私の仕事は、政府に都合の悪い歴史を改ざんすること。政治不信が蔓延するたびに世界中で売れる本「1984年」に潜んだ笑い/斉藤紳士のガチ文学レビュー㉒

文芸・カルチャー

公開日:2025/1/13

1984年
1984年』(ジョージ・オーウェル/早川書房)

世界中で政治不信が蔓延するたびに売り上げを伸ばす不思議な小説がある。
それがジョージ・オーウェルの『1984年』である。
「1984年」はタイトルの通り1984年が舞台の小説である。
しかし、小説が書かれたのは1948年、つまり約30年後の世界を予測して描かれた近未来小説なのである。
現在から40年前の世界を予測して描かれた、さらに30年前の作品が今なお世界中で読まれ、それどころか定期的にリバイバルヒットを繰り返すその要因は一体どこにあるのだろうか?
まずは簡単なあらすじを紹介する。
第二次世界大戦後、さらなる核戦争を経て、世界は三つの超大国が分割統治している。
オセアニア、ユーラシア、イースタシアの三国は常に戦争を繰り返し、世界の均衡を保っていた。
どの国も内情は似たようなもので、国民に自由はなく、言論、思想、恋愛なども国の統制下にあった。
主人公ウィンストン・スミスは「ビッグ・ブラザー」による一党独裁制のオセアニアで暮らしており、党の中枢である「真実省」で働いていた。
ウィンストンの仕事は、党にとって都合の悪い歴史記録の改竄作業。
しかし、党の体制に不信感を抱いていたウィンストンは、同じ思いを持つ「創作局」の女性、ジュリアと共に徐々に行動を起こしていくが……というお話である。
細部まで作り込まれた緻密な設定や、ジョージ・オーウェルの予知能力のような先見の明などこの小説の魅力はふんだんにある。

階段の踊り場では、エレベーターの向かいの壁から巨大な顔のポスターが見つめている。こちらがどう動いてもずっと目が追いかけてくるように描かれた絵の一つだった。絵の下には“ビッグ・ブラザーがあなたを見ている”というキャプションがついていた。

現代では街のいたるところに監視カメラや防犯カメラが付いているが『1984年』ではそのカメラがポスターに描かれた「ビッグ・ブラザー」の目になっている。
さらにテレスクリーンというテレビのような受信機が実は送信機にもなっていたり、不要な書類などは〈記憶穴〉と呼ばれる通気口のようなゴミ箱に捨てないといけなかったり、国からの監視は徹底的に行われている。
小説はあくまでシリアスな設定で、当時のイギリス労働党やスターリン政権下の共産党に対する不信感が下敷きになった作品であることは間違いないが、そこには当然ユーモアも内在している。
人間が人間のために、あるいは統制・強権発動のために作り出したシステムが時として真逆の作用を生み出してしまい、結果的にそれが笑いの種になることがある。
いわゆるパラドックスや本末転倒な事象が笑いに転化するような状況で、それを上手く利用したのがチャップリンだろう。
映画「モダンタイムス」は資本主義や労働者の劣悪な環境などをシニカルな笑いに変えた名作だが、効率化を図るために開発された機械に人間が翻弄される姿は、まさにパラドックスの笑いといえるだろう。
「ビッグ・ブラザー」の顔がどアップになったポスターは大衆の思想をコントロールするために本当に効果的だっただろうか? そう考えると国民を煽動する手段としてはいささか幼稚な気もする。
さらに抑制された人間の欲望が増幅し、良からぬ方向に脱線してしまう滑稽さも描かれている。
自由な恋愛すら禁止された状況下でビッグ・ブラザーに不信感を抱くジュリアは数多くの党員と体を重ねたことをウィンストンに告白する。

彼は胸が躍った。彼女は何十回とやったのだ。何百回と、いや何千回とやってくれたらよかったと思う。なんであれ堕落を匂わすものによって、彼の心は無謀な希望で満たされるのだ。

何を興奮しとんねん! ただの変態やないか! とも思うが、極限の状態では人間はこうなってしまうのかもしれない。
また、政治犯となったウィンストンを監禁する場面では、金網で出来た大きな籠を頭から被せて、その中にウィンストンの嫌いなネズミを放す、というクセの強い拷問が行われる。
いや、芸人の罰ゲームやん! 若手の放送作家が考えるやつやん! と思ってしまうほど独特である。
どんなに厳正な監視システムだろうが、啓蒙活動だろうが、所詮人間が考えだすものはどこか「抜け」があり、そこがまた笑いや恐怖を生み出す「余地」になっているのかもしれない。
「予知」と「余地」、これこそが『1984年』の魅力といえよう。おあとがよろしいようで。

YouTubeチャンネル「斉藤紳士の笑いと文学」

<第23回に続く>

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