「小さい隣人」『ショートフィルムズ』②
公開日:2019/9/2

ブックショート(米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジアが展開する短編小説公募プロジェクト)とのコラボレーションした、書籍『ショートフィルムズ』。感動的な短編映画を観たような読後感の、傑作短編全25話を収録! 本書への入り口は、セリフのないサイレントマンガで始まる。マンガは各短編の合間に入り、物語全体をひとつの世界につなぎ、最後に驚きの結末が…。
小さい隣人
暗闇に照らされた無機質なマンション。5階の手前から4つ目。そこが、私たち親子の住む部屋だ。
「ただいまー」
玄関からフワッと香る我が家の匂いにちょっとだけ安心する。ふぅ、と息をつきながら荷物を床に下ろす。ドサッと音がした。
「ママ、おかえりー」
5歳になる娘のエリが、トコトコと廊下を走ってきた。ヒールを脱ぐために屈み込んだ私に、ためらいもなく突撃し、抱きついてくる。
「ねーえー。だっこ! だっこ!」
エリは私の首に手を回し、おねだりをした。ひとりっ子ということもあってか、この子の甘え癖はなかなか直らない。
「ダーメ。晩御飯の準備するんだから。ご飯なしでもいいの?」
「それはヤダ!」
驚いたようにパッと手を離すエリ。ヒールを脱いだ私は、荷物を持って台所へと向かった。ビニール袋がふたたび私の指に食い込む。
ザクザク。キャベツを切る音が台所に響く。まな板に包丁。フライパンに鍋。新しくはないが、十分使える。夫を亡くしてからこの部屋で娘と2人暮らし。贅沢は言えない。
「ママー?」
リビングにいるエリが私を呼ぶ。
「ママはご飯作っているでしょ? 1人で遊んでいて」
いつもなら大人しく時間をつぶしはじめるエリが、今日は違った。
「ママー!?」
なおも私を呼ぶ。
「もうー、どうしたの?」
私は料理の手を止めて尋ねる。エリはポツリとこう言った。
「誰かいるよ」
一瞬の間。すぐに私は振り返る。冷水を背中からかけられたような、ゾクッとする感覚。
泥棒? ストーカー? 物騒な単語が次々と頭の中に浮かび上がった。すぐにリビングへ駆けつける。しかし、リビングに敷いてある赤い絨毯の上には、エリがいるだけだ。
「あそこ、誰かがいるよ」
エリは腕を地面と平行にピンと伸ばす。私はそれを目で追った。本棚と衣装だんすが置かれている。エリはその隙間を指しているようである。
「あ!」
たしかにそこに人はいた。成人の女性。年齢は、私と同じくらい。しかし、その実寸サイズは私たちの手のひら程度。小人である。彼女はこちらをうかがうようにジッと見ていて、やがてその奥へと消えてしまった。
「ママ! あれはなに!?」
「あれはね。小人さんだよ」
「小人さん!?」
突然変異した人類なのか、遥か彼方からきた宇宙人なのか。明確な理由は解明されていないものの、私たちの生きる世界に、小人は確実に存在する。
「ね、ね。ママ? 小人さんはどこに行っちゃったの?」
隙間をのぞきこみながら、エリは尋ねる。
「小人さんはね。自分のおうちに帰ったの」
「自分のおうち!?」
エリは目を輝かせる。
「あの隙間の奥はね。小人さんの世界とつながっているの」
小人は、私たちの見えない場所で独自のコミュニティを築いている。そして彼らの世界は、私たちの世界とつながっていた。それゆえに、小人は「小さい隣人」なんて呼ばれている。
「小人さんの世界…!」
夕食を食べている間、娘はずっと小人のことを聞いてきた。私は、親や周囲から聞いた情報をできるだけ噛みくだいて伝える。
「小人さんは怖がりなの。だから、見つけても驚かせちゃダメ」
「小人さんは幸運を運んでくると言われているわ。だから優しくね」
「家の中で何かをなくしたら、それはもしかすると小人さんのせいかもね」
エリは、その話のひとつ一つを、目を大きくしながら聞いている。
「わたしも、小人さんとおはなししたい!」
「じゃあ、今度見つけたらそっと話しかけてみようか」
「そうするー!」
エリは、何度も頭を上下に揺らした。
夕食の片付けがひと段落ついた後、私はテーブルに目をやって「おや」と思う。そこには、余りの食材を乗せた1枚の白い皿が置かれている。キャベツにジャガイモ、トウモロコシ。私は音を立てないようにリビングへ向かい、エリを呼んだ。
「エリ、こっちおいで」
私はエリの手を引いて台所に向かう。テーブル台よりも身長の低いエリを抱きかかえると、テーブルの上を指差した。そこには小人がいた。先ほど、本棚と衣装だんすの隙間にいた小人だろう。皿の上の四分の一程度に切られたキャベツを、自ら持っている小さな包丁で切り取り、せっせと小脇に抱えた布製の袋の中に入れている。
「あ!」
エリは小さな声を出し、すぐに自らの両手で口を覆った。とたん、小人はビクッと体を硬直させる。周囲をキョロキョロと見渡し、最後におそるおそる顔を上げた。
「こんにちはー」
エリが小さい声で話しかける。小人は慌ててテーブルの端まで走っていくと、器用にテーブルの脚の木目をつたって地面に降り、私たちが目で追いかけるよりも早く、今度は冷蔵庫の裏へと消えていった。
「いっちゃった…」
エリが落胆する。
「小人さん、あれだけで、ゴハンたりるのかなぁ?」
私たちが声をかけなければ、もっと大量の食材を持って帰れたかもしれない。
「じゃあ、今度は、小人さんが取りにきやすい場所に食べ物を置いておこうか?」
もしかしたら私たちが見ていない時に、ふたたびやってくるかもしれない。
「うん!」
エリは大きくうなずいた。
それから定期的に小人は私たちの前に姿を見せるようになった。その度に、エリは余った食材を小人の前に持っていく。すると、しだいに小人も警戒心を解くようになった。エリが持ってきた食材を見るといつも特定の言葉を発し、必要な分だけを腰についた袋や背中の籠に詰めると消えていく。彼女たちの言葉でお礼を言っているのかもしれない。
最近は、ついに手の上に小人が乗ってくれた、とエリは誇らしげに報告をしてきた。どうやらずいぶんと懐かれたようである。そしてそれは、思いがけない効果を生み出すこととなった。
「ママ。いつもゴハンありがと」
晩ご飯の後、突然エリは私に向かって言う。
「どうしたの、急に?」
自分の食器を片付けていた私は、驚きながらエリを見つめた。
「だって、小人さんはこうやってゴハンをとりにこないといけないけどさ。エリにはママがいて、ママがゴハンをつくってくれるから」
「当たり前じゃない。ママは、エリのママなんだから」
なんとなく私も照れくさくなって、そそくさと流し場へと歩いていく。
「でもさ、ママのことは、だれがお世話してくれるの?」
私の背中に向かってエリが尋ねた。
「ママは大人だから、そんなの必要ないのよ」
私は食器を洗い始める。
「行ってくるね」
次の日の夕方。私は晩ご飯の支度のために家を出る。
「いってらっしゃーい」
エリが玄関で手を振る。ここ最近、留守番をさせても、グズることは滅多になくなった。子どもは急に成長するものだなと思いながら、私は玄関の扉を閉める。マンションの入り口からは一本道が続いている。そして頭上には、この街全体を覆っているドーム状の天井があった。
マンションから30分程度歩くだけで、ドームの端に突き当たる。小さな街だ。とは言っても先人たちが命懸けで作ってくれた、私たちの居場所である。
私は、ドームの壁に取り付けられている大きな鉄製の扉を見た。鍵を外して扉を開き、その奥へと続く真っ暗なトンネルを歩き始める。コツコツと私の靴の音だけが響いた。光の届かない道を歩きながら、昨日のエリとのやり取りを思い出す。
「ママのことは、誰がお世話してくれるの?」
「ママは大人だからそんなの必要ないのよ」
娘に言ったことは正確ではない。人は誰かの世話をすると同時に、誰かに助けられている。ひとりで生きている人間なんていない。そしてそれは、私だけが持つ特別な考えではない。
「小人さんには、優しくしなきゃダメ」
エリに伝えた時には分かりやすい表現にしたが、本来の言葉は「小人たちには慈愛を持つべし、我々もまた生かされた存在なのである」というものだった。
「我々もまた生かされていること」をこの街の住人は知っている。だからこそ私たちはお互いを思いやり、自分たちより弱いものを慈しみ、平和な生活を営んでいる。
やがてトンネルは、右へと直角に折れ曲がった。ぼんやりとその先から光が漏れる。まもなく外の世界だ。私は左右を確認して、その光の中へとゆっくり入っていく。
そこは一般的な家庭のとある一室であった。しかしサイズは私の何十倍もある。視界の端に映っている子ども用の椅子ですら、思いっきりジャンプしても、とうてい座面に届かないだろう。一歩一歩。私は慎重にその世界の中を歩んでいく。
その時、どこかで声がした。咆哮のような、私には意味がまったくつかめない声だ。その瞬間、大きな影が私を包み込み、思わず見上げる。私の視界いっぱいに巨大な女の子の顔があった。嬉しそうに私を見下ろしている。先ほどの声はこの子のものらしい。無邪気な笑顔で少女は何か言葉を発する。もちろん私にはその意味が理解できない。しかし、私も人の親だ。何となく、この子の言わんとしていることは想像がつく。きっと彼女はこう言っているはずだ。
「ママー? 小人さんがいるよ」
(作 水谷健吾)
表紙写真:岩倉しおり