誰がこの毒から逃れられる? 絶望の現代社会とわずかな希望『半暮刻』月村了衛インタビュー

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/10/18

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年11月号からの転載です。

三上延さん

 人は罪を犯す。誰もが犯罪者になる可能性を宿している。だが、同じ「犯罪」でも、追い詰められた結果だったケースもあれば、単なる遊び感覚でなされることもある。

取材・文=門賀美央子 写真=川口宗道

 月村了衛さんは新刊『半暮刻』で、軽い気持ちから罪を犯した若者二人を描いた。

「本作は、“半グレ”に取材したとあるドキュメンタリー番組がきっかけになって生まれました」

 半グレとは、暴力団ではないものの、ヤクザ顔負けの犯罪行為をする組織集団のことだ。1991年に暴力団対策法が施行されて以降、黒社会と一般社会の狭間で暗躍するようになったという。現在の半グレは特殊詐欺グループやヤミ金融など明らかな違法行為のほか、闇バイトの斡旋や貧困ビジネスなどグレーゾーンの商売を手掛けては荒稼ぎしている。

 そんな彼らに特徴的なのは「人を人とも思わぬ」心の持ちようかもしれない。カモられる人間は愚かさゆえの自己責任であり、うまく立ち回る自分たちはただ賢いだけ。なんら罪はない、と本気で信じていそうなのだ。

「私は、彼らの在り方に人間の本質的な邪悪に触れる何かを見たような気がいたしました。それを作品として表現したい、というふうなところから入っていったように思います」

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大切な最後のピースは名作文学の中に

 感得した“邪悪”をどう切り取り、形にするか。編集者とも討議しながら物語の骨格を作っていった。

「その末に自然と生まれてきたのが、二人の主人公それぞれの人生が絡み合っていく様を描く、というプロットでした。なので、試行錯誤や生みの苦しみは本作に限ってはあまりありませんでした。ただ、出来上がった作品は当初のプロットとは全然違う感じになりました。というのも、コンセプトを絞り込めたのが書き始めるギリギリ直前だったんです。作品に取り組むにあたって『なぜ、今、自分が、この作品を書かねばならないのか』という部分を曖昧なままにしてしまうと単なる“お仕事”でしかなくなってしまいます。もちろん“お仕事”として書くことはできますよ。ですが、『それでいいのか』と自問自答をすると『絶対よくない』との答えしか出てこない。なので、編集者に再打ち合わせをお願いして、長々と話をしているうちに、ようやくコンセプトが明確な『言葉』として見えてきました」

“明確な言葉”が何だったのかはひとまず秘しておきたい、と月村さんは言う。

「非常に有名な名作文学に重なるのですが、現段階では具体的な作品名は明かさずにおきましょう。私が見出したのはあくまでも自分が書く上でのスタート地点に過ぎません。ですから、それを明かすことで読者に先入観を与える結果になってしまうのはよろしくないですし。でも、手がかりは作中にいっぱい散りばめてありますので、よかったら探りながら読んでみてください」

 二人の主人公の名は翔太と海斗。二十歳そこそこの彼らは恵まれたルックスを買われ「カタラ」なるグループに入ることになる。若い男が集まるこのグループは会員制クラブの形態を取りながらデート商法を行い、網にかかった女性たちを風俗に送り込んでは利益を稼ぐ半グレの“ビジネス”集団だった。

 ほぼ同時期に入店した翔太と海斗は優れた理解力と適応力を発揮し、一目おかれる存在となった。そして、タッグを組むようになると瞬く間に頭角を現していく。

 そんな彼らにとって師のような存在になったのが城有という男だった。強いカリスマ性を持つ城有は、半グレだけでなく「何者かになりたい」タイプの若者たちの教祖的アイコンにもなっていた。

 二人は城有に心酔した。特に海斗はその一言一句を“学び”、自分は特別な存在だと強く確信するようになる。一方、翔太はグループのビジネスに深入りすればするほどある違和感を覚えはじめるのだ。

社会にあふれる凡庸な悪と悪を自覚できない人々

 物語は二部に分かれ、第一部では二人が半グレビジネスに絡め取られていく姿を追いながら裏社会の黒い流れを、そして第二部では一流企業の会社員が“業務”として行う不正行為と、それに胡座をかく“上級国民”の姿が圧倒的なリアリティをもって描かれる。

 彼らに共通するのは徹底した罪の意識のなさだ。彼らにとっての“学び”とはいかにコスパよく利益を上げるか、に限られる。

「きっかけとなったドキュメンタリーを見た時、事件の加害者である学生が、反省するどころか『この社会経験を生かして次のステップアップに繋げたい』みたいなことを言っていました。大勢の人を不幸にしておきながら、まだそんなことを平気で口にできてしまう。悪かったとは微塵も思っていないわけです。私は強い怒りを覚えました。でも、どうしてそう言えてしまうのか。その疑問が作品を書く上での大きなモチベーションになったんです」

 だが、月村さんはただ彼らだけを断罪しようとするのではない。問いかける刃の切っ先は“普通の人”にも向けられる。

「近頃流行りのタイパって言葉がありますよね。タイム・パフォーマンスの略だそうですけど、そういう言葉や考え方を当たり前に受け入れている人に『いや、それは駄目なんですよ』と言ったところで会話は成立しないじゃないですか。発想や考え方自体が違うから。それはもうどうしようもないんですよ。そういう時代になってしまったから」

 物語が進むにつれ、利益至上主義、自己責任論、他人への無関心など現代社会の病理が次々と浮き彫りにされる。人間性への冒涜とさえ言えるそれらに月村さんが抱く怒りがひしひしと伝わってくるのだ。

「はい。怒りは物語全ての出発点ではあります。けれども、近年は表現の方により強く気持ちが向いているんです。以前は物語の方に目が行きがちでした。もちろん小説ですから物語るのは大事だけれども、次の段階としてそれをどう表現していくかが今の私の課題です。底に怒りはあるけども、それをただ書くだけでは駄目ですよね。それなら普通の報道やノンフィクションでいいわけですから。小説という表現形態をとる以上は、さらに上の、何かもっと根源的なテーマに迫りたい。今回は、それに該当するものとして、人間の中にある普遍的な邪悪を書いたつもりです。本作に登場するような邪悪さを持った人間はいつの時代にも、どこにでもいます。ただ、それらを積極的に肯定していくかどうかは、時代の空気によって大きく変化するのでしょう。残念ながら今はこうした邪悪がはびこり、誰も逃れられない世界になってしまっています」

 月村さんは、今の日本社会にはもうほとんど絶望している、と語った。だが、作品中では絶望で終わらないなにかがほのかに見える。

 たとえば第二部、今一度やり直さなければならなくなった翔太は、ある人物の導きによって「言葉」と出会い、“人の価値”の本当の意味を少しずつ学んでいくのだ。

「私としては、本作に私なりの救いを用意したつもりではあります。ですが、それがどこまで伝わるかは心もとない。いつもなら『楽しんでいただければ幸いです』とにこやかに言うこともできるんですけど、この作品に関してはそうはいかないところがあります。もう好きに読んでくださいと言うしかありません。読んでくださった方が何を見出し、感じ取るか。それは完全におまかせしたいと思っています」

月村了衛
つきむら・りょうえ●1963年、大阪府生まれ。2010年『機龍警察』でデビュー。12年『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、13年『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、15年『コルトM1851残月』で第17回大藪春彦賞、同年『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞、19年『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。著作に『脱北航路』『香港警察東京分室』など多数。

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