忍術対決の極致!『バジリスク』の新章を見逃すな!!
更新日:2017/11/16

『甲賀忍法帖(角川文庫)』(山田風太郎/KADOKAWA)は、「忍者小説」として言わずと知れた名作であり、今もなお人々を魅了して止まない永遠の話題作である。刊行されたのは昭和34年(1959年)のこと。今から約60年前の小説なのだが、2000年代になってから『バジリスク~甲賀忍法帖』としてコミック化、アニメ化も果たした。
そして昨年、その新章である『桜花忍法帖 バジリスク新章』(山田正紀/講談社)が刊行された。
これほどまでに愛され続ける『甲賀忍法帖』。その魅力は一体どこにあるのだろうか?
『甲賀忍法帖』は、憎しみ合う甲賀と伊賀の忍者たちが10対10の敵味方に分かれ、超人離れした術技で死闘を繰り広げ、どちらが勝利するのかを競うという、全くもって説明の簡単な物語なのだ。
しかし、ここにメロドラマのような「葛藤」を加えたことに本書の魅力がある。甲賀の甲賀弦之介(こうがげんのすけ)と、伊賀の朧(おぼろ)は、愛し合う恋人同士であった。祝言を控えた二人に、「殺し合い」の運命が待ち受ける――。
「忍術対決」の手に汗握る興奮と「恋人同士が敵味方に分かれる」という悲劇、この二つの要素が、時代を超えて愛される要因なのだろう。
その続編、『桜花忍法帖』は、『甲賀忍法帖』の時代より後の寛永3年が舞台。恋人同士で殺し合うことになった悲劇の二人、弦之介と朧の子どもである、甲賀八郎と伊賀響(いがひびき)の双子が主人公である。
『桜花忍法帖』のあらすじも、ごくごく簡単に言ってしまえば、『甲賀忍法帖』と同じく「殺し合いの物語」である。
上下巻で発売されている本作なのだが、上巻の冒頭に書かれている登場人物紹介に名を連ねているキャラクターは、ほとんど殺される。これは次々に登場人物が殺し、殺されていく『甲賀忍法帖』をしのぐ勢いだ。しかも、そんなネタバレをしても話の面白さは全く変わらないのも、『桜花』のすごいところ。見所は「誰が倒されたか」ではなく、「どうやって倒されたか」という「忍術(秘術)対決」の部分なのだ。
『桜花』では「成尋(じょうじん)五人衆」なる敵と、伊賀、甲賀の忍者が戦うという構図になっている。この成尋五人衆が桁外れの強さを持っており、時を遡らせたり、亜空間を現出させたり、魔獣を召還したりと、忍術の枠を超えた強敵で、伊賀と甲賀の忍者は次々に倒されてしまう。
ここで登場するのが、甲賀八郎と伊賀響。八郎は、父、弦之介と同じく自分に向けられる害意、敵意を、その目を合わせただけで相手に反転させることができる「矛眼術」の使い手。八郎に斬りかかろうとした相手は、その目を見ると自分に敵意が向き、自らを傷つけてしまうのだ。
響は母、朧と同じく相手を一瞥するだけでいかなる邪法、凶術も「無効」にしてしまう「盾眼術」を持っている。
この二人の「最強」の術と、人間の域を超えた成尋五人衆が、一体どのような戦いを繰り広げるのか。勝者は? 生き残るのは誰? 最後まで目が離せない怒涛の展開になっている。
そして『桜花』も、単なる「殺し合い」を描いているわけではない。八郎と響は双子の兄妹でありながら愛し合っているという、これもまた『甲賀』と同じように「決して結ばれることのない恋愛」に身を焦がしているのだ。
八郎と響は類稀なる忍術を遺伝的に受け継いでいる。この血をより濃くするため、二人は子孫を残すことを周囲から期待されていた。兄妹でありながら、心底お互いを愛してしまった二人は、そのような「策略」じみた愛情の結び方を嫌う。「血を濃くするため」に身体を重ねることは、二人にとって、自分たちの愛に泥を投げるような行為であったのだ。
そのため、二人は愛し合いながらも別離の道を選ぶ。永遠に二人の愛が美しい愛のままでいられるように。そんな二人が血に塗れた死闘に巻き込まれる時、何が起こるのか……。
これからも、愛され続けるだろう本書。愛する人と殺し合う悲劇の二組をとくとご覧あれ!
文=雨野裾