのは、おそらくその通りです。でも、サルトルじゃないですが、信頼は「与えられるもの」ではない。最初からあるものではなくて、作り上げていくものです。信頼できるから対話をするのではなく、対話そのものが信頼を作っていく試みなんですよね。
対話で何が話せたかとか、どんな素晴らしい話が出たかは重要ではなくて、まずはきこうとする。信頼を作ろうとする。その過程で、なんだ、この社会は信頼に足るじゃん、対話って信頼に足るものじゃん、こんな社会だったら生きていてもいいじゃん、と思える。そういう試みのほうが私は好きだなと思いながら、「つづけるんだ」の章を書きました。
