ミスユニバースを10人の男が奪い合う恋愛リアリティショー! 人種・ジェンダー問題・視聴者の欲望をあぶりだす、芥川賞受賞作『DTOPIA』【書評】

文芸・カルチャー

更新日:2025/1/15

DTOPIA
DTOPIA』(安堂ホセ/河出書房新社)

 南太平洋のボラ・ボラ島を舞台に、“ミスユニバース”に選ばれた白人女性を、世界各国から集められた10人の男性が奪い合う。恋愛リアリティショー「デートピア」を、世界中の視聴者がみずからの欲望に添った視点で再編集し、消費し、楽しむ姿を描き出す安堂ホセさんの小説『DTOPIA』(河出書房新社)。1月15日(水)に発表された芥川賞を受賞したことでも注目を集めている同作、のっけから掟破りの展開が続く。

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 まずは体の相性を確認するというミスユニバースによる宣言と乱交のようなパーティ模様から始まり、使用人役をつとめる現地の男との“浮気”、その理由としてあげられた「参加者の中に黒人が一人もいない」という問題提起(だけど実際、現地の男は黒人というよりはモンゴロイドで、浮気の言い訳に過ぎないことは明白)。実際にこの番組が配信されていたら、SNSで賛否両論が入り乱れ、紛糾していただろう。

 多くの人が夢中になって人間関係を考察し、ミスユニバースを含めた参加者全員をジャッジし、上から目線で物を語る姿が目に浮かぶようである。あるいは恋愛リアリティショーになんか興味はないけど…と、もっともらしい顔をしてジェンダーや人種の問題に言及して持論を語る。どちらにせよそこにあるのは、他者を消費することによって自分の立ち位置を確かめ、欲望を満たすことを正当化するための屁理屈だ。誰もその欺瞞から逃れられないのだということを突きつけられる。

 デートピアに「黒人がいない」問題からの、『オッペンハイマー』や『関心領域』、『バービー』や『哀れなるものたち』など、近年高い評価を得た映画に対する〈二十世紀に白人が残した負の遺産をセルフ懺悔するコンセプト〉〈白人たちの懺悔ショーであれば今まで通り白人ばかりが中心にいても問題視されない〉という本書内の分析にも打ちのめされる。どこまでいっても世界は不均衡で、マジョリティによる“知ったような顔”が蔓延し、その一部に自分も身を置いているのだと自覚せざるを得なかった。

 でもその視点と舌鋒の鋭さが、読んでいて心地いい。文体のリズムに身を委ね、心の置きどころを探して、止まることなく読み進めていくうち、唐突に、正体不明だった本書の語り手の正体が明かされる。参加者の一人であるMr.東京(デートピアでは、出身都市名で参加者が呼ばれる)を「おまえ」と呼ぶモモという名の幼なじみ。ボラ・ボラ島で期せずして二人が再会したのをきっかけに、物語は過去へとさかのぼる。

 中学生だったMr.東京こと通称キースは、カッターナイフを使って、モモの睾丸を摘出したのだった。モモが望んでしたこと、とはいえ判断能力が確かだったとはいえないその行為は、果たして「合意」と呼べたのか。自分は騙されていただけではないかという直感を、モモは次第に深めていく。その裏でキースは小児性愛者たちから睾丸を摘出してまわり、さらにそれをスピリチュアルの道具として売り飛ばす商売を始めるのだが、彼の行為にはすべて悪意はなく、もちろん善意もなく、ただ淡々と実験をくりかえしているだけのようにも見える。

 自分にとってあたりまえの欲求が他人にとって暴力になるとしたらどうする、というキースのミスユニバースに対する問いは、読者である私たちに向けたものでもあるだろう。私たちはただ生きているだけで他者を搾取し、その行為にもっともらしい「意味」をつけるからこそ、戦争も差別もなくならない。現実を都合よく編集している自覚をもって私たちは己の欲望に向きあわなくてはならないのだと、演出された“リアル”を通じて本作は突きつけてくる。

文=立花もも

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