ひとりのがん患者としてではなく、人生ふつうに楽しんでいることを一番出せた本——幡野広志『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/23

幡野広志さん
撮影:幡野優

 写真家として活躍され、2017年に自身が血液がん患者であることを公表した幡野広志さん。これまで、『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』『ラブレター』など数多くの著書を出版されてきた幡野さんが、このたび新刊『息子が生まれた日から、雨が好きになった。』(ポプラ社)を上梓した。

 本書籍は、2019年からポプラ社のウェブサイトで連載されている「幡野さんの日記のような写真たち」に書きおろしを加え、改題・加筆修正のうえ出版されたエッセイ集だ。いままで幡野さんが出されてきた本は、「生きづらさを抱える人たちへ」「妻に向けて」などテーマやコンセプトがはっきりとしていたが、今回の一冊は、はっきりとしたそれがあるわけではない。

 本の中にあるのは、親として、夫として、がん患者として、ひとりの料理や旅が好きな男性として──いろんな肩書きを持つ幡野さんの「日常」の写真と文章だった。だからこそ、幡野さんというひとりの人間の輪郭が浮かび上がってくる。

 幡野さんに、この本の話題を皮切りに、表現について、そして「自分を好きでいること」について話を伺った。

(取材・文=あかしゆか)

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いままでで一番「気楽」に書けた本

──新刊、すごくおもしろかったです。幡野さんの日常が感じられて、読んでいたらどんどん幡野さんのことが好きになっていきました。

幡野広志さん(以下、幡野):ありがとうございます。嫌いになっちゃ嫌ですよね(笑)。

──「ごはんは羽釜で炊く」「『ドラゴンボール』が好き」といったチャーミングな一面もあれば、何度もメールを送ってくるファンの方に対して一度も返信ができていないといった人間らしい部分もあり、いろんな幡野さんの一面が見える本だったと思います。

幡野:日常ってそういうものですよね。楽しいことばっかりじゃないし、変なこともあるし、いいこともある。人生はバランスだと思っています。連載をしている時はバランスを意識して書いているわけではなかったんですけど、書籍化でまとめる際に、書いた内容をジャンル分けしてみると綺麗にバランスが取れていて。自由に書いていたら自然とばらけるんだなと思いました。たぶん、みんなそうなんですよね。ひとつのことだけを考える人生ってないじゃないですか。

──この本は、今まで幡野さんが出されてきた本に比べるとテーマが明確に存在しない「自由な本」であるように感じたのですが、幡野さんにとってどのような一冊になりましたか?

幡野:思ったことを気楽に書けたなと思います。いままでの本は、やっぱりどれも少し力が入っていたので。この本はいい意味で「まじめじゃない」というか、本当に自由に、ほぼ直しもなく書かせてもらいました。

 ぼくはがん患者ですけど、生まれてこの方ずっと病人なわけじゃない。ふつうに仕事もしているし、妻もいるし子どももいるし趣味もたくさんあるし、どちらかというと幸せな人生を歩んでいるんですよ。でも病気って言うと、それだけで周りから「不幸だな」と思われてしまう。それはなんだか癪だなあとずっと思っていたので、ひとりのがん患者としてではなく、人生ふつうに楽しんでいることを、ぼくの「ふつうの日常」を一番出せた本なのかなと思います。

人の「好き」を気にしすぎない

──以前に幡野さんはツイッター(現X)で、写真や文章は、自分の「好き」を積み重ねていく行為であり、他人の「好き」──つまり他人の評価や好みを基準にするのはよくないと書かれていました。写真や文章で表現される際に、気をつけられていることはありますか?

自分の好きな被写体を撮る。好きな場所で撮る。自宅でも海でも山でも。それから好きな曜日に撮る。月曜と土曜日でテンション違うでしょ。好きな季節、時間帯、光で撮る。好きを重ねていくと、自分が好きな写真になります。
ダメなのはバエるエモい写真にしようとすること。他人の好きだからです。
https://twitter.com/hatanohiroshi/status/1683334869718536192?s=20

幡野:前提として、表現する時にも他人の「好き」を気にするのは当然だとは思っています。だって、大人ですから。手土産ひとつ持っていくのにも気を使いますよね。文章を書くのもそれと同じだと思うんです。自分の「好き」だけを気にする人って、逆に子ども。それじゃあ人間関係なんて保てません。

 ただ、他人の「好き」を気にしすぎちゃうと、自分の「好き」がどんどんわからなくなってしまう。だから他人を多少気にしつつも、自分が「好き」と思うものを真ん中に置くのが良いと思いますよ。

幡野広志さん
撮影:幡野広志

──「他人の好き」ではなく「自分の好き」を大切にするためには、何が必要だと思いますか?

幡野:一度、他人の「好き」に振り回される経験をしてみるといいと思います。そうすると、他人の「好き」がいかに危ないかを認識すると思うんです。他人にかまっている場合じゃないって気づけますから。それくらい、他人の「好き」で動くって危険です。相手のコントロール欲の支配下に入ることだから。

──幡野さんは、振り回された経験はありますか?

幡野:たくさんありますよ。たとえばぼくにとっての親は、自分の「好き」を押し付けてくる最たるものだったし、学校の先生、同級生とかもそうですよね。みんな、似たものを好きになるでしょう? で、そこから外れたらいじめられちゃう。いじめられたくないから好きじゃないものを好きと言う。そうすると、どんどん自分がわからなくなるんです。

 写真家みたいな仕事をしていると、余計にあります。こうした方がいい、ああした方がいいと周りが言ってくる。それを「はいはい」って、全部他人の言うことを鵜呑みにしていいことなんて全然なかった。だから、そこからは抜け出すことにしました。

──SNSで、「いいね」などの数が可視化されてしまったことも、「他人」を気にしてしまう要因のひとつだなと思います。

幡野:いいねの数とか、絶対に気にしちゃダメですよ。SNSによって、他人の「好き」が数値化されちゃったのは問題ですよね。

──幡野さんは「いいね」が気になることはないですか?

幡野:いいねの数は、絶対に気にしない。気持ちはわかりますけどね。ツイートが拡散することによって、回り回って自分が好きな人たちにも伝わったりするから一概には悪いとは言えません。でも、そこを主軸にするのはやめた方がいいです。

 それにぼくは自己肯定感が低くて、ベースで「自分なんてたいしたことない」って思っているから、いいねがたくさんついてもつかなくても気にならないんですよ。

自己肯定感をあげるためには、親の褒めが不可欠

──幡野さんが、「自己肯定感が低い」と思われるのはなぜでしょうか。

幡野:やっぱり、幼少期に親から全然褒められなかったから。それが一番大きいんじゃないかなと思っています。

──幼少期に褒められた経験がないと、自分の価値を低く見積もってしまいますよね。

幡野:はい。だから自分の子育てでは、子どもをめちゃくちゃ褒めています。そうすると、子どもはどんどん自己肯定感が高くなります。そのあとにどうなるかって言うと、子どもが、周りの友達や先生のことも褒め出すんですよ。

 このあいだ保護者面談があって、担任の先生に聞いたら、とにかくうちの子は友達を褒めるらしいです。自己肯定感が高いと人のことを褒める人間になって、ぼくのこともよく褒めてくれます。そうなってくると、だんだんぼくも自己肯定感があがっていく。

──連鎖が生まれるんですね。

幡野:自己肯定感が低い人は低いところで連鎖しちゃうんだけど、高い人は高いところで連鎖するんですよね。それは我が子を見て思います。自分の息子のことが眩しくてしょうがないですよ。まじでこんないいやつ、俺の人生でいままでいなかったぞ! って(笑)。

幡野広志さん
撮影:幡野広志

──お子さんを褒める時のコツなどはありますか?

幡野:とにかく「加点方式」にすること。子どもが90点を取った時に、10点を問題視して怒る親もいれば、90点を褒める人もいて。仕事もそうじゃないですか。加点の人と減点の人がいるでしょ?

 日本では、だいたいが減点なんですよ。「うちの子はダメで……」と言って身内を蔑む文化がありますけど、あれはよくない。妻とも話して、我が家ではそれを禁止しています。

──身に覚えがある人は多そうです。

幡野:減点したら、その分減点で返ってきます。昔すごく嫌な先輩がいたんですけど、とにかく減点してくる人で。ちょっとしたミスをつついてくるんです。だから、その先輩がすごく大きなミスをした時に、内心ですっげー「バーカ」って思いましたよ(笑)。それが加点方式の人だったら助けましたよね。だから絶対、加点の方がいいんです。やったことは返ってきますから。

──たとえ自分が親から褒められてこなかったとしても、自ら負の連鎖を断ち切って加点し、自己肯定感をあげていく。頭では理解できても、難しそうです。

幡野:断ち切るのはたしかに難しい。でも、自分でやるしかないですよね。自分の子どもを見ていてうらやましいなと思うことは多々ありますよ。ぼくが子どもの頃と全然ちがうなって。でも、そこで変な嫉妬心を抱いてしまうと無駄に厳しくなってしまうので、切り分けないといけないといつも思います。自分の苦しさと子どもの人生は別物ですから。

 会社でも、自分が苦労したからと言って後輩にも苦労させようとする人がいるでしょ? 日本人の社会には脈々と「自分も苦労したんだから」と考える人がいるけれど、そういう人には振り向かないことが大事。そうやって負の連鎖を断ち切って、加点に切り替え、自分のことを好きになっていくしかないのだと思います。

「人生の主食は、自分を好きでいること」

──この本の「はじめに」の中でも、「人生の主食は自分を好きでいること」とおっしゃっていました。これはどのような思いで書かれたのでしょうか。

人生が和食なら主食のご飯が美味しいことが理想的だ。ご飯が美味しけりゃ、おかずは焼き魚でもトンカツでもなんでもいい。ぼくにとって人生の主食は「自分を好きでいる」ということなんだと思う。

幡野:いつの時代も、みんな「肩書き」を求めて生きていますよね。ライターもそうだしフォトグラファーもそうだし、医者になりたい、お金持ちになりたいという人もそう。みんな何者かになりたくて頑張るじゃないですか。肩書きからは逃れられないし、あったらあったでいいものだと思うので、それは大事にしたらいいと思います。でもそれらは結局「おかず」みたいなものだと思うんですよ。

──おかず、ですか。

幡野:そう。特に最近は、肩書き1個の時代は終わって、みんながいろんなおかずを持つようになりました。昔はひとつのことを突き詰めるのがいいという風潮がありましたけど、いまは肩書きは複数あった方がいい。それはもちろん趣味でもいいです。

 でも、おかずがいくつあっても、「自分を好きでいる」という主食がないと結局は何にもならないと思うんです。お金の使い道のないお金持ちほど、しゃべっていてつまらないものはないでしょう? なんでこの人は金持ちになったんだろうなってすごく思う。結局は、肩書きを手に入れたあとにどう生きるかだから。肩書きを生かすための「主食」は一番大切ですよね。

──人生は定食のようなもので、おかずが「肩書き」、主食が「自分を好きでいること」なんですね。

幡野:そうだと思いますよ。「自分を好きでいる」ということは、どんな肩書きを持っている時にも必要な主食です。主食って、全部に合いますから。

 でも、それがやっぱり一番難しいんですけどね。自分だけでどうこうできる話でもないし、結局は幼少期の親との付き合い方とか、友達とか家族、パートナーとの関係性にも関わってくるので。だからこそ加点方式で、周りの人も自分のことも大切にして、少しずつでも自分を好きになっていくことが大切だと思います。

幡野広志さん
撮影:幡野広志

──まさにこの本は、幡野さんの「定食」がまるっと味わえる一冊だと思いました。最後に、この本をどんな方に読んでほしいですか?

幡野:人生、「ひとつの道を突き進むしかない」と思っている人には読んでいただきたいですね。あとは、若い人に読んでほしい。「大人ってどうせつまんない人生歩いてるんでしょ」って思っている人。大人はけっこう、楽しいですよ。それが伝わるとうれしいです。

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