「クソリプ」の定義/巴奎依の社会不適号⑰
公開日:2021/1/29

心に余裕がないとき、普段以上に人からの言葉が引っかかったり、イライラしたり、どうしても許せない発言があったりしますよね。
やっぱり言った側より言われた側の方がよく覚えているもので、特に私は、良く言えば流せない性格・悪く言えば根に持つ性格なので
人から言われた許せない発言・言った人リストのノートが心の中にあったりします。
私にとってのデスノートです。
嫌なもので、忘れたくても忘れられず、
何なら言われた場所や風景、前後のやり取りまでも覚えてしまっています。
以前、私はSNSが苦手というコラムを書きましたが
(巴奎依の社会不適号②の記事なのでまだの方はぜひご覧ください)
SNSは本当に、私にとってのデスノートがたまるたまる。
リプと書き記すからには、主にTwitterに関しての指摘になるのでしょうが、「クソリプ」の定義とは何なのでしょうか?
誰もが分かるような当たり前をリプすることなのか、読解力のないリプをすることなのか、あるいはアンチコメントをリプすることなのか……。
人によって様々ですが、私は「聞いてもいない、てめえの価値観を送りつけること」と定義しています。
ていうか対人関係において、リプでなくてもクソですけどね。これは。
特に私は、自分の思想だったり、感じたことを呟いてしまうので、より実感しやすいのかもしれませんが
よく見るものだとアイドルが「新しい髪色にしました」と自撮りと共に呟いたら「前の色の方が好みです」と送ったり……。
「どっちがいいですか?」と聞かれてもいないのに、自分の意見を自分の価値観で突然伝えてくることが、どうしても「クソリプ」に思えてしまうんです。
たとえば誰かに悩みを打ち明けたとき、まず解決策を挙げてもらえたりもしますが、
どう解決すべきか聞かれていない限りは、同調や慰めで良いのに、と思うわけです。
だから私は人に悩みを話さないし、
打ち明けるにしても、自分の中で解決策は見えているので、絶対に”相談”にしないです。
今回私が定義する「クソリプ」は、これに近いものがあるような気がしていて。
私自身、人から求められなければ意見しないようにしているので、なぜ自分の意見を言いたくなるのか、未だに分からないのです。
誰だって、教えてほしくなったら、聞きたくなったら、必ず聞きますから。
とはいえ、私は自分を社会に適合できなかった人間と認識していますので、逆に言えば、聞いてもいない巴奎依の価値観をTwitterに送りつけている、ともいえますけどね。
でも、その思考だとこのコラムは成り立ちませんので、私の殴り書きを皆さんが覗いてくれているもの、と思っています。
ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当、DJCD「A応P BEST DJCD PRODUCED by DJサブカルクソ女」をリリースするなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。
公式Twitter:@kei_tomoe
公式Instagram:kei_tomoe_official