西島秀俊主演ドラマで話題『人間標本』を読み解く。原作が突き付ける結末を「そういうことだった」で済ませてはいけない理由【ネタバレあり】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/1/13

人のいちばん美しい瞬間を切り取って、永遠にとじこめてしまいたい――。

 そんな欲望から人は絵を描き、彫刻をつくり、映像におさめる。けれど、それでは満足することができず、6人の少年を蝶のように標本にしてしまった榊史朗という男の告白から始まるのが湊かなえさんの小説『人間標本』(角川文庫)だ。これを原作としたドラマも、2025年12月よりPrime Videoで世界独占配信されている。

ドラマ版「人間標本」で榊史朗を演じた西島秀俊 ©2025 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.
ドラマ版「人間標本」で榊史朗を演じた西島秀俊 ©2025 Amazon Content Services LLC or its Affiliates.

 幼い頃から蝶に魅了され、蝶が目にする四原色の世界に憧れ、部屋中に標本を飾り、蝶博士とも呼ばれる有名な大学教授が、少年をそれぞれ蝶に見立て、その肉体を解体して飾る。それがただの猟奇犯罪にとどまらず、世間の耳目を集めたのは、殺された6人のなかに史朗の息子・至が含まれていたからだ。

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ドラマ版「人間標本」で榊至を演じた市川染五郎
ドラマ版「人間標本」で榊至を演じた市川染五郎

 インターネット上には、公開された史朗の手記を読んだ人たちのさまざまな憶測と考察が走る。あるいは、史朗と関わったことのある人たちが不安とおそれを吐露する。手記の読みごたえはもちろんなのだが、湊さんの本領は、その隙間に描かれるこうした大衆の反応にある気がする。

 センセーショナルな事件が起きたとき、人はなぜか自身との何かしらのかたちで接点を見つけようとする。当事者になろうとしながら、同時に、自分は安全な場所にいることに安堵し、無関係な顔をする。事件を語ることで承認欲求を語ろうとする心理。それを冷笑しながら、自身もその一部であることに気づかない愚かさ。読み手である私たちの誰もがきっと浮かべたことのある「わかったような顔」を突きつけられて、背筋がぞわぞわしてしまった。

 実際、事件の真実は、大衆の想像が及ばないほど深い場所にある。

 史朗の盟友ともいえる画家の一之瀬留美が、蝶と同じ四原色の目をもち、史朗と同じ景色を見ながら、まるで異なる情景を脳裏に焼きつけていたように。ある意味では互いの配偶者より深く通じあい、支えあっていたはずなのに、それぞれ胸のうちに抱いていた思惑を見抜くことができなかったように。

ドラマ版「人間標本」で一之瀬留美を演じた宮沢りえ
ドラマ版「人間標本」で一之瀬留美を演じた宮沢りえ

 すぐ隣で肩を並べている人が、何を考えて、何を秘めているのかすらわからないのに、赤の他人が起こした事件の真実なんて、誰も知りようがない。それなのに私たちは懲りずに、いつも、わかったような顔をしてしまう。

 怖いから。

 はやくに妻を亡くしひとりで育ててきた息子を、史朗が誰よりも深く愛していたと知るよりも、蝶に魅了されて頭がおかしくなったサイコパスなのだと決めつけてしまったほうが、安心できるから。自分たちと犯人は似て非なるもので、その穴に自分は決して落ちないと思いたいから。だから、史朗の虚偽の告白をあっさりと信じてしまうのだ。冷静に考えて、それほどおそろしい事件を起こした猟奇殺人犯が、あっさりと真実だけを語るとは限らないのに。

 と、思えるのは、とおりいっぺんの物語で済ますはずがない湊かなえという作家の凄みを知っているからにすぎない。

【以下ネタバレあり】猟奇殺人犯は榊史朗ではない。犯人は誰?

 というわけで、ここからがネタバレである。

 榊史朗はもちろんただの猟奇殺人犯ではない。わかったような顔で外野がさんざん騒ぎ立てたあと、真の告白が始まる。その主は、史朗の息子の至である。真の殺人犯は彼で、史朗は息子を守るためにすべての罪をかぶり、息子を手にかけることで父としての責任をとったうえで、死刑判決を受けて息子とともに地獄に堕ちる覚悟であったことが明かされていくのだが、ここで見事なのは、真実が知らされたとしても、本当のところは誰にもわからないということである。

 至を除く5人の標本にされた少年たちはそれぞれ、留美の後継者候補と見込まれるほど絵の才能に恵まれていた。至もまた、写実の才能が人並外れており、少年たちとともに留美の合宿に参加することで刺激を受け、一筋縄ではいかない個性をもつ彼らに友として惹かれもする。

至とともに合宿に参加した少年たち
至とともに合宿に参加した少年たち

 けれど彼らはそれぞれ、蝶の表と裏とで模様が異なるように、二面性を抱いていた。殺されても仕方がない、とまではいかなくとも、落ち度はあったと他者に思わせてしまうような。

 ここにも、読み手が「納得」するようなわかりやすい理由が用意されている。それは史朗が至の告白を踏襲して手記に綴ったことでもあるのだが、では、裏があるから殺されてもいいといえるだろうか? 息子の所業に絶望して凶行に及んだ史朗は、仕方がなかったといえるだろうか? そんなわけがない。でも、私たちは読み進めていくうちに納得してしまう。

「ああ、そういう事情があったなら、そういうことをしてしまっても仕方がない部分はあるかもね」

 史朗をサイコパスに仕立て上げたのと同じように、今度は優しい父親の陥った悲劇として物語をつくりかえてしまう。

 実際、史朗と至の親子愛は美しい。さらなるどんでん返しを経て史朗が慟哭する姿には、胸を衝かれずにはいられない。でも、それでも私たちは、ラストにたどり着いてなお、「そういうことだったのか」とわかったふりをしてはいけない。納得して、終わりにしてはいけない。そんな気がしてしまうのだ。

イヤミスの女王・湊かなえが込めた思い。「親の子殺しというテーマに一度向き合ってみたかった」

 湊さんはときに「イヤミスの女王」と呼ばれる。最新作の『暁星』をはじめ、物語の設定も展開も、読後になんとも消化しきれない想いを抱かされるものがたしかに多い。けれど湊さんが書き続けているのはずっと、人が人を愛しぬく姿であり、その想いのすれ違いによって生まれる悲劇だ。

 湊さんのデビュー作『告白』もまた、ある罪を犯した人の告白から始まる。ひとりで育ててきた最愛の娘を不慮の事故で亡くした女教師が、その命は故意に教え子たちによって奪われたと知り、復讐を決意する。その教え子たちもまた、愛を求め、自尊心を満たされたがって、間違いを犯す。なぜそんなことになってしまったのか。どうにか、どこかで、引き返すことはできなかったのか。ボタンのかけ違いによって起きた悲劇は、もうひとつ何かをかけ違えていれば「ばかだなあ」と笑える未来につながっていたかもしれないのに。そんな想像をせずにいられないから、読み終えたあとにみな、苦しくなる。

 描かれる死は、生への渇望。憎しみは、反転した愛。物語をそのまま受けとらずに裏の裏まで読み解いて、自分たちが生きていく糧にする。それこそが湊さんの作品の楽しみ方なのではないだろうか。

 親の子殺しというテーマに一度向き合ってみたかった、という湊さんが物語に込めた想いに、ラストの慟哭に詰まった深い愛に触れて、何を感じとることができるのか。それこそが、読み手である私たちが人生に求める核なのではないかと思う。

文=立花もも

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