『魔女の宅急便』は「魔女をよく調べないで書いた」角野栄子。27年ぶりに新装版で出版した魔女のエッセイと自身の“魔女観”を語るインタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/10

 89歳になった現在も精力的に執筆を続ける児童文学作家の角野栄子さん。映画『カラフルな魔女』の公開、「魔法の文学館」(江戸川区角野栄子児童文学館)の開館といったニュースも続き、続々と新たなフォロワーを生み出している。ところで、角野さんのことは『魔女の宅急便』の作者と記憶している方も多いことだろう。このほど、そんな角野さんが初めて「魔女」について書いたエッセイ『魔女のまなざし』(白泉社:『魔女のひきだし』を改題)が、書き下ろしが加わって新装版で出版されたとのこと。早速、お話をうかがうことにした。

魔女のまなざし
魔女のまなざし』(白泉社)

「魔女ってどういう人なのかな」と書いた本

――前作が刊行されたのは1997年。27年ぶりの新装版での出版ですね。

角野栄子さん(以下、角野):魔女についてのエッセイは時々書いていますけど、こうやってまとまっていると良いなと思っていたので、なんとか生き返らせてもらいたいと思っていたんです。そうしたら編集の方からちょうどお話をいただいて。

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 この本を書いた当時に「魔女っていうのはどういう人かな」ということで目的を持ってルーマニアを旅したんですけど、今回ちょっとその時のことを思い出しながら少し付け足して書きました。あの旅はすごくいろいろなことがあったんです。チャウシェスク政権が倒れてから2年弱くらいで、まだいろいろちゃんとなってなくて、とても厳しい旅でね。訪れたマラムレシュ地方は民俗的なものが丁寧に残っているところで、そこで出会う人々はとても美しかった。そういう暮らしを思い出しながら書いてみました。

――魔女の捉え方は、書かれた当時と今とで何か変わった点はありましたか?

角野:そんなに違ってないですね。実は『魔女の宅急便』を書いたときは、物語を書くのが面白くって、魔女ってどういう人なのか調べないで書いたのね。当時は私も物書きとしては新人だったものですから、そんなに用意もなく、とにかくキキという女の子を書いてみたいっていう気持ちだったんです。

 そうしたらたくさんの方が読んでくださって、映画もできて、『魔女の宅急便』の周辺がすごくにぎやかになってしまって、それで魔女ってどういう人なのか調べたいと思うようになったのね。そんなときにみやこうせいさんの写真(*)を雑誌で見てすぐにみやさんに電話して、「いっしょに行ってください!」って。

*写真家のみやこうせいさんが月刊誌『母の友』(福音館書店)で書いたエッセイに掲載した「ルーマニアの魔女」と題された白いスカーフをかぶったおばあさんの写真。この写真を見た角野さんは「今を生きる魔女がいるなら、ぜひ会わなければ!」と旅を即決したという。

――てっきり先生は幼い頃から魔女のマネなどして親しまれていたのかと思っていました。

角野:ぜんぜん。もちろん『ヘンゼルとグレーテル』とか『白雪姫』とか、昔話の魔女は知っていますよ。でもみんなどっちかといえば悪い人でしょ。私はかわいい魔女を書いてしまったので、「これでよかったのかしら?!」って思ってしまって。キキは箒に乗って物をこっちからあっちに運ぶ人で、それがひとつの「魔法」といえば魔法なわけだけれど、それが果たして民俗学的にいう魔女の路線になるのか心配になったのね。だからちゃんと調べてみなくちゃいけないなって思っていたの。

――なるほど。で、どうだったんでしょう?

角野:ルーマニアでは魔女的な人たちのことを、魔女ではなく「フラジトワレ」って呼ぶんですね。そしてそれは昔話に出てくるような悪い人ではなくて、祈祷をしたり、自然界から何かいいものを獲ってきて家族を健康にしたり、そういう「まなざし」というものを持った人たちのことなの。よく自然を見て、そこからいいものを取り出していったということは、向こうの世界からこっちの世界にいいものを持ってきた人ということ。キキが運ぶ物にはいろいろな歴史があるし、託す人にも渡す人にも何か事情があるわけですよね。つまり彼女もこっちの世界とあっちの世界に物の受け渡しをしていく役割を果たして、自分も成長していくので、その意味ではあっていたわけね。ちゃんと「伝統的な魔女」だったわけです。

あっちとこっちの世界をつなぐ魔女の力

――この本にはさまざまな魔女の力が紹介されています。先生が一番、「これぞ魔女」と思うのはどの点ですか?

角野:ドイツの黒い森地方に「ファスナハト」という、街の鍵を開けるお祭りがあるんですが、それが一番魔女をあらわしていると思います。

 昔はみんな城壁の中で暮らしていて、夕方になると家畜もみんな城壁の中に入れて鍵を閉めたんです。壁の向こう側の暗闇には狼とかいろいろ住んでいて、そういうものから守るために城壁があったわけです。つまり暗闇の世界と明かりの世界と2つがあったわけで、カーニバルの間だけはその城壁の扉を開けて、暗闇の中に住んでいる不思議な人たち、また見えないけれど力を持っているものたちも一緒にお祭りに参加しましょうという意味があるのです。

 暗闇というとなんかこわいことを想像するけれども、やっぱりその恩恵がないと人は生きていけないわけ。それは自然の力ですから。だからそういう人たちと一緒に楽しいお祭りにしましょうよって街の扉を開ける。その境目を開ける役割の一端を魔女が担っているわけです。

――先生は幼い頃にお母様を亡くされて、ここではない別の世界をすごく意識されていたとのことですが、その感覚はこっちとあっちの世界をつなぐ魔女の存在とリンクするところはあるのでしょうか?

角野:リンクするというか、それは「想像する」ってことでもあって。5歳のときに母を亡くしたものですから、私は「母が行った世界」をずっと想像しながら生きてきたわけです。

「物語を書く」というのも、見えない別の世界を想像してそこから何かを取り出して書くということだとおもうのね。だから同じではないかしら。

――そして歴史はそうした魔女を否定するわけですね。

角野:グリムやアンデルセンの物語が描かれた時代は、宗教的なものとか、そのときの権力者の思惑などで魔女という存在が「悪」として利用されていったのね。

 元々は魔女っていうのは、自然界から香りのいいお茶を持ってきたり、薬草を持ってきたりというところからはじまるのね。昔は新生児死亡率がものすごく高かったから子どもを守るためでもあったし、もちろん家族の健康を願ってのことだったと思うのね。それが「あの人は気持ちが爽やかになる『いいお茶』を作る」とか、評判になるとだんだんと専門職になっていって、やがてはお産婆さんや、お医者さんのような役割を持つようになっていったのね。そして時には宗教や政治がそうした彼女たちの力を利用していくようになるわけです。そしてそのような能力を持った女たちを「魔女」として悪者にしていったのでしょう。

――魔女は暗闇と相性がいいですが、今の街はすっかり明るくなりました。そんな時代でも魔女は求められると思いますか?

角野:魔女という名前が求められるかどうかはわからないけれど、いろんなものを見つけて、それを自分のものとして受け入れて、何かを作り出そうとする――そういう気持ちっていうのは、これからすごく大事なんじゃないかしら。それは「自由」があるってことでもあるのね。自由になにかを見て、それを取り入れて、表現していくっていう。そうなるには自由でないといけないですね。

――「目に見えないものの世界」を信じる力も大事でしょうか?

角野:そうね。信じてない人が多いわよね、今は。すべて数値であらわして、価値を決めようとする傾向がありますから。学校でもタブレットばかり見ているとね「発見」して「想像」するっていう人の一番大切な機能がなくなっていくようで心配です。

 昔はテレビのチャンネルを変えるのだってダイヤルを回したから、微妙な手の動きがだんだん上手くなっていったりもしたけれど、今はリモコンでピピっとできてその能力はなくなっちゃうでしょ。もちろんその代わりに得るものはあるし、座っていてもできるのはありがたいことです。でもね、やっぱりありがたがるばかりじゃなく、失うもののことも考えてみる必要があるんじゃないかなって思うんです。

――「想像力」というのは、やはり生きていく上で大事ですよね?

角野:わたしは、「想像力」は一番大事だと思っています。日々の暮らしの中で、見たり感じたりしたことを大切にして、そこからいろいろなことを想像して、人はそれを創造する力に代えていくのです。
何かを作り出すことは、その人らしい生き方に繋がっていくと、わたしは思っています。

 今は昔のような闇は少なくなっているけど依然として、闇は残る。やっぱり人が何かに怯えたり、不安を感じたりすることはすごく多いじゃないですか。それはもう人から離れられないのね。だから人はそのことを抱えながらも、想像することによって生きる力を得ていくのではないかと思います。人間は一人一人そういう力を持って生まれてくるのだと、わたしは思っています。

――そしてそれが「生きている」ということでもありますよね。

角野:そうですよね。そして魔女はその間にいて、明るい世界と闇の世界の両方を見て、発見をし、想像し、また発見をして、家族を守ろうとしたのです。魔女がそのような存在だったということは、繰り返していうと、人はひとりひとりがそうした感覚をはじめから持っているのよね。人は孤独だけど、でも孤独であっても自分なりに世界を想像する自由はあるわけだからこの想像する力を育て、逞しく生きていってほしいと思います。

――そしていまや、先生ご自身が「魔女」と言われるわけですが、お気持ちは?

角野:あんまり言われるのは恥ずかしいけれど、やっぱり私はひとつ魔法を持っていると思うのね。それは「大好きなもの」を持っているということね。私の場合、それは「書くこと」だと思います。だからその点では、「魔女」って言われてもいいかなって思っているの(笑)。

 でもね、私だけじゃないの。ひとつ好きなものがあって、コツコツコツコツそれに向かって歩んでいくと、向こうの世界からいろんなものが出てくるの。それを取り入れながら歩んでいくというのが、ひとつの魔法なんだと思う。だから魔法は、誰でも一つは持っているものなのよ。

取材・文=荒井理恵

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