「哲学の一番偉いところは、『何もバカにしない』こと」“哲学対話”を続ける永井玲衣が考える“信頼と対話の関係”【『これがそうなのか』刊行記念インタビュー後編】
公開日:2025/11/6
私たちは共に考えることができるし、共に怒ることができる。詩と哲学の共鳴から生まれる言葉

――永井さんの著書には、さまざまな詩が引用されています。「詩」との出会いについて教えてください。
永井:とにかく本を闇雲に読んでいたので、おそらくその過程で出会ったのだと思います。図書館で「あ行」から読んでいく、みたいなことを子どもの時分からしていたので。
――詩の中でも、ハンセン病患者が綴った詩作品が数多く引用されている印象があります。直近で公開された船城稔美さんの詩集『どこかの遠い友に 船城稔美詩集』(木村哲也:編/柏書房)の書評も拝読しました。表題作の引用部分を読んだ際、本書の冒頭で登場する「あなただけの苦しみが私たちの問いになる」という一節と不思議なつながりを感じました。
永井:悩みや苦しみは個人の問題にされてしまいがちですが、それが本当は問いであって、誰もがそれに巻き込まれて、社会全体に呼びかけ得るものだと思うんですよ。だったら、それについて一緒に考えたい。「聞いてあげる人」と「聞いてもらう人」に分裂するのではなく、「共に考える人」になれる。船城稔美さんは、そのようなことを詩で表現したわけですよね。
“私の顔はたつた一つだ
君の顔もたつた一つ
だが 同じ希い
同じ怒りに身をふるわす”
(『どこかの遠い友に 船城稔美詩集』P138)
もちろん、誰もが個としてのたった一つの命ですが、私たちは共に考えることができるし、共に怒ることができる。私自身も対話についてそのように思うところがあるので、船城さんのこの詩には、心を打たれました。
――「めしテロ」の章では、現代の言葉の“崩れ”についても言及されています。安易な使い方により、言葉が持つ本来の意味や重みが壊れてしまう。そのような危惧は、いつ頃から抱いていらっしゃいましたか。
永井:大学生の頃、ですかね。私は詩がすごく好きで、大学生の友だちを誘って、「詩を読み合う読書会」を開いていました。一見支離滅裂に見える言葉や、異なる言葉をぶつけて新しい世界を開く表現が面白いと感じて、みんなで語り合いながら詩を読んでいたんです。
その当時、すごく差別的なデモがあって……今もですけど。そこで見聞きした歴史修正に関する言葉は、私からすると論理が破綻していました。当時は、デモに限らず、めちゃくちゃな言葉や強い衝撃を与える差別的な言葉があふれていた時期でもあって。繰り返しますが、今もですけど。その時、「これらの言葉と詩の違いはなんだろう」と痛烈に思ったんですよね。
つまり、構造としては似ているな、と。異なる言葉をぶつけて強い衝撃を与えるとか、一見すると支離滅裂に見えるとか。でも、そうして構造が似通ってしまった時に、詩と差別的な言葉とでは、とんでもなく真逆なことが起きている。その違和感を、友だちと話した記憶があります。当時の衝撃が残っていて、それをちゃんと言葉にしたいと思って執筆したのが「めしテロ」の回でした。
――本書に「それはそのひとなりの、言葉との格闘によってしか生まれ得ない」との一節があります。本書はまさに、永井さんが言葉と格闘して書かれた一冊のように感じました。哲学対話の場をはじめ、「話す」場を主体として活動されている永井さんにとって、「書く」という行為はどのようなものですか。
永井:私が書く動機は、対話の現場や本であったり、共に生きる人々を通して出会う言葉たちを「適切に保存したい」という欲望なんですよね。これは、過去作の本のタイトル(『世界の適切な保存』/講談社)にもなっています。それらがなかったことになったり、消えてしまったりすることに、耐え難い悔しさを覚えるんです。適切に保存する一つの手立てとして、「書く」という行為があります。
なので、いわゆる「書けなさ」みたいなものにぶつかることは少ないです。それよりは、この言葉をどう残せるかという部分が常に問われていると感じます。世界、もっといえば他者のことを書くので、その可能性を閉じない言葉を選ぶというところで、緊張感はあります。出会った言葉たちをなかったことにしたくない、忘れたくない。だったら、どのような方法で残せるか。そこをずっと自分に問いながら、書いている気がします。

取材・文=碧月はる、写真=干川修
