“好きな人と一緒に暮らす”当たり前の幸せが突然奪われた。在留資格を失った外国人とその家族を描いた『やさしい猫』
更新日:2023/7/7

ドラマ化で話題の中島京子さん『やさしい猫』(中央公論新社)は、タイトルからは想像できない、痛みと祈り、そして戒めに満ちた小説である。
語り手のマヤは幼いころに父親を亡くし、母のミユキさんとふたり暮らし。クマさんと呼ばれるスリランカ人の男性に出会ったのは小学4年生のときだ。「マハマラッカラ パッティキリコララーゲー ラナシンハ アキラ ヘーマンタ クマラ」。とても覚えきれない長い名前をもつ、自分たちとは異なる文化と背景を背負った異国の人。だけど日本に来て言葉を学び、まじめに働き、負けず嫌いで頑固なところはあるけれど、困っていれば手を差し伸べてくれる、普通の人である。
だけどミユキさんがクマさんと付き合っていると知ったとき、あるいは結婚すると聞かされたとき、多くの人が「騙されてない?」と心配する。会ったこともない友だちの友だちが、お金をとられたことがある、などと言って。
ミユキさんは言う。結婚後に夫が豹変して暴力をふるうようになったとか、既婚者であるのを隠されたまま結婚の約束をしていた、なんて事例は、目に見える場所にもたくさんあるけど、日本人の男と結婚するなんて大丈夫?なんて思わない、と。そんなミユキさんでさえ、クマさんは「ちゃんとした人」なのだからと過剰に庇うことで、みずからも外国人に対する色眼鏡に加担し、クマさんを追い詰めていたことに気づくシーンには、はっとさせられる。
いくつかの不注意によって、やがてクマさんは在留資格を失い、オーバーステイをしてしまう。そして、その相談をするため、入管に向かう途中で警察に捕まり、不法滞在の罪で何ヶ月も勾留されることとなってしまう。どれだけ事情を訴えても聞き入れてもらえず、愛するミユキさんとマヤにすべてを任せ、ただそこに居続けることしかできなくなったクマさんは、尊厳を奪われたまま、心身を衰弱させていく。
クマさんを救い出そうとする過程で、マヤは、在留外国人がおかれた理不尽な状況を目の当たりにしていく。「日本人は、あそこでなにが起こってるか、ぜんぜん知らないよね」というのは、クルド人の両親をもつハヤトという少年のセリフだが、マヤだけでなく読み手の心にも深く突き刺さる。そして、思い知る。知らないのは他人事だからなのだと。関係ないから、知ろうともしない。わかってもらえないのを知っているから、そして何より、自分たちが晒されている状況が言葉にするだけで傷ついてしまうものだから、クマさんもハヤトも詳しくは語らない。そして、自分一人でどうにかしようとしたことが、ときに状況を悪化させていく。
クマさんをとりもどすため、マヤやミユキさんは裁判を通じて、彼がかけがえのない家族であることを証明しようとする。血が繋がっていなくても、文化や価値観が違っていても、人は家族になれるのだということを証明する、本作は家族の物語である。そして同時に、この国にやってきた外国人労働者や難民の人たちが、私たちの家族になりうる「個人」であるということを、自分事として知っていく物語なのだと思う。この国に存在するのは「ガイコクジン」でも「難民」でもなく、誰かにとってのクマさんで、誰かにとってのハヤトなのだということを。
文=立花もも