ドロドロで愛憎入り乱れる『カラマーゾフの兄弟』の長男がバカすぎて笑える場面を考察してみた/斉藤紳士のガチ文学レビュー⑳

文芸・カルチャー

公開日:2024/12/16

カラマーゾフの兄弟
カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー/新潮社)

世の中には二種類の人間がいる。
「カラマーゾフの兄弟」を読破したことがある人と、読破したことがない人だ。
あの村上春樹にこう言わしめたほどの名作、それがフョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」である。
世界的にも評価が高く、「人類文学の最高傑作」の呼び声も高い本作の魅力はどういったところにあるのだろうか?
「カラマーゾフの兄弟」に通底しているテーマは多岐に及んでいる。
血縁、宗教、土着信仰、恋愛、強欲、地位、名誉……、人間が生きていく上で起こりうるあらゆる諍いやあらゆる感情などを盛り込んでいて読む者を圧倒する。

地上には三つの力がある。そしてただその三つの力のみが、こんな弱虫の反逆者たちの良心を、彼らの幸福のために永久に征服し、魅了することができるのだ。その力とは、奇蹟と、神秘と、権威にほかならない。

本作の簡単なあらすじを紹介する。
強欲で放埒な地主フョードル・カラマーゾフには三人の子供がいる。
長男ドミートリイ、次男イワン、三男のアリョーシャ。三人の子供は、長男だけ先妻の子で、残り二人は後妻の子、さらにその二人の妻もすでに亡くしている。
フョードルはグルーシェニカという女性と再婚する、と息子たちを呼び寄せるが、その際ドミートリイと喧嘩をはじめてしまう。実はドミートリイもグルーシェニカに想いを寄せていたのである。しかし、ドミートリイにはすでにカテリーナという婚約者がいた。ドミートリイは資産家の令嬢であるカテリーナに多額の借金があり、それを返済してグルーシェニカと一緒になろうと目論んでいた。
そんなある日、ドミートリイは父を殺して金を盗もうと屋敷に乗り込むが使用人のグリゴーリィに見つかってしまい、彼を殴り倒してしまう。グリゴーリィを殺してしまったと焦り、逃げ去ったドミートリイのもとに同じ時、同じ場所でフョードルが何者かに殺されていたという知らせがくる。そして、ドミートリイには「父殺し」の容疑がかけられ…。
あらすじをざっと紹介するだけでも、ドロドロの愛憎劇や金や権力といった人間の奥底にある「欲望」が剥き出しになったお話だということが分かっていただけるだろう。
さらにここに無神論者のイワンとの宗教論などが絡み、父殺しの真犯人をめぐるサスペンス的なテーマも盛り込まれる。
笑いの要素など微塵も無さそうだが、そんなことはない。
シリアスな展開の作品でも笑いの要素を必ず忍ばせる、それがドストエフスキーという作家である。なぜなら彼自身、ロシアの文豪・ゴーゴリの小説で描かれる「笑い」に魅了された一人なのだから。
ゴーゴリは初期、中期にスラップスティック的なドタバタを描いたいわゆる「ユーモア小説」をいくつも書いている。
その影響は熱心な読者であったドストエフスキーにも受け継がれ、この「カラマーゾフの兄弟」にも当然反映されている。
特に第八編のドミートリイの奔走はその要素が最も強く表れている箇所である。
金策に奔走するがなかなか貸してもらえず、「ええ、チクショーめ!」とテーブルを殴ると「あれぇぇ」と夫人が客間の端まで飛んでいく場面なども茶番劇のような面白さがある。
さらには金策に疲れ果てて休息している時に一酸化炭素中毒で死にかける場面も間抜けた面白さがある。

深い憂鬱が重い霧のように心を包んだ。深い恐ろしい憂鬱だった!
彼は坐って、考えていたが、何一つじっくり考えることはできなかった。蝋燭の芯が黒く燃え残り、こおろぎが鳴きはじめ、暖炉を焚きすぎた部屋の中は堪えられぬほど苦しくなってきた。

いや、危ないって! 死ぬって! と思うのだが、彼はその後この場所で二時間ほど眠り、頭が痛すぎて目覚めてやっと異変に気づくのである。
こういう笑いのエッセンスを取ってつけたように差し込むのではなく、人間というものをより深く観察して、掘り下げた時に表出する「愚かさ」や「滑稽味」を掬いあげるように描くのが、ドストエフスキーの素晴らしさである。
喜劇王チャールズ・チャプリンは「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という言葉を残している。
人間は愚かだが愛すべき生き物、そういう考え方が「欲望」に翻弄される人間の「愚かさ」を笑いで包み込むことができるのだろう、と私は思った。

YouTubeチャンネル「斉藤紳士の笑いと文学」

<第21回に続く>

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