呂敬人氏 Interview long Version 2005年4月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

――ブックデザインのことは、中国語で「書籍設計」というのでしょうか?

 そうです。ブックデザインを中国語で表現すると「書籍設計」です。

――日本では表紙とカバーだけをデザイナーがデザインすることも多いのですが、中国では、造本の設計までトータルでデザイナーがデザインすることが多いですか?

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 イデオロギーや経済など多方面の原因により、長い間多くのデザイナーたちは表紙とカバーのデザインだけを手がけ、本文組みまでデザインすることはほとんどありませんでした。しかし近年、状況は変わりつつあります。デザイナーに造本の設計まで求める出版社もありますし、旧来の書籍の形態を変えるよう要求する著者もいます。また、個性的なデザインをするデザイナーも出始め、書籍の編集、設計に個性を発揮するデザイン事務所もたくさんあります。

――呂さんがデザインをするまで、中国にとくに「ブックデザイナー」はいなかったとうかがいました。とても興味深いのですが、そういった中国の装丁の「背景」について教えてください。具体的には

・中国の装丁の歴史について
・呂さんがデザインを始める前後の中国の装丁事情
・呂さんがブックデザイナーになったきっかけ
・日本に留学された理由

について、簡単に、教えていただけますか?

 中国では「装幀」という語は『辞海』(※中国に昔からある辞書)には載っていません。他の一般の辞書の解説では「書画や書籍・雑誌を飾ること」とあります。「幀」は数詞です。絵や本のページを数える単位なのです。多くの紙を綴じて一冊にすることがすなわち「装幀」で、中国の古典にこの語はありません。ある資料によれば「装幀」という語は日本に留学した中国人画家・豊子kai(りっしんべんに凱の左側)が1930~40年代に日本から帰国した際に紹介した言葉で、そのまま現在に至っているということです。今日「装幀」とは本の表紙、扉、紙面などをデザインすることです。近年、デザインの教育の場で「書籍芸術」や「書籍設計芸術」という言葉を使い始めました。正式には1996年、私と寧成春、呉勇、朱虹の4人で出版した『書籍設計四人説』で使用したのが始まりです。私たちは「書籍設計」とは書籍の表面を飾ったり紙面を飾るだけではなく、時間的、空間的な情報の編集を包括した書籍のもつ五感の全方位的な設計を指すと考えています(これは日本で杉浦先生に理念を学んだ成果です)。私はかつて『装幀からbook
designへ 観念の転換』という文章を多くの新聞や雑誌に発表しました。その中で今のように「書籍設計」という語を幅広く用いましたが、一部で「装幀」の語の方が古くから使われており、「書籍設計」と新しく言い換えるべきではないと考える人がいました。私の認識ではこの二つの語の内包する意味は同じではありません。時代が進むにつれ、ブックデザインの役割や関わる領域も拡大しており、原点に返って二つの語の違いを明白にする必要があると感じています。

 私は70年代末に書籍デザインの仕事を始めました。その頃は文化大革命が終わったばかり。全ての混乱がしずまって正常な状態に戻った頃です。文革前に出版社にいたデザイナーたちはほとんどが農村に下放されており、文革が終わってそれぞれが出版社に戻ってきました。人々は悪夢から目覚め、皆が熱意を持っていました。当時の私の主な仕事は文学書に挿画を描くことと、表紙のデザインです。一般のデザインは表紙をデザインすることだけに留まっていました。印刷技術も遅れており、多くは活版印刷です。私はよく自転車に乗って印刷所に行き、インクの調合をしたり、活字を並べたり、工場の人と印刷上の問題を解決していました。コスト節約のため出版社は、書籍を作るのに全体を創造することや構成することを求めてはいませんでした。80年代に入り中国経済は成長を始め、人々は衣食が満ち足りて基本的な生活の保障を得ました。すると文化出版に対する欲求が増し、出版業の発展が明らかになります。そして装幀を手がける人間が増加しました。そこで、互いの交流を深め、レベルの向上をはかるために中国書籍装幀芸術研究会が成立します。会では4年に1回全国書籍装幀芸術展を開くことを制定しました。このことは中国の書籍設計業の発展を促進しましたが、この間、政治及びその他の原因により必ずしも4年に一度の開催はできていません。しかし、2004年までに6度の全国展を催しました。ここに中国のブックデザインの前進の軌跡を見ることができます。

 80年代から90年代初頭にかけ、私は絵画からデザインに転向しました。私の書籍デザインに対する知識はまだ漠然としていましたが、国が開放されるに従ってたくさんの新鮮な芸術の情報を目の当たりにしました。私は深い感慨を覚え、外国で芸術の養分を吸収したいという欲求が日増しに高まりました。その時ちょうど日本の講談社で研修を受けるというチャンスがあったのです。かねてより日本の書籍デザインの大家である杉浦先生を崇拝しており、講談社に行った後、すぐに杉浦先生の所で学びたいという希望を出しました。そして講談社のご紹介をいただき、私の希望がかなったのです。帰国した後、もう一度杉浦先生の奨学金を受け、再度事務所で学ぶ機会を得、先生の弟子になりました。このことは私の一生の中で最も忘れがたい幸せな経験です。私は心から先生のご指導に感謝しています。

――呂さんの作品をはじめ、「全国書籍装幀芸術展」のカタログを拝見すると、すばらしいデザインの本ばかりですが、近年、中国でブックデザインが活気づいている理由について、そして、その社会的な背景についても教えてください。

 20世紀の最後の10年、中国の政治、文化、経済はよい方向に発展しました。芸術創作にとっても比較的豊かな環境になり、中国の文化、芸術方面で仕事をする人々の思考は活発になりました。国内外の文化、芸術交流の機会が増え、留学をしていた芸術家が国に戻り、学術思想の開放をもたらします。個々の職業の体制が改革されるのにともない、多くの優秀なデザイナーが国家公務員の職を離れ、社会へと飛び出しました。公平なルールと自由な競争の実現が促進されたのです。若くて有為なデザイナーが頭角を現し、個性も鮮やかなデザインが、従来の出版界の変化のない陰鬱な気分に満ちた古い概念を打ち破りました。社会の非主流の(※出版社に属して仕事をするデザイナーを主流とする)デザイナーたちが莫大な熱情とエネルギーを呈し、いわゆる主流の出版社に属していたデザイナーまでも、「居安思危(平和なときも危険に備え準備をおこたらない)」「不断進取(絶え間なく進取する)」といった気風に感染させました。6回の全国書籍装幀芸術展の作品の大部分は出版社に属さないデザイナーの作品です。今回の装幀展は過去にない活力に満ちています。

――中国のブックデザインが優れている理由として、中国の伝統的な造本の「語法」を復活させていること、「伝統に学ぶ」「温故知新」の姿勢が素晴らしいと、杉浦先生が語っていらっしゃいますが、その点について、呂さんをはじめ中国の出版関係者は、どのように考え、感じていますか?

 中国出版市場が盛り上がると商業化の波が出版社に押し寄せます。更なる利益を求めて出版物にも手軽なファーストフードのようなものが現れました。利益を上げることばかりに懸命で、質のよい書籍を求めないのです。加えてコンピュータの手法が普及し、デザインにかける時間はますます短くなり、書店には質の悪いビジュアルの書籍のゴミの山が形成されています。このような書籍文化の零落に直面し、見識のある多くの出版人やデザイナーが事態の解決を図り、人々の書籍文化の新生に対する意識を呼び覚まし、質素な原点に立ち返り、趣や気品のある文化気質を求めるよう喚起しています。一部のデザイナーは外国の進んだデザイン理論を取り入れると同時に、中国文字や民族文化の要素を用いることの重要性を感じています。時代の要求に合い、かつ民族の美意識に合った表現力を持った伝統的な造本の「語法」を創造することに努力しているのです。この装幀展でも、いくつかの作品が民族の伝統文化への回帰の過程で発見した独自の魅力を持ったビジュアルを獲得することに成功しています。中国のデザイナーたちは伝統に学ぶことが書籍デザインの根本であると意識しているのです。

――「全国書籍装幀芸術展」のカタログに載っているような本は、とても凝った本が多いのですが、カタログに載っている本は工芸的な本で、一般に普及する本はまた少し違うのでしょうか? また、一般の人々へのブックデザインへの関心はどのような感じでしょうか?

 確かに豪華本と普及本は相互に矛盾しています。中国では人々の平均的な収入が低いということもあり、価格が高すぎる本は書籍の効能に相反し、人道にもとるとも言えるでしょう。書籍は本来読まれるもので、飾っておくものではありません。昨今、このような豪華本はますます高くなる傾向があります。これは出版社が利益を得るためだけに作られており、書籍の美を追究することとは本質的に違います。ただし書籍芸術を作り出すためには、絶え間なく探求し、新しさを求めてゆくべきで、芸術の発展にこれら実験的な仕事も必要です。我が国の伝統的な書籍の形態に数多く存在する逸品を回顧すれば、古人の創造性と精緻な技術に驚嘆せざるを得ないでしょう。責任感のあるデザイナーは伝統に学ぶことに努力すべきです。

 私が思うに本のデザインはさまざまな読者の要求を考えなければなりません。まず大多数の本は人に買われるために作られます。その他の少しの本が収蔵家や図書館のため、あるいは学校で研究のために使われると思います。書籍文化が人々の心に深く浸透するに従って、普通の人が本の表紙の広告だけに関心を持つのではなく、書籍全体の芸術の興趣を感じ取ってくれるようになると信じています。

――日本の場合、取次会社を通じて出版社から書店へと運ばれますが、凝った本をつくると取次会社が扱ってくれないので、ブックデザインへの制約が大きいのですが、中国にも取次会社のような存在はありますか? 出版社から書店へは、どのように本が流れているのでしょうか? 中国の書籍の流通について教えてください。

 中国では日本のような書籍の流通を専門に扱う企業はありません。年に一度の全国書籍契約会や専門書の注文会などがあります。出版社と書店が会場で直接契約を交わし、その後出版社が注文をくれた書店や書商に本を送るのです(あるいは書商が出版社に本を取りに来ることもある)。専門の書籍運搬業者がいないため、特殊な判型の書籍は双方に嫌がられます。そのため書店と出版社はデザイナーに定型で本を作ることを求めます。ひどいのになると書店の棚の高さが数十年変わらないため、定型外の本は棚に収まりません。このようなことがデザイナーの制約となるのです。当然現在の流通において、荷物の規則化は非難されるべきことではないでしょう。ですから一般的にブックデザイナーは用紙の断裁の規格に照らして厳密に本の寸法を計算し、用紙の無駄が出ないようにします。特殊な判型の本も例えば箱に入れるなどの方法をとってはいますが数は少ないのです。

――呂さんに続く若い世代のブックデザイナーはどのように育っているのでしょうか? どのように学び、どのようなヴィジョンをもって活動しているのか、教えてください。

 「今日の若者は本を読むのか?」人々はこの問題に注目しています。情報媒体は多元化し、本を読むことに充分な時間をさけなくなっています。私は学校で教える際、第1に学生たちの本に対する新しい興味を引き出し、本を愛し、読み、そして作るように導かなければなりません。第2に、書籍デザインは表紙を飾ることではなく思想の担体(carrier)であって、著者と読者の間の架け橋であり、時間や空間を注入する精神の棲息地なのだと教えます。第3に学生に書籍デザインの言語と方法論を把握させ、読者がページをめくり、ただの物質にすぎない本との交流を楽しむ過程での感動を創造するのだと教えます。

 私が彼らに教えることができるのは我々の祖先が作り出した書籍の伝統と、ここ50年の近代中国の書籍の発展の歴史を紹介することです。西洋文化の影響を多大に受けている現代の若い学生たちにとって、初めて受ける衝撃です。彼らの心の中に我が民族の書籍文化の種をまき、虚心にその他の民族の優秀な文化を進取する心と想像力を教えているのだと信じています。

――日本に留学し、杉浦先生のところで勉強されて、どのようなことを学ばれましたか?

 日本に留学している間、杉浦先生の心のこもった教授を受けたことは、わずかな言葉では語り尽くせません。この収穫は私が一生をかけても尽きることがありません。芸術の審美やデザイン思考、視覚情報伝達理念などの芸術上の収穫の他、仕事をすること、身を持すること、価値観、世界観などの方面で得た実りも浅からぬものがあります。杉浦先生のもとで学んだことは一種の修行だったと言えるでしょう。人生の価値や思想修養の薫陶でした。先生は私に自分の民族文化の重要性を気づかせ、デザインの真の道理は人の根本の道理を表現することだと明らかにさせてくださったのです。私は帰国してからも先生の教えをしっかりと心に刻み、また今でも教えを請うています。自身の落ち着きのなさや虚栄心を克服し、一歩一歩着実に歩むよう、じっくりと現在の仕事に従事するよう導いてくれます。もし私の仕事に少しでも成果があるならば、それは先生とは無縁ではないのです。

――呂さんからご覧になって、現在の日本のブックデザインについては、どのように感じていますか?

 この20年、日本の書籍デザインの中国に対する影響はたいへん大きいです。少なからず日本は現代デザインの概念において先進的な啓発をしています。さらに重要なのは同じ漢字文化圏に属するということです。中国のデザイナーにとって、どのように西洋から学び、その長所を取り入れ短所を補うか、またどのように民族の文化を留めるかを考えるとき、日本のデザインは我々の参考になります。日本のデザインは謹厳で字体のデザインも研究され、書籍言語も豊富、工芸の技術も精緻です。杉浦先生に代表される書籍デザインの理念は日本にとどまらず、アジア、特に私たち中国への影響は大きいのです。杉浦先生のデザイン哲学は若い世代のデザイナーの西洋文化崇拝主義を変え、東洋の伝統を尊重し己の自信を取り戻すきっかけとなります。