処分間近の保護犬を受け入れ、災害救助犬として訓練する団体にインタビューして作られた絵本『あしたはいきたい』【インタビュー】
公開日:2025/12/12

『あしたは生きたい』は保健所にて保護された名もなき犬が、やがて人を救う災害救助犬となるまでの物語を描いています。
絵本の制作は、Tiktokにて読み聞かせコンテンツをアップロードしている関谷さん(アカウント名:たま)からの依頼で始まり、彼によってイラストレーターと作家が集められました。
イラストを手がけたのは『もうじきたべられるぼく』を描いたはせがわゆうじさん、文章はもりのきつねが担当しました。
実際に処分間近の保護犬を受け入れ、災害救助犬として訓練する団体にインタビューを行い、絵本は制作されました。
「表現をキツくする必要はありませんが、読んだ人が、保護犬についてや、生きることについて考えるとっかかりになるぐらい刺さるいいモノを作りましょう」
この言葉は、第一稿の「あしたは生きたい」を提出した際にイラストレーター・はせがわゆうじさんに言われた言葉です。その言葉をいただいた時、柔らかい口調に対して、私の魂に何かグサっと命中しました。いたたた!
制作時念頭にあったのは、保護犬が愛護団体に救護され、災害救助犬となるまでのストーリーを描く、ということ。「インタビューした保護犬について絵本にする」ということ以上のメッセージや、広がりを持たせる必要はなかったと言えます。それでも、この作品が「保護犬の絵本」から「命について考える絵本」となったのは、ひとえに冒頭のはせがわさんの激励の言葉があったからでした。
もっとよい作品にできるはず。この絵本が、ただの「かわいそうなワンちゃんのお話」とならないように、もっと慎重に、大切にことばを綴ってみたい。
そう思い直して、一度最初の案を白紙にして、目を瞑った瞬間、最初の一行がするり、と降りてきました。

犬の視点から描く
ケージの向こうで、じーっとこちらを見つめている犬の物寂しそうな黒目がちな目。その犬は怯えているようにも、覚悟を決めているようにも、何もわかっていないようにも見えます。はせがわさんが生み出した、純朴な犬の瞳は、ページを捲る読者に助けを求めるようにじっと見つめてきます。
絵本を作る際、“犬の視点”であることを強く意識して描いていました。そのため、犬らしい感性が所々の表現に現れているかと思います。例えば保健所を表現する「ここは、あのまっくらな『かげ』のねぐらさ」や、地震を表現する「じめんが いろんないきものの 『あした』を たべた」など。「犬の視点で描く」ということを徹底し、人間の視点からは生まれない表現を使ってみました。
あえて“犬の視点”を強調したことにも理由はありました。保護犬のお話を描くとなると、どうしても保護された犬と人間、という関係性にフォーカスが当てられがちです。そうするとどうしても保護された犬には「かわいそうな個体」という解釈を読者に与えてしまいます。
この絵本では、そもそも犬や猫などの生き物が「人間が助けるべき弱々しい対象」なのではなく、「その個体にも独自の意思・想いがある尊い存在」という当たり前を描きたいと思いました。
かわいそうだから、生かすのではありません。誰にも代えられない尊重されるべき一匹の個体だから、生かされるべきなのです。その主張をするには、まず自分が主人公の犬を個性豊かで、自立した考えを持つ個体として描く必要がありました。
被災者との対比
途中で物語の語り手は犬ではなく、被災して瓦礫の下に埋もれてしまい救助を待つ女の子に切り替わります。この物語が「災害救助犬の訓練を受けた保護犬の物語」である以上、災害について描写する必要性は最初からありました。その描写の方法として、新しく物語の語り手として被災した女の子を紹介したのには目的がありました。
保健所で生死を人間に委ねられ不安に思う犬や猫の気持ちと、被災して瓦礫の下で救助を待つ人たちの気持ちが、残酷にも類似していると思ったからです。正直、この対比には批判が寄せられると思いましたが、本人の生きたいという想いとは別のところで生死が決まってしまうという究極の状態は類似点があるように思います。
「自分にあしたはこないかもしれない」と思う、一人と一匹の主人公。この二つの物語が交差する瞬間にぜひ、絵本で出会っていただければ嬉しいです。
まっくらな寂しい夜のお供に
「もしあしたも生きられたら、何をする?」
生きることを剥奪されそうになった時、生きて本当にしたいことが、はじめてわかるような気がします。それは、お金持ちになりたいだとか、とても高価なものがほしいとかではなく、案外もっと些細なことかもしれません。例えば、大切な人に「大切だよ」って伝えて、抱きしめて、笑って、太陽の下で走り回って、背伸びしたり、駆け回ったりとか。そういう毎日できるような、些細なこと。
きっと、本当に幸せなことって、生きてこの体でただ生活することなのかも。それに気が付くきっかけとなれば嬉しいなぁ、と思って瓦礫の隙間からあしたしたいことを夢想するシーンを描きました。そうだよなぁ、自分がしたいことって、自分の心が喜ぶことって案外こういう些細なことだよなぁ、って思い出すきっかけとなれば嬉しいです。
ひとりぼっちで悩んでいる時、どうしてもそういう大事なことが頭からぽろっと落ちてしまうことがありますよね。私もそういう瞬間がたくさんあります。きっと読んでいる方の中には、丁度いまそういう瞬間の最中に居るのかもしれません。
喜ばしいことに、絵本のよいところはその人が絵本を持っている限り、何度だってその人に語りかけられるということです。それに、小説とは違って読む際の労力が少ない。疲れて悲しい人が、さらっと読んで、大切なことを思い出すには最適な読み物なのです。だから、何度も伝えたい大切なことを綴るのには、絵本ってピッタリだなぁって思います。

主人公の犬の、あしたを拒否するあなたのいかなる理屈も吹き飛ばすような、強くて大きくて、たくましい鳴き声。はせがわさんが一線一線、心を込めて描いてくださった、この力強い見開きページ。眠れない夜にこのページを開く方がいたら、ここには隠し文字が隠れているので、ぜひ探してみてください。
「自分なんて」と思う人へ
被災した女の子が救助されるページでは文字を入れるか、入れないか、編集者さんと話し合いました。「もう大丈夫だよ」など、何か一言あると、女の子が救われたことを読者に伝えられるから、という理由でした。でも、結果的に私のわがままで空白のままとなりました。このページは制作時から空白にしようと考えていたのです。
だって、救われる言葉は人によって違うから。
「もう大丈夫だよ」で安心して、救われた気持ちになる人もいれば、そうじゃない人もいます。誰の、どんな言葉で救われるかは、人によって様々ですし、状況によっても異なるはずです。だから、このページには“読んでいる方にとって救われることば”を、当てはめてほしいと思っていました。
私は書籍って、読者と書き手が共同で作る作品だと思っています。
誰かに読んでもらえて、初めてその作品は一つの特別な意味を持つ気がします。そのための余白をこの作品に残すことはとても重要でした。
だから、改めて読者の方にはお礼が言いたいです。あなたがこの絵本を読んでくれて、何かを感じてくれてはじめて、『あしたは生きたい』は一つの完成した作品となりました。私だけでも、はせがわさんだけでも、ダメなんです。
だから、あなたがここまで生きていてくれて、ほんとうによかった。
●もりのきつね (モリノキツネ)
作家・イラストレーター。1997年兵庫生まれ、東京都在住。国際基督教大学卒業。すべての人にオーダーメイドの絵本を届けることを夢見て、現在はパーソラナライズ絵本出版社で修行中。小説や絵本の執筆も続けながら、いつか「森の魔女」になる日を密かに願っている。(2025年10月現在)
●はせがわ ゆうじ (ハセガワユウジ)
イラストレーター。広告、出版の仕事を幅広く手掛ける。画材は色鉛筆、クレヨン、ボールペン。散歩とひこうきが好きなのほほん人。著書に「もうじきたべられるぼく」「海を見たかったかかし」(中央公論新社)など。(2025年10月現在)
