【阿部サダヲの謎について】最初の出会い/松尾スズキ『人生の謎について』
公開日:2021/11/4
不思議なことが起きているな、と、日々思っている。
今現在、私が作・演出する『キレイ』という芝居を渋谷のシアターコクーンで上演しているのだが、ついに最終回を迎えてしまっている『いだてん』の出演者が、この芝居にも多数出演している。第一回東京オリンピックの立役者・田畑政治を演じる阿部サダヲはじめ、皆川猿時、荒川良々、近藤公園、麻生久美子さん、神木隆之介くん、前半は私も。まあ、大人計画の人間である宮藤官九郎が脚本を書いているのだからキャストがかぶるのもしかたないが、現在進行形のドラマを純粋にファンとしてワクワクして見ながら、稽古場でドラマとはまったく異なる役の彼らを演出しているのだから、俄然、頭が混乱する。「負けるな、田畑政治!」と、テレビ越しに応援している男に、次の日には「阿部、今の演技な…」と、注文をつけているのだ。しかも、阿部と麻生さんはドラマでは夫婦愛を演じているのに、舞台では、虐待するものとされるものの役どころで、阿部が麻生さんをバンバンぶん殴っているのだからややこしさの極みである。
それにしても阿部って男はつくづく稀有な俳優だな、と、我が劇団員ながら思うのだ。普通あんな頓狂な演技をするドラマの主役はいない。しかし、阿部はあの頓狂さでNHK大河主役という高い壁を軽々と越えていくのだから、しみじみ勝てないなと思う。なので、今回は、阿部サダヲという男について、初めてきちんと書いてみたい。
阿部との出会いは、三十年近く前、大人計画の新人オーディションの場においてであった。
最初の印象は最悪である。
普段からそうだったのかは定かではないが、坊主の金髪に軍服、という、わけのわからない匂いをプンプンさせながら、しかも大幅に遅刻して現れたのである。目つきは鋭く、声はききとれないほど小さい。履歴書を見ると、職を転々とし、何も長続きしていない。いや、とんでもないやつが現れたぞ、と、根っからの文系気質の私は頭を抱えたものだ。しかし、困ったことに、オーディションで一番おもしろかったのも阿部だったのだ。「歌ってみろ」というと、あんなに声が小さかった男が、いきなり本域のオペラを歌い出すのである。しかも、うまい。もう、わけがわからない。
正直迷った。迷ったが、そのおもしろさに賭けて、とった。まともな芸名では似合わないので、我ながらどうかと思う芸名を付けた。
しかし、それから私と、うちの社長の苦難の歴史が始まったのである。
舞台に出ると、ちょうどそれまで看板俳優だった温水洋一がやめたのと入れ替わるように阿部はたちまち人気者になった。それはありがたいのだが、とにかく、だらしがない。芝居の稽古には当たり前のように遅刻する。それはまだいい。いや、ほんとは全然よくないが、困るのは本番当日や、テレビや映画の現場に遅刻してくることだ。
舞台の本番に一時間遅刻してくる俳優をみなさんは見たことがあるだろうか? 私は、舞台上で「遅刻しました。すいません」と客に謝る俳優を見るという貴重な経験を阿部にさせていただいた。映画の撮影の日に遅刻した上、明らかに前の日の夜、頭の上で花火をやった跡がある状態で現れた俳優にも。
阿部が粗相しないようにしつけるまで三年位はかかっただろうか。その間も、特に女子の人気はうなぎのぼりになっていく。忸怩たる思いはあったが、やめさせるというアイデアは一ミリも浮かばなかった。ここに書くのも悔しいが、私は、日本中の阿部ファンの誰より阿部の演技に魅了されていたし、今現在進行形で魅了され続けている。叫ぶだけでおもしろい。いや、黙っていてもおもしろい。歌がめちゃくちゃうまい。セリフ覚えがずば抜けて早い。そんな俳優他にいるか? そこには謎があり、謎が色気を醸す。大河の主役? 遅いよ、というほどに。テレビのCMで、常識人然としているのを見ると無性に腹が立つが。
しかし、しつけはとうに終わったが、阿部との戦いは静かにまた始まっている。
阿部も歳をとった、ということだ。テレビを見るたび「そりゃあ五十歳だものな」としみじみ思う。いつまでも元気に叫ばせ続けるわけにはいかないし、昔の戯曲の再演でも年齢的にできない役も増えてきた。歳をとったなりの新しい役を模索せねば。いつも頭の片隅にそれがある。だから、阿部と自分との間には、常に戦いの緊張感がある。それをおもしろくも、そして、寂しくも思う。
いつかその緊張がほどけて、二人だけで飲んで談笑したりする日が来るのだろうか? 来ればいいと思うが、そんな気配は、今、さらさらない。阿部五十歳。松尾五十七歳。日々は、けたたましく過ぎていく。
阿部に頼まれて、二番目の子供の名前をつけて、十年以上がたった。
人生って、なんなんだ。