そこは生と死が交わる路地…傑作幻想譚『よこまち余話』の魅力とは!?【後編】

文芸・カルチャー

2016/3/1

『よこまち余話』(木内昇/中央公論新社) 直木賞受賞作『漂砂のうたう』などで知られる実力派作家・木内昇さん。最新作となる『よこまち余話』(中央公論新社/1500円+税)は、ちょっと奇妙な路地を舞台に描かれる、懐かしく切ない幻想物語だ。新しい境地を拓いたこの作品に、木内さんが込めた思いとは?

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記憶に残っている限り、人は死なない

――主要なキャラクターの一人として、魚屋の息子の浩三という少年が登場します。感受性が鋭く、自分にしか見えない「影」と対話したりする。彼はどんな登場人物として描かれているのでしょうか。

木内・見えないものを身近に感じるというのは、幼い頃なら誰でもありますよね。浩三が会話している影も、本当に妖怪なのかどうかは分からない。彼の内面の声かもしれないんですが、想像力があってそういうものと交流できる。そんな少年として描いています。

――浩三は齣江や老婆のトメにも可愛がられています。この長屋に伝えられてきた大切なものを次の世代に繋いでいく人、というような役所でもありますね。

木内・変わってゆく時代に翻弄されずに、伝統を継いでいける人を出したかったんです。浩三は口下手ではあるけれど、想像力があって、人の心を推しはかることができる。いつの時代も、自分のまわりを観察して想像することはとても大切なことと思います。

――物語の後半では、浩三が念願の中学に進学を果たし、ある人物と出会うことになります。そこから物語は意外な方へ展開してゆきますね。ネタバレになるので書けませんが、まさかこんなに切ない物語だとは予想もしていませんでした。

木内・わたしもです(笑)。書き始めた時点でこうなるとは思っていませんでした。いつも事前に筋を決めることはほとんどしないんですよ。プロットを立てることはありますが、その通りに行くことは滅多にない。登場人物をしっかり立ち上がらせたら、あとは彼らの動きを、辛抱強く観察しているという感じです。今回も書きながら自然と、こういう話になっていきました。

――作品全体に漂っている、亡き人への追悼・鎮魂の思いにも感動しました。

木内・大切な人との死別を経験すると、どこかで元気で暮らしているんじゃないかな、と思ったりするんですよ。会えないけれど、どこかで生きていて欲しい。そういう希望がこの作品にも出ていると思います。

――17あるエピソードの最後に置かれたのが「はじまりの日」。美しいラストシーンには、生死を超えたつながりを感じました。

木内・亡くなったからといって、突然すべてがなくなるわけじゃない。誰かの記憶に残っているうちは、ある意味、まだ生きているのと同じだと思うんですよ。別に大きな偉業を成し遂げてなくてもいい。その人の佇まいが誰かの記憶に残るだけで、充分生きてきた意味があるんじゃないか。私は常々、そんな風に感じているんです。

――本作が連載されたのは、2007年から08年にかけてですが、このタイミングで単行本化されたのはなぜですか?

木内・単行本化のお話は当時から出ていたんですが、ちょうど『茗荷谷の猫』が出たあとで、連載の依頼が立て込んでもいたので、自分なりに新しいことにチャレンジしたい気持ちの方が強かったんだと思います。

――では、今回久しぶりに読みかえしてみていかがでしたか?

木内・今ではとても書けないような素直な書き方をしているところがあるように思いました。細かい手直しはたくさんしたんですが、これだけ時間が経つと客観的に読めるので、原初的な発見もあったりしました。

――木内さんといえば時代小説のイメージが強いですが、今後もこのような幻想譚を書く予定はありますか?

木内・ええ。たまに書けるといいなと思います。今後しばらくは本格的な時代ものが続く予定なんですが、こういう幻想譚は史実にしばられない分、大胆な飛躍ができるという魅力があります。機会があればまた書きたいと思います。

――期待しています!

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取材・文=朝宮運河