喜多川泰×けんご なぜ小説を書くのか、なぜ小説を推すのか 喜多川作品一挙4作文庫化記念対談
更新日:2024/8/22

起業して行き詰まってから経営の本を読んだ(喜多川)
喜多川 『けんごの小説紹介 読書の沼に引きずり込む88冊』を拝読したのですが、その88冊に入るためには、まず今も手にとって読めることが必要じゃないですか。僕が人におすすめしたいと思う本のなかにも、絶版になって手に入らないものが多い。そんななか、けんごさんが僕の本を読んでくれる今の状況は、本当にありがたいなあと思います。19年前に刊行されたデビュー作『賢者の書』がいまだに流通していることも、奇跡だなと。
――『賢者の書』は、何もかもがうまくいかずに絶望しているアレックスという男性が、14歳の少年サイードを通して9人の賢者に出会うことで導かれていくファンタジーです。
けんご 帯にある「あなたの心を奮い立たせる冒険の物語」という言葉が、まさにそのとおりですよね。僕は基本的に、前向きに挑戦し続けようと思えるタイプだけれど、それでも何かを諦めてしまっていることってあると思うんです。やってみたいことがあっても、それは今じゃないとか、さすがにもうタイミングを逃しているよなとか、やらない言い訳を考えてしまうことがある。でもそうじゃないんだ、どうなるかわからかなくても一歩を踏み出さなくちゃ、と思わせてくれる物語でした。
喜多川 僕はけんごさんくらいの年齢のときに起業して、まったくうまくいかなかった経験があるんですよ。実をいうとそれまでは僕も本を読んだことがなくて、うまくやれるという自信ばかりが先走り、知識がまるでついていなかったんですよね。どうすれば自分だけでなくスタッフのみんなも路頭に迷わせずに済むだろう、と初めて経営の本を読んでみたら「こんなことも知らずに、よくやれると思ったな!」と自分自身に呆れることばかり。本を読むたびに発見があって、おかげで少しずつ状況を変えていくことができたから、人にも本を薦めるようになった。
――その状況も、けんごさんと似ていますね。
喜多川 そうですね。だからこそ、何かを知ることができたら、いつだって人生を変えられるし、遅すぎるということもないんだということを書きたいのかもしれません。みんなにその気持ちを押しつけたいというよりは、先ほども言ったように僕自身がそうありたいと思っているから。
なぜ「小説」を書くのか、なぜ「小説」を紹介するのか

――小説というかたちをとっているのは、なぜなのでしょう?
喜多川 小説だけが未来だから、かな。ビジネス書も、自己啓発書も、歴史書も、すべて過去を語ったものでしょう。ビジネス書しか読まないという人も大人には多いですが、著者の経験を知っただけで、読む人の未来を大きく変えてくれるかというと、そうでもない気が僕はするんですよね。でも、物語だけが未来を導いてくれる。だから歴史小説も、過去を舞台にしながらも描かれている内容は未来だと僕は思っています。
けんご 喜多川さんの小説って、他の方の作品に比べてアマゾンレビューが桁違いに多いんです。それはもしかしたら、物語を通じてみんなが自分の未来を語りたくなるからなのかもしれないな、って思いました。おっしゃるように、ビジネス書で語られるのは著者の経験だけど、喜多川さんの小説を読んでいると、自分の経験をふりかえって、そのうえでどうしたいかを考えたくなるんですよね。たとえば『君と会えたから……』を読んで、僕は高校時代、部活中に亡くしてしまった後輩のことを思い出しました。
――十七歳の夏を舞台に描くボーイミーツガールの小説ですが、「明日を生きることを約束された人なんてこの世に誰もいないのに、どうしてみんな今日一日をもっと大切にしないんだろう」というセリフなど、生死について考えさせられますよね。
けんご ふだんは、後輩のぶんまで頑張って生きよう、とまでは思わないんです。ただ、人ってあっけなく亡くなってしまうんだよな、ということは実感としてあって。あたりまえに流れる日常に改めて感謝したくなったし、生きていることはそれだけで奇跡なんだと読みながら思わされました。自分の人生を僕は自分なりに一生懸命生きなくちゃいけないんだな、と。それはやっぱり、小説というかたちだからこそだと思います。著者の経験や想いを越えて、登場人物たちの生きざまに触れることで広がっていくものがあるんだろうな、と。
喜多川 同じ本を読んだ経験を誰かと共有できる、というのも小説ならではのおもしろさかなと思います。決してみんな、読んで同じことを感じているとは限らない。実は同じ本を通してまったく別の経験をしている可能性は高いんだけど「読んだことある?」「あるある、いいよね!」って語りあうだけで通じ合えるものがあると思うんです。不思議ですよね。映画のように、まったく同じ映像を観ているときと、その感覚は違うんです。お互いに「わかる、あそこの場面いいよね」と言いあいながら、思い浮かべている映像が違うかもしれない。それは、自分だけの、誰にも明け渡すことのできない大事な世界です。でもその大事な感性で誰かと共鳴しあえたとき、得難い経験がまた一つ増えていく……。そんな無限の可能性が、小説にはあると感じます。

けんご 人それぞれ感性が違うからこそ、「伝える」ってことが難しい部分もやっぱりあると思うんです。とくに今の若い子たちは、オフラインでのコミュニケーションが苦手であることが多いなと思うのですが、そういう子たちにアドバイスはありますか?
喜多川 上手に伝える必要はまったくないと思うんですよ。僕自身が、何度も「書く」ことを繰り返していくうちに小説というかたちを生みだせるようになったように、へたくそでも、失敗しても、自分はコミュ障だなんてレッテルをはらず、誰かに伝え続けることが大事なんじゃないのかな。僕も、いまだに伝えることが上手だなんて、思っていないですよ。ただ一生懸命ではあると思う。何も伝えたいことなんてない、という人も、心の奥底を覗いてみれば、きっと一つや二つ、誰かと共有してみたい想いや経験があるんじゃないのかなあ。
けんご なるほど。
喜多川 先ほども言ったように、同じ小説を読んでいても、同じ情景は思い浮かべていないかもしれない。でも確かに通じ合えるものがあるとしたら、それが「伝わる」ということでしょう? どのみち100パーセント互いを理解できることなんてないのだから、一生懸命、自分の想いを伝えよう、相手の想いを聞きとろうとすることが大事だと僕は思いますね。
けんご でも、こちらが一生懸命に伝えようとしても、耳を傾けてくれない人もいますよね。僕自身、TikTokで活動していても、やっぱり、どうしても「本を読もう」と思ってくれない人はいるなあと、歯がゆさを感じていて……。
喜多川 けんごさんの活動を拝見するに、十二分によくやっておられると思います。それ以上を求めるのは、しんどくなるだけですよ。僕は講演活動もしているのですが、みずからの意志で来たはずの人のなかにも、まるで聞いていない、響いていない人がちらほらいますから。でもね、そもそも、言葉がどう響くかというのは、伝える側というよりも受け取る側の問題だと思うんです。僕はよく人生を変える講師と言っていただくけれど、人生が変わったとしたらそれは変えようとしたその人の努力によるものだということは、たびたびお伝えしています。
けんご ありがとうございます。僕自身は、伝えようとすることをやめたくはないので、頑張り続けようと改めて思いました。喜多川さんは今後、改めて挑戦したい小説のテーマはありますか?
喜多川 そうですねえ。歴史小説は書いてみたいと思っているけれど。まあ、いつになるのか、出るのか出ないのか。自然の流れに任せながら、僕も、僕にできることを頑張っていきたいとおもいますね。

取材・文:立花もも 撮影:島本絵梨佳