読む順番で結末が変わってしまう不思議な小説『I』「あなたの選択が、人の生死を決定する」【道尾秀介インタビュー 前編】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/12/15

 読む順番で物語が変わる『N』から4年、続いて道尾さんが挑んだのは、読む順番で結末さえも変わってしまう最新作『I』だ。本作について、お話をうかがった。

 収録された6つの短編を、どういう順番で読むかによって、読後の印象が720通りにも変わる。小説の概念をくつがえした『N』から4年、最新作『I』で道尾さんが挑戦したのは“2編のどちらを先に読むかで、読み心地も結末もすべて変わってしまう”物語。

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「誰に話しても不可能だと言われたんですよ。いや、できるはずだ、物事の解釈は読み手の受け止めかたによって変化するんだから、と思ってプロットを考えはじめたのですが、すぐにその難しさを思い知りました(笑)。でも、そもそも僕たちは日々、何をもって目の前の事象を真実だと判断しているのでしょう。誰かから教えられたこと、会話のなかで感じとったこと、それらすべては主観でしかないのに、ほかに解釈の余地はないと信じ込んでいる。その不確かさを利用すればきっと、狙いどおりの物語を書けるはずだと信じていました」

 人は見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる、とはよく聞く話だが、今作を読むと“こうあってほしい”という思い込みがいかに強固であるかを思い知らされる。「ゲオスミン」と「ペトリコール」(記載は単なる五十音順である)という二つの物語、どちらを先に読むかによって、多くの人の命が救われるか、失われるかが決まる。けれど、その仕掛けを知って逆順で読み返しても、最初に自分が読んだ結末に帰着するように脳が補正をかけてしまうのだ。

「ああ、嬉しいですね。タイトルの『I』は“私”。まさに、自分の確かさすら見失うような読後感を得てほしいと願っていました」

 そもそも私たちは、何をもってはじまりとし、終わりと決めるのだろう。卵が先か、鶏が先か。永遠に答えが出ない問いをも、本作は突きつけてくる。決めるのはけっきょく、こうであってほしい、あるはずだという主観でしかないのだということも――。

「ゲオスミンとペトリコール、その意味を知らない方は、調べないまま読みはじめるのもいいですね。ホームレスの元刑事に出会った男と、世間を震撼させた一家殺害事件で生き残った少女。どちらの物語を先に読みたいか、直感だけで決めるのも面白い。どちらも読みたくなるような最初の一文をご用意しています」

 無限の予算と人脈を手にしたとして、それでも小説として描きたいものでなければ、絶対に書かない。それが、道尾さんの信念だ。なぜなら、道尾さんは誰より、小説の可能性を信じているから。

「小説というのは、たいしたものだと思います。誰もが一行目からずっと、集中して文字を追っていかなくてはいけないから、誤解しようがないように見えるのに、主人公がフォーカスしているもの以外は、簡単に消すことができる。映像なら、たとえば視界の端を横切った鳥の存在に主人公が気づかなくても視聴者は気づく、ということが起こりうるけど、小説の場合、読者は主人公の見落としや思い込みを一緒に味わいながら、隙間を想像で埋めていくことになる。その没入感を利用すれば、体験型エンターテインメントとして小説を提供することができるんです」

 ただ読むだけの、受け身の行為。そんな先入観を道尾さんは、また打ち壊そうとしている。

「今は、モノよりコトが重視される時代。所有することより、手ごたえのある実感が求められているからこそ、小説も、もっとコトに寄るべきだと僕は思う。実体験以上の躍動を、これからも小説を通じて追求していきたいんです」

取材・文:立花もも 写真:川口宗道

みちお・しゅうすけ●1975年生まれ、東京都出身。2004年、『背の眼』でデビュー。著書に『カラスの親指』(日本推理作家協会賞)、『龍神の雨』(大藪春彦賞)、『光媒の花』(山本周五郎賞)、『月と蟹』(直木賞)など多数。

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(道尾秀介/集英社)1870円(税込)

両親を殺され、家を焼かれた事件の生き残りである夕歌が抱えている秘密とは(「ペトリコール」)。2編の物語のどちらに先に触れるかで、結末はまるで違ったものになる――。

I (集英社文芸単行本)

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