年を重ねても決断せずに生きることを許される。脚本家・向井康介が描く「東京の恋愛」

文芸・カルチャー

更新日:2018/9/25

『リンダリンダリンダ』『もらとりあむタマ子』といった山下敦弘監督とコンビを組んだ作品で知られ、映画『聖の青春』『ピース オブ ケイク』などの脚本も手がけてきた向井康介。彼が初となる長編小説『猫は笑ってくれない』(ポプラ社)を発表した。インタビューの後編では、「どれも自分の作品と感じにくい」映画の脚本家の立場の難しさや、ずるすると生きることが許される「東京の恋愛」について聞いた。

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『猫は笑ってくれない』(向井康介/ポプラ社)の主人公は脚本家の早川。彼は映画監督の漣子と付き合っていたが2人は破局。一緒に暮らした愛猫のソンは漣子が引き取り、漣子は宮田という新聞記者と結婚した。

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 しかしソンは病気で先が長くない状態に。「一応は二人で育てたのだし」と漣子の家に呼ばれた早川。3人で鍋をつつく中で、漣子と宮田は昼間はソンを見られない……という話になったとき、早川が「俺が見るよ」と提案。結婚した元恋人の家に通うことになるのが物語のはじまりだ。

■「三幕構成」「主人公の変化、変身」脚本書きの鉄則が小説に登場した理由

――この小説には「主人公は何かしら変化、変身してゆかなければならない」「発端、葛藤、解決。脚本は、大きくはその三幕で構成されている」といった脚本の鉄則に関する話も出てきますよね。「この小説自体もそうした鉄則に基づいて書かれているのかな」と考えて読んでしまいました。

向井 そういうメタ的なこともしようと思ったんですが、ぜんぜん上手くいかなかったです(笑)。でも、「今回はそういう趣旨じゃないんだ」と思っていましたし、脚本の話を入れるアイデアは、編集さんと相談する中で後から出てきたものでした。

――また脚本家の早川が、映画監督の漣子に「それを書かなきゃ」と避けていたテーマに向き合うことを求められる場面も印象的でした。脚本を書くとき、自分が実生活で避けている問題は脚本にも上手く盛り込めない、ということはあるんですか?

向井 実際の脚本作業は、一人で作るものじゃないんですよね。10あるうちの半分くらいは主要スタッフと一緒に考えますし、広告やキャスティング、バーターなど、物語とは直接関係のない政治的な問題も入ってきますから、「脚本家の思いは3割残せればいい」という感覚でいつも書いています。

――今回の小説では、10割を自分の思いで埋めることができたのではないでしょうか。

向井 こうやって初めて長編小説を書くまでは、自分も「小説は作者一人のものだ」と思っていたんですが、書いてみたらそうでもないなと思って。編集者との対話で引き出してもらったものも多かったですし、山下敦弘との仕事のこともいろいろと考えましたね。

――大学の同級生だった山下監督の映画では、向井さんは何本も脚本を書かれてきましたが、どんなことを思い出したのでしょうか。

向井 脚本は俺が書いても、撮るのはあいつなので、あいつに分かってもらえないと映画は撮れないんですよ。だから俺はアイデアを投げるんですけど、あいつが「うーん……」と悩んだら、「じゃ、どういうことやりたいの?」「どっちに行きたいの?」みたいに聞くようにしていて。それで「うーん、こっちかな」みたいな感じで制作が進んでいくんです。だから「映画の場合は俺が編集者の立場だったんだな」と気づいたし、「山下君が悩んでるのってってこんな感じなんだな」と分かりました。

――それが今回の小説では、自分が悩みながら進んでいく立場に回ったわけですね。

向井 そうですね。脚本の書き方にちゃんとした正解があるわけではないですが、基本的かつ王道的な考え方のひとつに三幕構成というものがある。発端、葛藤、解決という三つの構成を考えつつ、まず結末を決めて、そこから遡って2時間程度に収まる話を作っていくんです。でも小説では、どこに行くか分からないまま、とにかく書いていく……みたいな書き方ができる。そこに小説の面白さがあると思ったんですが、先が見えないと不安で仕方なかったし、実際やってみたらまあ書けなかったです。

■「どれも自分の作品じゃない気がする」映画の脚本家という立場の難しさ

――「これは自分のことだ」と言えるような小説を書き終えたことで、ご自身に何か変化はありましたか。

向井 仕事も含め、長いことウジウジしている時期が続いていたので、1冊の小説を形にできたことで「やっと次に行けるな」と思っています。「とにかく小説を終わらせないと他のこともできない」と思っていたので。

――脚本の仕事についても、ですか。

向井 この小説を発表して「自分はこれです」と提示しないことには、脚本家としての立ち位置も定まらないと思って。映画の脚本家って、立場が難しいんです。映画は脚本だけでなくカメラマンや美術、録音、俳優、監督と、いろいろな人の力が合わさってできるもの。だから「これまでに作った作品は?」と聞かれたら、「あの映画とあの映画の脚本を書きました」とは言えるんですが、どれも自分の作品じゃない気がする。映像の分野なのに言葉を使って仕事をしているし、「魚屋なのに肉を売っている」みたいな感覚もある。そのモヤモヤとか、フラストレーションが小説に出てきたのかもしれないです。あと「監督はやらないんですか」とよく聞かれるんですけど、その気持ちはまったくないんです。

――そうなんですか。

向井 ないですね。ただ、脚本家や異業種の方が小説を書いているのはなんだか気になってしまう。だから、「俺は活字のほうを気になっているんだな」とは前から思っていました。

――今後は脚本でもオリジナルを積極的に作っていくつもりですか。

向井 根っこは脚本家なので、挑戦し続けたいですね。その話は、日本を一時期離れたこととも関係していて。最近の映画は原作のあるものが大半じゃないですか。特にマンガが原作だと、お客さんの反応は「原作とそっくりだから面白い、違うからつまらない」となりがちで。それだと「俺の仕事は何なんだろう」と思っちゃうし、距離を置こうと思ったんです。でも帰ってくると、テレビのほうでは比較的面白いことができる環境ができていたので、ドラマの脚本をやったり、この小説を書いたりするようになりました。

――最近はNetflixやAmazonプライム・ビデオでもオリジナルの作品が出てきて、脚本家の仕事も増えているのでは、と思っていました。

向井 そうですね。一方で、その原作になる小説やマンガを書いている人は、血を吐く思いで物語を生み出しているわけですよね。映画でも西川(美和)さん、是枝(裕和)さん、黒沢(清)さんといった、それを続けている人もいますから。最近はライターの人とか、別分野の人が小説を書くことも多い印象ですが、脚本家に限って言えば「みんな自分で話を作れないストレスあるのかな」と感じています。

――向井さんも今は自分で話を作りたいと。

向井 今の欲求としては、小説の形でもう1冊書きたいですね。「誰でも1冊は書ける」と言うじゃないですか。それは映画の脚本も同じで、自分のことを書けば一つは形になるんです。だから小説でも、自分から離れたものを一つ形にしたいですね。

■決断せずに生きることを許す「東京の暮らし」と「東京の恋愛」

 1冊目の小説で「自分のこと」を書いた向井さん。最初の作品で自分の身近なことを書くべきか、自分の世界から離れたことを書くべきかは、双方の意見があるそうだ。

向井 これまでも短編小説は書いたことがあって、そこでは身近にいる面白いやつのことを主に書いてきたんですが、「自分のことも書かなきゃ駄目だよ」と言われたことがあったんですよね。でも一方で、脚本家の大先輩の荒井晴彦さんからは逆の話も聞いたことがあって。荒井さんが脚本家デビューしたのは、自身の体験をもとにした『新宿乱れ街 いくまで待って』という作品なんですが、向田邦子さんに「荒井君、そんな保険の勧誘みたいなことやっちゃ駄目よ」って言われたそうなんですよ。

――保険の勧誘、ですか。

向井 はい。「身近なところから手を出しはじめるのはダメ。まずは外の勧誘からはじめて、最後に自分を書くのよ」と言われたらしくて。最初は自分から離れた不得手なものも書かなければいけない、ということです。

――向井さんはまさに、その順序で自分のことを書く小説に辿り着いたわけですよね。また今回の小説は、主人公の早川が自分と向き合う話でもありますし。

向井 まさに自分の過去の総括というか、過去との向き合いというか、反省ですね。だから「こんな話を人に読ませていいのか」という気持ちもありましたけど、「俺みたいなヤツが世の中にはもう1人くらいいるだろう」と思って、その人に向けて書いた話というか。

――この小説の男たちは向き合うことを恐れて避けている一方で、女性たちはそこに向き合おう、前に進もうとしている印象を強く受けました。

向井 女性と男性ではそれぞれの年齢に対する思いの差があるでしょうし……。たとえば出産とか。

――特に男性の側には、「結婚や子供を持つことを先送りにしても自分の人生はそう大きくは変わらない」という感覚がありますよね。

向井 でも東京は懐が広くて、そういう生き方も許してくれる。いい意味でも悪い意味でも。それでつい、ずるずると生きてしまう。

――独身でいつづける人も、結婚後も子供を作らない選択をする人も、地方に比べて圧倒的に多いでしょうからね。

向井 そうなんです。「自分だけじゃない」と思えてしまう。

――ちなみに10月にリニューアルする『Tokyo Walker』のコンセプトは「東京は、一人でも楽しい。」だそうです。

向井 そういうやつですよ! その感覚って、ある人にとっては麻薬というか、甘えになるんですよね。だからこの小説は、東京の生活の話であり、東京の恋愛の話でもあるのかもしれないです。あと、「目の前の関係から目を逸らさないで、ちゃんと向き合う人生を送るべき」ということになるのでしょうか……。

取材・文=古澤誠一郎 撮影=内海裕之

【前編】「この本は俺の長い長い言い訳なんです」『聖の青春』『ハード・コア』などを手掛ける脚本家・向井康介が初の長編小説を発表!

■プロフィール
向井康介

脚本家。1977年徳島県生まれ。大阪芸術大学卒業。脚本を手掛けた作品は、『リンダリンダリンダ』『マイ・バック・ページ』『ふがいない僕は空を見た』『もらとりあむタマ子』『陽だまりの彼女』『ピース オブ ケイク』『聖の青春』など多数。本作が初の長編小説の執筆となる。