「ハッピーエンドではない物語が好きだった」小説家・星野智幸が初の絵本で表現した100年後の未来『うちゅうじんに なる み』【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/12/10

 さまざまなジャンルで活躍する創作者たちが想像力を駆使して絵本を舞台に100年後を描き出す「100年後えほん」シリーズ(岩崎書店)。子どもたちに100年後の未来を夢見てワクワクドキドキしてほしい、という願いから誕生したシリーズだ。
 第2弾となる今回は、『焰』で谷崎潤一郎賞を受賞し、現実と幻想が混ざり合った作品を多くがけている小説家・星野智幸さんの初の絵本『うちゅうじんになるみ』。星野さんが絵本の中で表現した100年後の未来とは——。絵本の制作秘話から今後の展望までお話を伺った。

「百年前の人たちのことを思い浮かべた」小説家・星野智幸の初の絵本

――岩崎書店「100年後えほん」シリーズ第二弾となる『うちゅうじんになるみ』は、星野さんにとってはじめての絵本です。「100年後の未来」というテーマから、どのようなイメージをふくらませていったのでしょう。

星野智幸(以下、星野):まず、百年前の人たちのことを思い浮かべたんです。自動車は普及していたけれど、日本では民間の飛行機が飛び始めてまもなく、今とは生きている感触もスピード感もまるで違ったはず。だとしたら、百年後の未来に生きる人たちの生活を、僕たちが実感としてもつことは不可能だろうと思いました。テクノロジーの発達については、精緻に想像することである程度、近づくことはできるかもしれないけれど、価値観を共有することはできないだろうな、と。もしかしたら、人間とはなにか、というとらえかたそのものが変わっているかもしれない。僕たちが境界だと思っているものが溶けているかもしれない。だったらいいな、という願望もこめて、宇宙に生きるひとつの生物としての自分たち、というものを描いてみたいと思いました。

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――それで、宇宙に住むスズメちゃんという女の子が、宇宙人になる実を食べるところから、物語が始まるのですね。

星野:それを食べることで、自分とはなにかを認識するまなざしが変化し、自分は宇宙人であるというふうに意識がうつりかわっていく姿を、身体的な感覚とともに描けたらいいなあ、と。百年後の人たちのことも、宇宙に生きる自分とは異なる生物のことも、わかるようでわからない。わかろうとしても、ただちに共有できるものでもない。でも、わからないことも含めて、そのまま、あるがままを受け止めることで、他者との境界線がとけていく。そんなありようが、未来では当たり前になってくれていたらいいな、とも思いました。

――絵のすさまじい迫力もあって、ページをめくるごとに、まさに境界が溶けていくような感覚を味わいました。

星野:そうなんですよ。絵がある、ということの強さを、改めて今作を通じて思い知りました。小説と違って、絵本は、言葉で説明する必要がないんですよね。むしろ、そこは思う存分ゆだねたほうがいいのだと、担当編集者さんからもたびたび言われました。そうはいっても、僕は小説家なので、最初は短編小説を書くように物語をつくっていたのだけど、「ここはいりませんね」「ここも不要です」とどんどん刈りとられていくから、最初は混乱しました。説明せずに物語を書くってどういうことだろう……と。

――いま、絵本に残されている、説明らしい説明といえば、冒頭の〈22 せいき。/にんげんは うちゅうのほしに すんでいます。/つきや かせいにも すんでいます。〉くらいですね。

星野:スズメちゃんが宇宙人になりたいと願っている、という前提も、「宇宙人になる実」を食べているんだから、それはそうだろうということで、説明しない。理由もいらない。それでも物語が成立したのは、nakabanさんの絵の力があってこそだと思います。nakabanさんとは『だまされ屋さん』という小説の挿画をお願いしていたこともあり、信頼関係がそもそも築かれていたのは幸いでした。もともとね、新聞連載していたときも、なるべく小説のワンシーンを抽出するような絵にしないでください、とお願いしていたんですよ。

――説明しないでほしいと。

星野:そうなんです。実際、nakabanさんは、小説から受けとったものを、nakabanさんにしか表現できないかたちで描いてくれて。小説を書く作業というのは、密室にとじこもって、どんどん内側にもぐっていく作業でもあるので、心が停滞してしまうこともあるのですが、そういうときにnakabanさんの挿絵に触れると、心にすうっと風が通るような気持ちになれました。きっとこの絵本でも、そういうものを描いてくれるだろうという信頼があったから、多少の無茶ぶりをしても大丈夫、と思えたことも大きかったです。これだけ言葉を削っても、きっと、芯にあるものは受けとってくれるだろう。そのうえで、開放感のある力強い絵を描いてくれるだろう、と。

「小説の核心に詩がある」

――実際、ものすごい迫力の絵が、どのページにも広がっていて、画集を手に入れたような気持ちになりました。宇宙から人間をみつめる、というと、「しょせんはちっぽけな存在なのだ」みたいなところに帰着しがちですが、星野さんが描きたかったのはそういうことではない、ということも伝わってくるというか……。

星野:すごいですよね。僕は最後の見開きの絵がとても好きなんです。てん、てん、てん、とともる光が、まるで飛行場のようにも見える。僕、夜の飛行場がとても好きなんですよ。ここは果ての場所であり、そして、どこでもないところに飛び立つ場所でもあるんだなあ、という感じがして。絵の一枚一枚が、独立した存在ではなく、物語として連なっているのも素敵でした。物語のはじまりでは、溶けたアイスクリームにむらがるアリたちを、スズメちゃんはみおろす存在なんだけど、終わりのほうで、そのすべてが一体化してひとつの宇宙人のようになっている。

――そんな描写は、言葉ではどこにも語られていないけれど、でも、文章の隙間にはたしかにそういうシーンがあるのだ、ということが伝わってくるのが、この絵本のすごみだなと思います。

星野:それがまさに、nakabanさんにしかできない解釈なんです。どのページも僕の想像をこえたものが飛び出してきたので、すみずみまで眺めるだけで僕もとても楽しいです。

――どのページも、文章は2~3行ですよね。担当編集者の助言があったとはいえ、短編小説のように物語をつくろうとしていた星野さんが、なぜ、ここまで言葉を削っていくことができたのでしょう。

星野:どこまで絵にゆだねて、どこまで説明すればいいのか、まだ悩んでいたころに、たまたま谷川俊太郎さんの絵本にまつわるドキュメンタリーが放送されているのを観たんです。そのとき、なるほど、絵本というのは小説ではなく詩なのだ、と感じたことが大きかったですね。実をいうと僕は、詩に苦手意識があって……。大学時代、創作の授業で書いた詩に盛大なだめだしをくらってから、あんまり触れないようにしていたのですが、去年から少しずつ、詩について考える機会が増えていたんです。

――なにか、きっかけがあったんですか?

星野:知り合いの詩人・野村喜和夫さんから、トークイベントに出てくれないかと誘われて、苦手だからと断ったところ、「星野さんは以前、小説の中の一番大事な核心には詩があると言っていたじゃないですか」と言われたんです。記憶にはなかったけれど、僕の言いそうなことだなあ、と(笑)。だとしたら、イベントを通じて、詩について根掘り葉掘り聞いてみるのもいいかもしれない、と参加してから、これまでやってきた表現の外側にある言語を書きたい、という欲求がふくらんでいきました。

――じゃあ、絵本のオファーは、星野さんにとってぴったりのタイミングだったんですね。

星野:そうですね。そもそも、言語化できないものをあえて言語で表現をするのが文学というものだと僕は思っているんです。それも、エッセイなどほかの形式で表現できるものなら、小説にする必要はない。構想中にはいっぱいメモをとりますが、メモで説明できていることも、基本的には書かないようにしています。そうして、小説にしかできない表現を重ねていくと、自然と言外に……読者の心に浮かびあがってくる救いがある。そういうものを、僕は表現していきたいし、それが「小説の核心に詩がある」ということなんじゃないでしょうか。

――その核心を、今回の絵本ではより繊細に、掬いあげていますよね。ページをめくるごとに、言葉と絵と一緒に心のなかの宇宙が膨張して、ぐんぐん、自由に広がっていけるような気持ちになれました。

星野:ありがとうございます。言葉では説明のつかないその感覚を、読んでくれた人が味わえるようなものであれたら、と思いながら書いていましたし、nakabanさんのおかげでそういう力をもった絵本になれたんじゃないでしょうか。ひとりで書いているのではない、という想いがあるからこそ「みんなで混ざろうよ」というテーマがきわだつ作品にもなったのではないか、と思いますし。

 ひとりで小説を書いていると、新しい作品であってもどこか、また同じことをくりかえしている、と感じてしまう瞬間があって。とくに大人向けの小説となると、自分の内側にあるものを映し出すことも多く、創作しているのだという感覚を見失いかけることも増えていました。そんななか、皆さんの力を借りながら、これまでの自分とは違う場所で、これまでと違う表現のかたちを切り開けたことを、とてもうれしく思っています。

小説家として大切にしている「“自分”ではない場所に行きたいという想い」

――今回の絵本を描かれたことが、いずれ、小説での言語表現にもフィードバックするであろう手ごたえはありますか?

星野:それは、もちろん。今すぐ、反映されるものではないと思いますが……。かつて純粋に本を読むのが大好きだった子供のころの僕が、きっとこの絵本を手にしたら宝物のように大事にしただろう、と思える作品を書けたことは、えがたい経験になっているはずです。

――ちなみに、ご自身が子供のころ、とくに好きだった絵本はありますか?

星野:何度も読んでいたのは、『かたあしだちょうのエルフ』。黒ひょうを救うために、主人公のだちょうが力をふりしぼった結果、木になってしまうという物語です。わかりやすいハッピーエンドではない物語が好きだった、というのもあるでしょうが、昔から植物に……というより、人間以外のものになりたい、自分という枠を脱したいという想いを抱いているので、惹かれたのだと思います。

――『うちゅうじんになるみ』にも通じるところがありますね。

星野:そうですね。僕たちが把握できる、きちんと線引きできるような自我を溶かして、外側に出ていきたい、「自分」ではない場所に行きたいという想いは、僕が小説を書くうえでも大事にしていること。そういう意味では原点ともいえる作品だと思います。今回は宇宙人というかたちをとりましたが、限界をこえてのびやかに、自由に、人が解き放たれていくさまを、その意識のありようを、これからも考えながら物語を紡いでいけたらいいなと思います。

取材・文=立花もも 撮影=島本絵梨佳

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