「黙秘権」とは何のためのものなのか? 漫画喫茶女性従業員の死の真相に迫る【インタビュー】

社会

2018/6/11

『黙秘の壁: 名古屋・漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか』(潮出版社)

 2013年、愛知県南知多町の山中で女性の遺体が発見された。白骨化していたその遺体は、名古屋市内の漫画喫茶で働いていたKさんだった。死体遺棄の容疑で漫画喫茶経営者夫婦が逮捕されたものの、彼らは2年2か月の刑期を終え現在は出所している。それは夫婦ともに黙秘を貫き通したため事実関係が判然としなかったことに加え、白骨化した遺体からは死因がわからず、死体遺棄罪でしか起訴できなかったからだ。

 藤井誠二さんによる『黙秘の壁: 名古屋・漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか』(潮出版社)は、一度はKさんを死に至らしめた事実を自供していた夫婦がなぜ、傷害致死では不起訴となったのかについてまとめている。一体黙秘権とは何のためのものなのか。藤井さんに話を聞いた。

■上申書はほぼ黒塗りで、内容がわからなかった

 事件が起きたのは2012年で、Kさんの遺体が発見されたのが2013年、藤井さんがこの事件について知ったのは2014年のこと。遺体発見時はニュースになったものの、その後はあまりメディアでも取り上げられなかったことから、藤井さんも事件の記憶はわずかにある程度だったそうだ。

「遺族の近しい方から事件を教えてもらったのがきっかけだったので、まずKさんのご両親に会いに行ったんです。その際に『なんだ、これは?』と思わず口に出してしまうほど、真っ黒にマスキングされた資料を見せていただいたのです。一読すると、死体遺棄についての部分は判読できるけれど、傷害致死に該当すると思われる、暴行の模様についての部分がマスキングされていたんです」

 警察官や検察官が聞き取りを行い、被疑者が署名または押印する供述調書には、員面調書(司法警察官の面前調書)などがある。藤井さんが見た員面調書は、ほとんどの部分が黒塗りでマスキングされていたという。これ以外にも刑事事件の被疑者が自身の犯行の様子や反省の弁などを記した「上申書」など、十数通の事件資料はそのほとんどが黒塗りされていた。

「傷害致死は不起訴になった罪状です。つまり供述書の中には傷害致死と死体遺棄についての両方のことについて触れてある記述があり、同じ資料の中に、不起訴資料と起訴された事件の公開資料が同居しているということになります。法務省は不起訴記録については犯罪被害者保護の観点から公開に積極的な姿勢は示していますが、実際に担当の検察官に開示を請求するとハードルが高くて、開示や閲覧を請求すると、制限がかけられていて黒塗りされたものが出てくることがよくあります。主な理由は『供述調書等の公開は当事者のプライバシーに触れるから』で、閲覧そのものを拒否されることもあります。今回黒塗りされていたのは、加害者夫婦がKさんに暴力を振るい、彼女がそれで亡くなったことを逮捕直後は認めていたのに、一転して黙秘を続けたことが関係し、傷害致死では不起訴につながったからです。だから裁判資料には事実関係の資料がほとんどなかった。事実をどこまで拾えるか、まるでわからないまま取材を始めました」

 1970年生まれのKさんは、20歳の時に結婚するも1999年に離婚。その後加害者のS夫婦が経営する漫画喫茶でアルバイトを始め、亡くなるまでの約10年間勤務を続けていた。Kさんはなぜだか常に生活に困窮していて、実家に帰る度に大量の日用品を持ち帰ったり、親に借金の相談をしたりしていた。彼女は時に、顔や身体に殴られたようなあざがあった。

 Kさんは2012年4月に加害者夫婦が経営していたラーメン屋を訪れ、そこで加害者夫から全長約120センチ、重さ約1.2キロの金属製の棒で腹部を複数回突かれ命を落としている。夫婦は遺体の服を脱がせ、ナンバーを外したKさんの車を名古屋港のふ頭から海中に投棄しようとして失敗。車はそのまま放置して逃走し、遺体は知多半島の山中に遺棄――。

 加害者夫婦が認めた事件の「事実」は、このようなものだった。しかし解剖鑑定書の死因は「不明」とされ、2人は死体遺棄については起訴されたが、傷害致死については不起訴とされた。それは前述したとおり、彼らが取り調べの一切を黙秘で通したことや死因が特定できないことが大きく関係している。なぜ、このようなことになったのか。

「車の持ち主がKさんと判明するのは、夫婦がKさんを『死なせた』と自ら記した上申書にある日付の半年前です。しかし2人が死体遺棄容疑で逮捕されたのは、その日付の約1年後になります。加害者夫妻が遺棄した位置について、実際の場所から見て道路の反対側の地点だと供述したせいで遺体発見に時間がかかったのが原因です。逮捕されるまでの間に夫の親族が刑事事件を得意とする弁護士を探し、夫婦それぞれに2人ずつ付けています。主任弁護士は『黙秘は武器になる』という論文も専門誌に書いている刑事弁護のプロで、彼が黙秘を指示したという明確な記録はないものの、2人は逮捕後から黙秘を貫きました。だから傷害致死に関する、黙秘をするわずかな間に取られたそれまでの証言は、死体遺棄の刑事裁判では証拠として採用されなかったのです」

■黙秘は国民に与えられた権利で、憲法で保障されている

 黙秘権は憲法で定められた基本的人権で、刑事訴訟法でも「自己の意思に反して供述をすることは強要されない」と規定されている。日本の警察は過去に足利事件や名張ぶどう酒事件、袴田事件など、強引な取り調べや自白の強要による冤罪を生み出してきた。だから黙秘が大事な権利なのはわかる。しかし逮捕前は認めていたKさんへの暴行やその死を語らないままで刑事裁判が終わったら、彼女が浮かばれないのではないか。

「弁護士は依頼人をどう守るかを考えるのが仕事ですが、今回はその結果、法廷で真実を追及することができなかった。もちろん黙秘は重要な権利だし、自分に都合の悪いことは話す必要はありません。裁判では『嘘はつかない』という宣誓をしますが、黙秘はそもそも話さないのだから、宣誓にはのっとっています。しかし加害者が黙秘することで真実の追及が抹殺されてしまうし、『これでは逃げ得ではないか』とも思います。

 とはいえ、黙秘し続けることは普通の人にとっては困難だし、黙秘していても起訴されることもあります。でもこの事件は遺体の損傷が進んでいたため、死因が特定できなかった。さらに上申書に書かれた自供も、証拠とするのは弱いと検察に判断されてしまったんです。証拠が揃わないのであれば、疑わしきは罰せずの推定無罪の原則から見ると間違っていませんが、結果的に被害者と被害者遺族だけが取り残されてしまった。だから僕は捜査機関の判断や、謝罪しながら何も語らないという加害者の黙秘権の行使の仕方によって、泣く人がいる現実を伝えたくてKさん事件を取材したいと思ったんです」

■民事訴訟では勝訴するも、賠償金の支払い意思なし

 同書は月刊誌『潮』で2015年より随時11回掲載されていたものに加筆し、そこでは触れられなかった、Kさんの遺族が求めた民事裁判の判決まで記されている。

 2018年3月14日に名古屋地裁は、夫婦による暴行とKさんの死の因果関係を「高度の蓋然性がある」と全面的に認め、約6700万円の支払いを命じている。加害者夫婦は民事でも証言拒否をしていたが、検察が民事裁判中にKさんの遺族に、マスキングされた部分の概要を口頭で説明したのだ。この説明と、刑事では証拠として取り上げられなかった、セカンドオピニオン的な遺体鑑定人による死因と暴力の因果関係を高い可能性で説明をした(金属棒で腹部を強く複数回突いたこと)意見メモが、証拠に認められた結果の判決だった。

「加害者側は控訴しなかったので判決が確定しました。しかし加害者夫婦の代理人は『賠償金のお支払い予定はありません』と即時に返答し、現在まで支払う意思すら示されてはいません。原告が差し押さえる財産もないし、一方では、犯罪により生じた負債を理由に裁判所は自己破産を認めることはないのが昨今の現状です。謝罪をしたいという意思を過去に伝えてきていますから、きちんと履行するのであれば、毎月の支払う額は少なくても返済契約書を作って『月々これだけ支払います』とするのが、それが僕は人間としてあるべき在り方だと思っています。弁護士はそれを手助けするのが仕事ではないでしょうか。勝訴しても相手方に『払えません』と言われて終わりなら、民事裁判の権威も何もありません。社会正義って一体何なの? ということになりますよね」

 このインタビューではイニシャルにしたものの、本では全員が実名で書かれている。しかし藤井さんは加害者やその担当弁護士を糾弾したくて、実名にしたのではない。犯罪報道は原則的には実名で書くべきだと考えているし、ノンフィクションは実名を含めた事件のディテールを伝えるもの。そして、Kさんがどう生きてどう亡くなったかを書くことで、彼女の人生を刻んでおくことが目的だと語った。しかし藤井さんは同時に、Kさんの私生活や「勤務態度が悪かった」「レジのお金をくすねた」などの加害者夫婦の一方的な証言(上申書に書かれていた)を載せることで、彼女の名誉を傷つけることを危惧していた。だが批判は覚悟の上で、どうしても登場人物はできる限り実名で書きたかったそうだ。

「Kさんと加害者夫は出会い系で知り合い、交際していたようです。彼女は生前から加害者から殴られるなどの暴力を受けていましたが、それでも彼から離れなかった。顔のあざを隠すためなのか、ある日ガングロメイクをしていたことがあったそうですが、これらに触れることは彼女への二次加害になる可能性がありました。しかし出会い系で異性と出会い、実家から『帰っておいで』と言われても聞き入れず、友人とも長らく付き合いを断っていた彼女の存在は、非常に現代的でもあると思ったんです。S夫妻による『レジのお金をくすねた』などの発言の真偽を確かめることはもうできないし、出会い系とかガングロとかってイメージは良くないですよね。でも一人の女性がこの時代にどんな生き方をしていたか、どんな生き方しかできなかったのかを伝えるためには、知り得たすべてを書く必要があった。またフリーランスである僕が後追いのように事件を調べて書いていくことで、『誰かが事件をきちんと忘れることなくウォッチしている』ということを事件関係者だけでなく、司法関係者や地元のメディア関係者に知らしめることもできると思ったんです」

 Kさんの遺族は現在、民事裁判の判決を受けて検察庁に再捜査の申し入れをしている。しかし彼女の死を誰よりも悲しんでいたKさんの母親は民事裁判のさなか、車の自損事故で亡くなっている。結果的に2人の女性が命を落としたこの事件を、加害者やその親族はどう受け止めているのか。出所後のS夫婦の居場所を突き止めた藤井さんが引き出した加害者当人の言葉や、加害者親族の苦しみなどは、ぜひ同書で確認してほしい。

取材・文=今井 順梨