ダ・ヴィンチ編集部が選んだ「今月のプラチナ本」は、佐々木愛『じゃないほうの歌いかた』
公開日:2025/11/6
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年12月号からの転載です。

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?
(写真=首藤幹夫)
佐々木愛『じゃないほうの歌いかた』

文藝春秋 1980円(税込)
独立系カラオケ店「BIG NECO」では、今日もドラマが巻き起こる。「カラオケのイメージ映像に出ていそうな女」と2回言われたことでカラオケ恐怖症になった池田(「池田の走馬灯はださい」)。音が鳴らないトランぺッター・加賀と、その恋敵にして理解者でもあるサナ(「加賀はとっても頭がいい」)。その他、うだつのあがらない凡人たちが起こす、ちょっとした人生の奇跡ときらめきを描く5つの連作短編集。
ささき・あい●1986年、秋田県生まれ。青山学院大学文学部卒。「ひどい句点」で、2016年オール讀物新人賞を受賞。19年、同作を収録した『プルースト効果の実験と結果』で単行本デビュー。他の著書に、『料理なんて愛なんて』や、『ここにあるはずだったんだけど』がある。
【編集部寸評】

生きているから歌おうよ
「そもそもカラオケってなんだ。(中略)凡人が、人様の作った曲を自分に酔って歌う。これ以上ないほど、恥ずかしい場所じゃないか?」の一文を読み、かつての記憶がフラッシュバックする。そう、自意識過剰な私は池田と同じく「ださい」に怯えていた。なんと惨めで馬鹿馬鹿しいのだろう、と今なら愛おしくすら思える。著者は切れ味鋭く軽妙な文章で、何者でもない面々を、過去も未来も肯定してゆく。わずか4頁のエピローグのラストにきらびやかな希望と優しさが詰まり、清々しい。
似田貝大介 本誌編集長。今月も恐山に行きました。偶然が重なり2カ月連続で思い出の地へ。山は紅葉で色づき始めており、ちょうど秋季祭が行われていました。

「ださい」歌詞の効能
本書に登場するのは、大なり小なり夢に破れた人たちばかりだ。東京に行けば「ださい」から逃げられると思っていた、好きな人に自分の名前を歌ってほしかった、俳優として売れたかった。それぞれの叶わなかった思いなんてそっちのけで、日々は進んでいってしまう。取り残された彼らに時に寄り添い、時に励ましてくれるのは、一緒に歌ってくれる人たちだ。いつまでもこだわっているのは自分だけかもしれない。「令和、もっとポジティブすよ」という言葉が、昭和生まれの胸に刺さる。
三村遼子 カラオケは大好きなのですが、全力で歌うだけで満足してしまうので、こんなに物語があることに驚くばかり。今度、隣の部屋を気にしてしまいそう。

夢を諦めても人生は続く
物語の舞台となるカラオケという空間は、知らない歌であっても誰かが歌い終わるまで待ち、笑顔で拍手を送る優しい空間だと思う。本書にも、そんな優しいまなざしが貫かれており、何者かになれない人生も肯定してくれるようだ。俳優の夢を諦め、今はホームセンターで働くおじさんを描いた「君の知らないあの佐藤」に心打たれた。「夢を諦めたおじさん」ではなく「あの時間を全力で通り過ぎてきたおじさん」として肯定してくれる。そんなぬくもりに満ちたシーンに、救われた気がした。
久保田朝子 冷房から暖房へのインターバルのなさに驚きです。気温差の激しさに、その都度風邪をひいてしまう。冬に向け体調管理にまい進しようと思います。

ふたつとない歌声を
歌は、記憶を呼び起こす。たとえ思い出したくないものだとしても、時代を彩った楽曲のメロディが、フレーズが、過去と結びついて離れないことはある。本作の登場人物たちも同様だ。かつて自らが出演したMVの楽曲を通して、再会したくなかった「青くさい感覚」を感じたり、ふと聞こえてきた曲に幸せな記憶を思い出したり。彼らは決して“特別”な人ではないけれど、その音には唯一無二の人生が重なっている。この世界に響く、平凡な者たちの愛おしい歌声に耳を傾けてほしい。
前田 萌 「フロリダ ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」に行きました。限定衣装のキャラクターたちと撮影も。写真を見返すのが楽しいです。

凡人たちの代えがたい人生
本作には「じゃないほう」の人たちが見せる一瞬の煌めきが詰まっている。作中に登場する佐藤は俳優を目指していたが、今はホームセンターで働いている。いわゆる、夢に破れた人。けれども彼には「俳優にならなかった人生」がある。愛する子どもに疎まれながらも、平穏でありふれた、しかし他には代えがたい人生。私たちの多くは、自分が「じゃないほう」だと思っているのではないか。私の煌めきはどの瞬間だっただろう。ふと、これまでの日々を振り返って思い返してみたくなる作品。
笹渕りり子 学生時代のカラオケは、フリータイムで朝から夕方まで歌い続けても生き生きとしていた。近頃は深夜から朝方まで瀕死の状態で参加している。

わかりやすい主役じゃなくても
世界は自分を中心に回ってなんかいない。そんなもんだと諦めるしかないこともある。それでも、ふとしたときに後悔に似た気持ちに苛まれる。そんなとき、本作の言葉が胸のうちを救ってくれる。「最終的にそれにならなかった人ぜんぶを『夢を諦めた人』って言うのは、違うんだなって」。わかりやすい主役じゃなくたって、それぞれに生き様がある。日々を一生懸命に生きていて、誰にもそれを笑ったり否定する権利なんてない。明るく軽快な本作は、私たちの心も明るく軽くしてくれる。
三条 凪 寒いのが本当に苦手です。空気と気温から冬の気配がして、戦々恐々。今朝はさっそく布団からでるのに30分もかかりました……先が思いやられる。

「じゃないほう」ではあるけれど
お守りのように大事にしている歌詞がある。普段は口にできない気持ちも、なぜか歌なら素直に届けられる。歌とは祈りに似ていて、カラオケボックスは日常から切り離された小さな聖域なのかもしれない。本作は、迷い傷ついた登場人物たちがそんな空間で捧げる、希望のこもった祈りの歌をやさしく丁寧にすくいあげていく。きっと私たちの多くは「じゃないほう」なのかもしれない。でも、そのひとりひとりが誰にも代えがたい祈りの声を持つのだと、そっと背中を押された気持ちになった。
重松実歩 自己肯定感の低さからか「ばかだな」と他人に言われることが割と好き。なので、第2話に出てくる加賀が刺さりまくりでした。幸せになってくれ。

曲選びには想いが宿る
カラオケで歌う曲は、それぞれに意味、そして世間で獲得した文脈を持っている。ゆえにそこで曲を選び歌うことは、自分と世界との関係を表現する行為となる。本作は、社会との付き合い方を模索するも王道を見失い彷徨してときに座り込み日々を進んでゆく人々を、憧れた「東京」を見失った・娘に突き放された・売れない作家業にすがった人々を、カラオケボックスに招き、想いをすくい上げて応援する。「じゃないほう」なのかもしれない彼らから滲む感情は、やがて小さな奇跡へと繋がる。
市村晃人 1年ぶりくらいに壁とではなく人とテニスをしました。頑張ってボールを追うと、今度は全然ブレーキがかからず。ブランクは怖いというお話です。
