『ゴジラ-1.0』デザインは核兵器のメタファー。山崎貴監督が『シン・ゴジラ』のプレッシャーに立ち向かい“昭和のゴジラ”を描いた理由を語る【山崎貴インタビュー】

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PR公開日:2023/11/25

ゴジラ-1.0
©2023 TOHO CO., LTD.

『シン・ゴジラ』以来7年ぶりとなるゴジラシリーズの新作映画『ゴジラ-1.0』が公開中だ。本作の監督・脚本を務めるのは「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズ、「STAND BY ME ドラえもん」『永遠の0』などを手がけた山崎貴さん。終戦直後の日本を舞台に、戦争を生き延びた人々がゴジラに立ち向かう姿が描かれている。また、山崎監督自らが執筆したノベライズ『小説版 ゴジラ-1.0』(集英社オレンジ文庫)も11月8日に発売された。

 本記事では山崎監督の単独取材を実施。1万字に及んだロングインタビューを2回に分けてお届けする。前編は『シン・ゴジラ』のプレッシャーや、本作の舞台が「昭和」となった理由、ゴジラのデザインについてじっくりと話を聞いた。

(前後編の前編)

(取材・文=前田久(前Q)、撮影=金澤正平)

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ゴジラシリーズのプレッシャー

――「『シン・ゴジラ』のあとに『ゴジラ』の監督をやるのは、大変なプレッシャー」という趣旨のコメントを繰り返しされていますね。

山崎貴(以下、山崎):あはは。本当に、観たあとは「このあとは誰もやらないんじゃないかな」と思ったんです。そう考えていたら、なんと自分が撮ることになったわけですけど(笑)。やっぱりよくできている作品のあとに同じシリーズの新作を撮るのは、ちょっとつらいものがありますよね。

――もう少しそこを具体的にうかがってもいいですか? 『シン・ゴジラ』の何が、どう、そこまでプレッシャーに感じるほど衝撃的だったのでしょう?

山崎:『シン・ゴジラ』の一番すごいと思った点は、やはりゴジラの再解釈の仕方ですね。あれはまさに、「3.11」のあとに作るべきゴジラだった。あの出来事にまつわる記憶、「3.11」のときに僕らが感じたものが、ゴジラという形になって現れた感じが、強くあったんです。それは初代の『ゴジラ』の構造に非常に近い。

――どういうことでしょう?

山崎:『ゴジラ』の第一作は、核の問題であるとか、戦争が終わったあとのつらい気持ち……「戦争は嫌だな」という、当時の大勢の人々の中で漠然と共有されていた気持ちが、怪獣という悪夢のような形をとって日本に上陸してきてしまう。そんな構造を持った作品だと、僕は感じているんです。『シン・ゴジラ』も同様に、ゴジラという存在を通じて、僕らの「3.11」の記憶を呼び起こすような映画になっている。その作り方は、ゴジラというものを正しく再解釈している感じがして、すごいなぁ、と思ったんです。

――なるほど。

山崎:特定のヒーローがいなくて、「みんな」が力を合わせて、知恵を集めて、何とか巨大なものと戦っていく……そんな構図もすばらしかったですね。あと、細かいところだと在来線爆弾。何も知らずに試写を観て、ものすごくウケました(笑)。「この映画は、こんな隠し玉を持っていたのか!」と、本当に心が高揚したのを覚えています。そうした細部も含めて、いろいろなことが非常にうまくいった作品だと思うんですよね。監督の樋口真嗣さんと総監督の庵野秀明さんのリレーション(関係)も、これまでおふたりが関わられた作品の中で一番うまくいってるような気がしますし、うち(=白組。山崎監督の所属会社)の三軒茶屋チームをよくあそこまで鍛え上げてくれたな! という感謝の気持ちも大きいです。身内の話になってしまって恐縮ですけど(笑)。

――いえいえ。

山崎:三茶のチームがやると聞いたとき、庵野さんの期待に応えられるか、ちょっと心配だったんですよ。誤解のないように言えば、それはチームに実力がないという意味ではなくて、庵野さんの要求水準がとてつもなく高いだろうと思っていたからなんですが、もう、見事にやれていました。仲間たちに対しての「おまえたち、よくやったな!!」みたいな感覚もあって、とにかく様々な意味で、自分の中ではとても大きな作品なんです、『シン・ゴジラ』は。

山崎貴監督

「昭和の世界に立っているゴジラを見たい」

――お話を聞くほどに、それだけの衝撃を受け止めたあと今回の『ゴジラ-1.0』を監督するのは大変だったろうなと、ご苦労が忍ばれます。企画の着想はどこからスタートされたんですか?

山崎:前々から軽くオファーをいただいていたこともあって、僕なりの「ゴジラ」像みたいなものはもともとあったんです。「昭和の世界に立っているゴジラを見たいな」と。

――発端のアイデアはそこに。

山崎:はい。で、昭和という時代は長いじゃないですか。だから昭和のどこに置くかをいろいろ考えたときに、もう本当に兵器らしい兵器が何もない時代、自衛隊どころか、警察予備隊もまだなくて、すぐに戦える人がいない状態の日本にゴジラが現れたら、人はどう行動するだろうか? というアイデアを思いつきました。その状況は「映画」だと思ったんです。

――「映画」ですか?

山崎:「舞台となる時代そのものが、しっかりとした物語性を秘めているな」と。それと、「戦争で傷ついた人たちが、ゴジラという、ある種、戦争のメタファーのような存在と向き合ったときにどういう行動をするのか?」という状況設定も、「映画」的というか、文芸的だなと感じました。実は前々から、戦後のいわゆる「焼け跡」を題材にした映画を作りたい気持ちもあったので、それをゴジラという題材と一緒にすることで、描きたかった世界観が作れるのではないかとも思ったんです。

ゴジラ-1.0
©2023 TOHO CO., LTD.

――アイデアが繋がった。

山崎:それで企画を出したら、「おもしろいですね」とすんなり通ったし、僕も特別なことだと考えていなかったんですけど、あとから「第一作よりも前の時代設定を扱うのは、これまでシリーズのタブーだったのに、よく言いましたね」と言われて(笑)。

――気付かずに踏み込んでおられた。

山崎:それに、よく考えたら「ゴジラ」のシリーズ作は、全部現代劇なんですよね。作品の中で過去に戻ったり、未来に行ったりすることはありますけど、基本的には撮られた時代、現代を舞台にしている。それが今回初めて、ある種の時代劇として「ゴジラ」映画を撮ってしまった。そうか、意外と危険領域にいたんだなって、あとから気付きました(笑)。

――意外とそういうものですよね。

山崎:でも、初代の『ゴジラ』好きとしては、それに近い時代を舞台に「ゴジラ」を作れたのはすごくうれしいことでしたし、この映画はある意味で、対『シン・ゴジラ』戦なわけですよ。そこで自分の監督として得意な時代に持って行けたのもよかったですね。

――戦中・戦後すぐの時代は、これまでの監督作で何度も手掛けてこられましたものね。

山崎:そうそう。よく調べてきて、割と知識もあるつもりなので、その意味でもこの時代を扱うことで面白くできるんじゃないのかな? という予感がしていたんです。

山崎貴監督

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