「この本は俺の長い長い言い訳なんです」『聖の青春』『ハード・コア』などを手掛ける脚本家・向井康介が初の長編小説を発表!

文芸・カルチャー

更新日:2018/9/27

『リンダリンダリンダ』『もらとりあむタマ子』といった山下敦弘監督とコンビを組んだ作品で知られ、映画『聖の青春』『ピース オブ ケイク』などの脚本も手がけてきた向井康介。彼が初となる長編小説『猫は笑ってくれない』(ポプラ社)を発表した。インタビューの前編では、「俺の長い長い言い訳なんです」という小説の成立背景と、本人の憧れも入り交じる本書のキーワード「東京の暮らし」について聞いた。

『猫は笑ってくれない』の主人公は脚本家の早川。彼は映画監督の漣子と付き合っていたが、2人は破局。一緒に暮らした愛猫のソンは漣子が引き取り、漣子は宮田という新聞記者と結婚した。

 しかしソンは病気で先が長くない状態に。「一応は二人で育てたのだし」と漣子の家に呼ばれた早川。3人で鍋をつつく中で、漣子と宮田は昼間はソンを見られない……という話になったとき、早川が「俺が見るよ」と提案。結婚した元恋人の家に通うことになるのが物語のはじまりだ。

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■「猫について書く」と決めて思い出したのは、エドワード・ヤン監督の『ヤンヤン夏の思い出』

――映画やドラマの脚本となると、原作があるものや、大まかな企画が決定しているものも多いと思います。今回の小説はそういった制約はなく書いた形でしょうか。

向井 今回はもっと純粋で、ここ10年くらい「こういうことなのかな?」と自分で考えていたことを、小説の形でまとめたものです。小説は映画と同じように昔から好きで、書いてもみたかったんですが、プロの作家が多くいる中で、「脚本書きの人間が書くのは恐れ多い」と思っていました。それが30代後半のころ、映画から少し離れていた時期に、「これなら1個書けるかも」という話が見つかって。「もう人生も長くないし、多少は図太くなってもいいか」と思って書きはじめました。

――「これなら1個書けるかも」と思った話とは、どんなものだったのでしょうか。

向井 映画の企画でポシャった話です。もともと自分で飼っていて、今は別の人のもとにいる猫が「もうすぐ亡くなる」と聞き、その猫に会いに行く……というあらすじですね。そこに自分が考えている要素を入れたら、1つの物語にできるかも、と思いました。あと、実際に猫を飼っていた時期があったので、「猫を言葉で描写してみたい」と思ったのもあります。

――この小説の猫・ソンは、「主人公の早川」「その元恋人の漣子」「漣子の夫の宮田」という3人の登場人物の中心にいる存在ですよね。そして宮田が漣子に言う「2人で飼っているのにね」といった言葉や、漣子の「私の唯一の味方だったソンが……」といった言葉を通して、3人の心情が見え隠れするのがおもしろいと思いました。物語上で猫がそういった役割を担うことは、最初から考えていたのでしょうか。

向井 考えていました。猫を書くと決めたときに思い出したのが、俺がすごく好きなエドワード・ヤン監督の遺作『ヤンヤン夏の思い出』で。あの映画は1つの家族の話であり、夫も妻も2人の子供もそれぞれ問題を抱えているんですが、家族の大黒柱だったおばあちゃんは脳溢血で寝たきりの状態なんです。それで目が覚めない状態の彼女に、一人ひとりが悩みを打ち明けたりする。「この小説では、猫がおばあちゃんと同じ存在になるのかな」と考えていました。

■だからこの本は、俺の長い長い言い訳なんです

――早川と漣子と宮田の3人のうち、サブキャラクター的な宮田は心情の変化が丁寧に描かれますよね。妻の元彼氏が自分の家に通っている状況で、表向きは「食事もしていってください」的な態度を示しつつ、内心嫌がっている感じもリアルで。

向井 そのあたりは自分が入っているんでしょうね。「俺もそういう振る舞いをするな」と思いますし。

――一方で早川と漣子については、心の内の本当の気持ちが宮田ほど分かりやすくは描写されていない印象でした。2人については、あまり心情を書き込みすぎない……ということは意識していましたか?

向井 そうですね。その2人にも、過去に自分が会った人の面影や、いろいろな記憶が入っていますが、「分かったふうには書かないでおこう」とは思っていました。どこかで「他人のことは分からない」と思っているんですよ。

――この小説の男たちは「本音でぶつかり合うこと」を恐れていますよね。

向井 それも自分ですね。本音でぶつかり合うの、しんどいですから。だからこの本は、俺の長い長い言い訳なんですよ。あと俺はわりと酒場が好きで、いろいろな男連中と付き合っていますけど、まあ向き合うのが下手な人が多い。そこに共感を持って書いているのもあります。

――また、主人公の早川の職業が脚本家なのも、実際の向井さんと同じですよね。

向井 最初は日常から離れたものを書こうと思っていましたが、書いていくとやっぱり自分に親しい世界のことになりましたね。今回は脚本じゃなかったので、「もっと俺の話を聞いてくれ」という思いで書いたところもあるかもしれません。

■「美貌だけで生きてきた平凡な女」など、脚本では書き込めないことも書き込める

 映画や小説などの物語の作り手には、「この登場人物、あなたでしょ?」「作者本人もこういう人なんだと思いました」という決めつけを嫌う人が多い。だが向井さんはこの小説の様々な要素について「これは自分だ」と何度も言っていたのが印象的だ。

――実際にはじめて長編を書いてみて、小説と脚本は違うものだと感じましたか?

向井 違いましたね。映画の脚本は映像を撮るための設計図のようなものですが、小説はそうじゃないし、「文体」という映像にはない魅力もあります。だから小説を脚本化する仕事をしても、いい小説ほど脚本にしにくいんです。また脚本では、一般的に「登場人物の思いを言葉で書いてはいけない」と言われますが、小説は言葉で書いていい。だから、脳みその別の筋肉を使っている感覚がありました。

――でも読んでいると「映像的な描写だな」と思える部分も多くありました。早川がバーで女性とケンカをしているとき、マドラーが飛んできて、「摩理が何かを叫んでいたが、声は遠く、ひたすら内の煩悶だけがのしあがって、動けない」という描写とか。

向井 映画のト書きの影響もあるでしょうし、クセなんだと思います。自分で読み返しても、「映像を浮かべて書いていたんだな」と思いますね。他の人の小説とはそこが違うと思いましたし、読み比べてみて「こうやって書くのか」と気付かされることもあって。だから今でも小説について勉強している感じです。

――ト書きでは書かない部分まで書き込めるのも、脚本家が小説を書くおもしろさだったのではないでしょうか。

向井 ト書きは簡潔なほどいいので、ムダを省いて書くんです。だから脚本家の立場からすると「長ったらしく書いているな」と思える小説もあって、「同じことを自分がやるのはどうなんだろう?」とも考えました。ただ、日本を離れていた時期によく読んだハードボイルド小説には、少し影響を受けたかもしれません。描写にムダがなく、行間を想像させる深みがあって、脚本ともまた違う書き方なんですよね。『猫は笑ってくれない』の中にも出てくる『初秋』(ロバート・B.パーカー/ハヤカワ・ミステリ文庫)はまさにそういう小説でした。

――あと小説ならではの描写といえば、早川がドラマの打ち上げで主演女優と会ったときの「美貌だけで生きてきた平凡な女は何もなかったような顔をして、おつかれさまでした、と俺に微笑みかけてくる」という部分に笑いました。

向井 それも映画の脚本だと書き込まないところですね。現場で感じたことがいろいろ出ているんだと思います。

■よしもとよしとも、フィッシュマンズ、サニーデイ……2003~2004年に感じた「俺の中の東京」

――この小説では「東京の生活」という言葉が複数回出てきたのも印象的でした。一軒家で暮らしている写真家と彼女のカップルが登場し、主人公の早川はその2人に憧れている雰囲気がありましたが、向井さん自身にもそういう暮らしに憧れはあったんですか?

向井 そのあたりも、結局は自分なんですよ。東京に出てきた2003~2004年ごろ、僕は漫画家のよしもとよしともさんの原作を映画化するために「青い車」を読んでいて、音楽だと1999年に活動を休止したフィッシュマンズがまだまだ新鮮に聞こえていて、サニーデイ・サービスは少し前に解散して、曽我部恵一さんがROSE RECORDSをはじめて……みたいな時期でした。俺のなかの東京って、そのあたりのことなんです。場所でいうと世田谷の下北沢あたりとか、吉祥寺とか。

――小説の中でも東松原という地名が出てきますよね。

向井 世田谷の下北沢やその周辺には、バイトしながら映画の仕事をしている役者さんや助監督さんが実際に多かったんです。みんなお金がないので、簡単に同棲して寄り添って生きていくし、安い一軒家とかも見つけてくるんです。「ああ、こういう暮らしっていいな」と思ったし、「これが東京の暮らしだ」と思いましたね。その前は大阪にいたんですが、大阪の生活は、腐りかけの肉を買ってきてみんなで食ってる感じですから(笑)。

――東京を持ち上げすぎで、大阪を下げすぎな気がしますが(笑)。

向井 大阪は大阪で強烈な魅力があるんですけどね。でもホントに「東京はやっぱりすげえ! シャレてんな」と思ったんですよ。街の色も違って、大阪は灰色なんですけど、東京は空色なんですよね。大阪市内は緑が少なくて、東京都内は緑が多いから。

――この小説に出てくる写真家のカップルは『ku:nel』とかに出てきそうですよね。等身大で、つつましやかで、素敵な暮らし、みたいな。

向井 そうですそうです(笑)。あと、歌の歌詞に出てくる東京ですよね。

【つづき】はこちら

取材・文=古澤誠一郎 撮影=内海裕之

■プロフィール
向井康介
/脚本家。1977年徳島県生まれ。大阪芸術大学卒業。脚本を手掛けた作品は、『リンダリンダリンダ』『マイ・バック・ページ』『ふがいない僕は空を見た』『もらとりあむタマ子』『陽だまりの彼女』『ピース オブ ケイク』『聖の青春』など多数。本作が初の長編小説の執筆となる。