かつて「医術が穢れる」と言われた女性の医術参入。パイオニアになった女性たちの時代を切り拓く生き方【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/12/11

明治を生きた男装の女医高橋瑞物語
明治を生きた男装の女医高橋瑞物語(田中ひかる/中央公論新社)

 長年「ジェンダーギャップ指数」(男女格差の現状を各国の統計から評価した数値)の低さが指摘され続けてきたこの国で、このほど女性首相が誕生した。特に政治分野のスコアの後退が近年指摘されていたのに、まさかの政界トップに女性がのぼりつめたのだ。これは間違いなく大事件で、少なくとも高市早苗首相は政界における「女性進出のパイオニア」といえるだろう。先人女性の生き方は後輩女性のロールモデルとなるものだが、ことパイオニアとなればその影響力は絶大。おそらくこの先、彼女に憧れて政治をめざす女性も増えるに違いない。

 今は当たり前に女性が進出している領域でも、このように最初はその道を切り開いたパイオニアがいる。昨年の朝ドラ『虎に翼』で法曹界のパイオニア女性が登場したのは記憶に新しいが、たとえば「医学」の分野にはどんな女性たちがいたのかご存じだろうか。このほど文庫化される『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(田中ひかる/中央公論新社)は、明治23年(1890)にドイツへ初の私費留学を敢行した女医の高橋瑞を中心に、医学界のパイオニア女性たちを描く1冊。「医術が穢れる」との社会的偏見にも屈せず、時代を切り拓いた彼女たちの生き方は力強く、勇気がわいてくる。

内務省に、女性に医術開業試験の受験を許可するよう請願

 主人公の瑞は嘉永5年(1852)に西尾藩士の末っ子として誕生したが、維新後に家は没落。未婚のまま長兄の家で子守として過ごしていたが、もともと利発だったため「瑞は学問をやるといい」という亡父の言葉を胸に24歳で家を出る。旅芸人の賄い、住み込み女中、短い結婚などさまざまな経験ののちに前橋の産婆・津久井磯子の内弟子となり、28歳のときに東京で産婆の資格を取る。とはいえ産婆として救える命に限界を感じた瑞は医者を志し、女性にも医術開業試験の受験を許可するよう内務省への請願を始めるのだ。

advertisement

 同じ頃、のちに女医第一号となる荻野吟子や第二号の生澤久野らも個別に請願を行っており、彼女らの悲願かなって明治17年(1884)に医術開業試験が女子も受験可能に。とはいえ当時はまだ女性が医学を学べる場自体がなかったため、瑞は私立医学校の設立者に連日校門で直談判して入学許可を勝ち取る。かなりの体当たりぶりだが、彼女がこうして正面から門戸をこじ開けてくれたからこそ、その後は多数の後輩女性が同じ学校で学ぶことが可能になった。ちなみに彼女たちはみな絣の着物に男袴のような「男装」スタイルで学校に通ったというが、偏見にまみれた社会の中で生きるには時には男への擬態も必要だったというわけだ。

留学先のドイツでも、体当たりで学びのチャンスを勝ち取る

 その後36歳で公許女医第三号となった瑞は日本橋に「高橋医院」を開き、さらに「もっと医学を極めたい」と借金をしてドイツへ私費留学。当時の日本に大学で女性が研究する道はなかったための選択だが、実はドイツに到着して「ベルリン大学は女子を受け入れていない」ことが判明する。だが瑞は屈しない。身なりにもまるで頓着せず、またもや体当たりで学ぶチャンスを勝ち取ってしまうのだ。そんな瑞に「よくぞ!」と喝采を送りつつ、その激しいほどに前のめりな意欲にはなんだか身も引き締まる。

 瑞をはじめ本書に登場する女性たちの人生はいろいろだが、みなある種の「激しさ」を秘めている。もちろんだからこそ時代や社会に屈せず、時代を切り拓くパイオニアとなったのだろう。彼女たちの奮闘にあらためて感謝すると共に、大いなる刺激を受けるのは間違いない。

文=荒井理恵

あわせて読みたい