『劇場版はいからさんが通る』公開直前。激動の時代を生きた花村紅緒がくれたものとは――早見沙織インタビュー

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更新日:2018/10/22

『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』10月19日公開、ワーナー・ブラザース映画配給 (C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

『はいからさんが通る』の主人公・花村紅緒は、決して折れない強さと、周囲を巻き込まずにはいられない明るさを持った女性である。激動の時代を生き、いつも前向きに進む紅緒と触れ合った劇中の人物は皆、彼女に心惹かれ、応援し、支えてくれる。『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』(10月19日公開)で描かれる紅緒も、やはりそういう人物だ。昨年公開された前編に引き続き、紅緒を演じる声優・早見沙織は、役と、作品と、どのように向き合ったのか、話を聞いた。

宮野さんや櫻井さんに、「すごく紅緒っぽく見える」って言われる

──前編から約1年を経て、紅緒として収録に臨んだわけですが。マイク前に立って紅緒の声を発したときに、どんな感情が湧いてきましたか。

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早見:まるで空白がなかったかのように感じました。あまり間が空いたことを感じなくて、わりとスッと入っていけましたね。ベースはまったく同じで、プラスアルファとして今回紅緒は社会人で、ちょっと大人になっているので、そこは多少意識してました。

──1年間で「声優・早見沙織」は成長もしてるでしょうし、進歩もしているはずで、早見さん自身はいろんなものが身についていたり、もしかしたらいらないものを捨てたかもしれないけれども、その中で「紅緒ってこうだよね」って思ったポイントは、どういうところだったんでしょう。

早見:もう、頭から「らしさ全開」でした(笑)。後編は満州の列車の中から始まるんですけど、牛五郎さんをお供に引き連れながら、自分の理想や妄想を語るシーンがすぐに始まるので、そこですぐに「ああ、これが紅緒だなあ」って感じて。逆に、後編の途中で、喫茶店で少尉にお別れを告げるシーンがあるんですけど、そこで大人の女性っぽさを感じたというか。「夢見る女学生から、少し現実を知った紅緒さん」というところは、すごく印象に残りました。

──序盤からウォッカをがぶ飲みするシーンもあって、しっかり酔っぱらう紅緒さんも健在で(笑)。

早見:そう、冒頭から早速酔っぱらうんですよね(笑)。けっこう向こう見ずというか、思ったらすぐ行くところも変わっていなくて。だからこそ、少尉との関係性の部分で、すごく大人になった感じがします。後編の収録の直前に予告PVを録ったんですけど、そのとき音響監督の若林(和弘)さんに、「無理に声を大人にするんじゃなくて、意識に持ってほしい」って言われて。前編を踏まえて、後編ではどうやっていけばいいのかなって思っていたところもありつつ、序盤は変わらずだったんですけど、少尉や冬星さんとのやり取りのあたりで、考え方がこの人らしくもあり、この人らしくなさもあり、みたいなところがあって。自分の中では、「後編の紅緒さん、少し違うのかな?」って思ったりしていました。

──それは、グラデで変化していくものというか。

早見:そうですね、グラデーションかも。すごく泣きそうになったセリフがあったんですよ。紅緒のセリフじゃなくて、環が言うんですけど、「もうわたしたちは女学生の、夢見る少女のままじゃないのかしら」みたいなセリフがあって。どんどん大人になって、現実を知って、学生の頃の活発だった環と、職業婦人へと進んだ環はちょっと違うのかなって思わされるシーンだったんですね。そこで、「前編とは確実に違うんだな」と思ったというか、時間が流れたことを感じて、「これは劇場で観てたら絶対泣くだろうな」って思いました(笑)。わたしもだけど、たとえば母が観たら号泣だろうなって、なんとなく思って。「経ている時間が長ければ長いほど、このセリフは身に来るのかなあ」って思ったら、グッときました。

──なるほど。たとえばそのシーンで言うと、何かひとつの気持ちを持っていたんだけれども、成長とともにそれは失われてしまったのかもしれない、ということですかね。

早見:やっぱり、社会人になって変わることって、確実にあるじゃないですか。そういう変化や時間の流れを感じて、後悔してるとか、戻りたいわけではないけど、過ぎた時間のことを思うと泣ける、みたいなときがあるのかなって思います。

──序盤の満州で鬼島と出会って少尉がシベリアで兵に襲われたと聞かされるけど、「鬼島が少尉が実際に死んだところを見ていないならば。少尉は生きていると思う」とと、スパッと切り替えて前向きになるシーンがあるじゃないですか。これって花村紅緒という人を象徴するシーンで、ある種常人離れしたポジティブさを持ち合わせているのが紅緒なわけですけど、パチンと前向きに変わるとき、演じる側はどう気持ちを持っていってるんですか。

早見:後編はわりと、そういうシーンが多いですね。社会も激動だし、「紅緒さんだったらここは!」っていう部分で、パンパンパンと切り替わっていくので。たとえば後半に関東大震災がきっかけで火事が起こって、はじめはよたよたして死にそうになるんだけど、途中でギャグのシーンがあって。少尉が助けに来てくれたときに、天国だって勘違いして、すごく元気になるんですよ(笑)。そこで最初は何も考えず、ギャグだからっていうことでパーンと切り替えていたんですけど、でもどこか……それこそグラデーションをつけたほうがいいって音響監督さんと話して、やり直したりもして。逆に、紅緒のスイッチが入ったように切り替えて見える雰囲気は、まわりにすごくいい影響を与えると思うし、なかなかそうなれないからこそ、みんなが元気をもらえるんだと思います。

 自分では、類似性は100%ではないと思ってるんですけど、この間宮野(真守・少尉役)さん、櫻井(孝宏・青江冬星役)さんと3人で取材をしてもらったときに、「すごく紅緒っぽく見える」って言われて、「そうなんだ? それはすごく面白いなあ」って思いました。紅緒をやってるときは、わたしの中の紅緒成分を100パーセント出してるからかもしれないですけど(笑)。

──1年前も、同じ話をしてましたね。「○○っぽいよね」とよく言われるっていう。※前編公開時のインタビューはこちら

早見:わたしも、話していてデジャヴを覚えました。「あれ? この話、なんかしたな」と(笑)。

──そのとき印象的だったのは、実はそのくだりでした。あらゆる作品で「○○っぽいよね」って言われる。で、それが積み重なっていって、「結果、お前誰やねん」となるっていう(笑)。

早見:確かに! そうなんですよね。現在も大いに継続中です(笑)。それこそ、ゲストで数話だけ出させてもらった作品があって、役的には最初「なぜこの役がわたしになったんだろう」くらいの距離感を感じてたんですけど、やったときにはしっかりフィーリングが合ってたし、やっていてすごく楽しくて。そのあと監督さんとお話をさせていただいて、いろんな表現を通してわたし自身のようなものを感じてくださっていたそうで。作品がきっかけで早見沙織名義の音楽も聴いてくださったそうなんですけど、ある曲の表現が、そのときやった役の表現とリンクしてたらしくて、「そんなこともあるんだ」って(笑)。見えないところで、いろいろつながってきているのかなっていう気はします。

紅緒さんは、喜怒哀楽全部がある人。そういう人をやることで、自分の中の喜怒哀楽も発散できた

──今回の後編では、「紅緒がこういう人なんだ」とある程度把握できている中で、紅緒の意外な一面を発見する部分もあったりしましたか。

早見:それこそ、これまで紅緒をやっていて出てこなかったという意味では、「切り離す」みたいな部分ですよね。少尉もそうですけど、切り離していくじゃないですか。あったもの、手にしていた大事なものと訣別していくところは、より一層感じたかもしれないです。前編はむしろ吸収していくところが多かったし、出会いもあったし。逆に後編では、失いまくるんですよね。少尉もいなくなっちゃうし、環と話した女学生時代の自分も、もしかしたら少しずつ失っていってるかもしれないし。あとは、関東大震災で物理的に失ってしまうものもあるし。いろいろなくなっていくものとどう向き合っていくか、という部分は、かなり新鮮だった気がします。

──いろいろ失っていくという物語の前提に立ったときに、それでも紅緒の中にしっかり残るものって何だと考えてましたか。

早見:やっぱり、前に進んでる人なんだなあ、ということは感じてました。最初に話した喫茶店のお別れシーンのところで──はじめはもじもじしてたというか、行くに行ききれないところもあったし。「喫茶店に行きませんか?」って誘うシーンもちょっと照れがあったりしたんですけど、本番では、少尉に会ったそのときから「あとでこの人にお別れを言おう」って心を決めた状態で進んでいて。やり直しを経て、かなり強い心を持ったというか、進んでいる感じになったと思います。

──それは無理をしている?

早見:無理もしていると思います。してると思うけど、紅緒さんは本当にイヤだったらやらないと思うんですよね。「無理をしてでもやる」って思ったからやっていると思うし、ということは後ろ向きではなくて、前向きな意味合いでの無理であって。前を見据えて別れを言う部分は、「ああ、変わってないなあ。これが軸だなあ」と思いました。

──まっすぐ受け取ってまっすぐ出すのが前編だったとしたら、消化の仕方が変わったというか、アウトプットするまでのプロセスが人間的な成長によって変化した感じはありますよね。

早見:そうだと思います。素直な人が考える複雑さ、っていう感じはしますね。

──他の役者さんとの共演に関してはどうですか? 前編では絡まなかった方、櫻井さんや鬼島役の中井和哉さんともガッツリお芝居をされたわけですけど。

早見:やっぱり、めちゃめちゃ楽しかったですね。「よかった、知ってる人ばっかりだった」みたいな(笑)。昔から勝手に縁が深い先輩というか、共演することが多かったし、小さいときから知ってる方ばかりだったので。そういった意味での安心感はかなり大きかったです。何をやっても大丈夫っていう(笑)。

──紅緒のように全力で剛速球を投げ込んでいっても、全部捕ってくれそうな方たちですね。

早見:そうなんですよ。すごく温かかったですね。見ていても「素敵だなあ」「輝いてるなあ」って感じました。いい意味で、「先輩だぁ……」って縮こまらずにいられる方が多かったです。

──さっき話してくれた「切り離す」という行為が、まさに後編の紅緒を象徴する行動だなあ、と思うんですけども。紅緒は、最後に一番望んでいた幸せを手に入れて、結ばれるべき人と結ばれる。で、なぜこの人はここにたどり着けたのか、と考えたんですけど、それは関わる人を全部大切にしてきた人だからではないか、と思ったんですね。まっすぐ正直にぶつかるから、関わる人すべてに愛されたし、望んでいた結果を得られたというか。

早見:ああ、そうかも。

──だから、「切り離す」ことも、彼女にとっては極めて前向きで全力のぶつかり方であって。

早見:確かに。深いですね。

──こちらも1年前と同じ話をすると、紅緒という人には折れない強さと湧き上がるような明るさがあって、そういう部分を持っている人がやっていなければ、劇中の紅緒はそう見えないと思うんです。

早見:はい。覚えてます、覚えてます。

──後編で言うと、まわりの人にまっすぐぶつかっていって、結果まわりの人に愛される、支えてもらえる人になる。紅緒も、やっぱりそういう部分のない人がやると、そうならないのかな、と。

早見:ええっ! そうなのかなあ(笑)。そうだとすごく嬉しいですね。でも、今のお話を聞いていて、そうありたいし、そうあれているんだろうか、と顧みちゃいました。そうあれたら、すごく素敵だと思いますし、純粋にそうありたいって思いますね。そうあれる生き方をしたいなあ。

──『はいからさん』はもちろん、他の作品でも「○○っぽいよね」って言われることって、そうあれている証明なんだと思いますよ。

早見:うんうん、確かに。今、なんか、すごく感動してきました。うるっとしてきましたね(笑)。そういうことを言葉で自覚できたりすると、それは最終的に自分を認めること、自信につながっていくというか。自任とか、自信みたいなルートに入っていくきっかけになるのかもしれないです。

──一方で、それって狙ってできることではないじゃないですか。

早見:うん、だから難しいんですよね。

──すべての作品で毎回トライアルになるんでしょうし、結果そうであったかどうか、ということだと思うんですよね。だけど、この『はいからさん』という作品、紅緒という人物、『はいからさん』の現場で接した人、あるいは紅緒として接した劇中の登場人物に対しては、それができていた、という気持ちはあるんじゃないですか。

早見:今言われてみて、再認識した感じはありますね。最初から「大事にしよう」と思っていたわけでは全然ないですけど(笑)。そうなってた事実があったら自分としてはすごく嬉しいし。観てる人にも感じてもらえたとしたら、とても嬉しいことですね。それも、役とか掛け合いの中で引き出してもらった部分はあると思います。

──では最後に。『はいからさんが通る』の世界で、花村紅緒として生きた経験は、早見さんの中に何を残したと思いますか?

早見:なんだろう……楽しかった!(笑)。うん、楽しかったなあって思いますね。楽しい人生でした。紅緒さんはいろんな感情を持っていて、喜怒哀楽全部がある人だし、そういう人をやることで、自分の中の喜怒哀楽も発散できたというか。言葉で発すると、消化していくじゃないですか。その力を感じました。だから結果楽しかったし、すっきりしたかもしれないです。

──楽しいのが一番ですね。

早見:そうなんです! 楽しいのが一番です。

『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』の主題歌、『新しい朝(あした)』について語った早見沙織インタビューはこちら

取材・文=清水大輔

『劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』公式サイト:http://haikarasan.net/