恩田陸の傑作長編バレエ小説『spring』、待望のスピンオフ刊行!全12章で描かれる、最高の後日譚『spring another season』【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/12/10

spring another season
spring another season(恩田陸/筑摩書房)

 どことなく中性的で、美しいHALという名の男の子。映画『2001年宇宙の旅』に登場する、宇宙船で人間と敵対するコンピューターと同じ名前。漢字では、春。跳ねる、芽吹く、湧き出す、さまざまなspringをそなえた天才的な振付師――。そんな彼をめぐるバレエ業界の人々を描き出した小説『spring』(恩田陸/筑摩書房)は、本屋大賞にノミネートされたほか、発売10日で二度目の重版が決定するほどの反響を呼んだ。拍手喝采のアンコールにこたえるようにして発売されたのが、スピンオフ短編小説集『spring another season』(同)である。

 バレエ団に入り、舞台に立つ資格を得ている時点で、みな、ある程度の才能は保証されている。正しく、美しく、踊れるのは当たり前。重要なのは、いかに魅せるか。競争の激しいその世界で生き残るには、したたかさも必要だ。鳴り物入りで入団したヴァネッサは、いかにもアメリカらしい派手なパフォーマンスがクラシックバレエにはそぐわないと、あてこすりを受け続けて心を痛めていた。そんな彼女に、春は言う。

「言ってやんなよ、私を主役と認めてくれてありがとう、引き立て役どうもありがとう、おかげであたしはぐんぐん成長しちゃうし、主役の自覚が芽生えましたわって」

 痺れた。それは、驕っているのとは全然、違う。本当に才能のある人が見ているのは、個人の感情で惑わされるちっぽけな世界なんかじゃない。美しく洗練された、めざすべき芸能にたどりつくため、揺るがぬ個をたずさえ、自分を信じて挑んでいく。その気高さこそが才能の証なのだと、おもいっきり、突きつけられた気がした。

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 同時に、本編で春が言っていたことも思い出した。〈スーパースターと呼ばれる人たちは、すべてがクリアだ。「私のことを分かって」などという、うじうじした雑念なんてどこにもない〉。我は強いけれど「自分」に固執しない。どこか軽やかな彼らの生き様に打たれ続けて、ページを繰る手が止まらない。

 才能は、自分とは異なる才能とまじわることによって、さらなる進化を遂げていくのだということが、本作を読んでいるとよくわかる。〈美を求める者と、与える者との、一筋縄ではいかない、それこそ奇跡のような、つかのまの魂の交歓〉という言葉もあったけれど、誰にも譲り渡せない自分だけの踊りを、生き様を磨くためには、他者との出会いが不可欠なのだ。

 ひとりでは生み出せない情動、得ることのできない視点と感性、怒りも悲しみもすべて貪欲にのみこんで、芸は磨かれていく。春の場合は、いずれ別れることはわかっている、恋人フランツとの関係が大きかった。天才という肩書で見過ごされがちな春とフランツ、二人の人間くさい痛みをはらんだ一面に本作ではかなり踏み込んで触れることができる。もうひとり、春にとって深い交歓の相手である師匠ジャン・ジャメの心にも。

 読者のほとんどはきっと、彼らのようには踊れない。でも彼らの物語を読むことで、世界に満ち溢れている音楽と踊りを心に溶かし、魂を交歓できると信じられる。祝福に満ちた最高の「後日譚」である。

文=立花もも

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