祝・本屋大賞2位! 小野寺史宜の最新作は「一生ワンルーム」と決めた男が、アパートの騒音親子に出会う物語

文芸・カルチャー

2019/5/28

『ひと』で本屋大賞2位にランクインした小野寺史宜さんの最新刊『ライフ』(ポプラ社)は、会社を二度やめ、今はアルバイトを掛け持ちしながらアパートで暮らす27歳・幹太が主人公。「一生ワンルーム暮らしでいい」と決めていた彼の世界は、アパートの住人と知り合ったことをきっかけに、少しずつ変わっていく……。『ひと』に続き、本作でも、人と人とが繋がることで見えてくる優しい希望を描いた小野寺さんの想いとは?

■「一生ワンルーム」と決めた男を書きたかった

――本屋大賞2位、おめでとうございます。

小野寺史宜氏(以下、小野寺) ありがとうございます。正直、読者の皆さんも、ノミネートされた他の作家の方々も、僕の名前見ても「誰?」って感じだと思います。僕自身、「誰こいつ?」って思いましたもん(笑)。デビューするための新人賞は欲しかったけど、書かせてもらえるようになってからの賞は考えたことがなかったので、2位に選んでいただけて、ただただ、驚いています。

――これまで書かれてきた作品に比べて、『ひと』に特別な手応えはありましたか?

小野寺 全然。SNSもやらないので、読者の反響もわからなかったし……。ノミネート前に重版はかかっていたので、いつもより評判がいいんだなあ、というくらいでした。新刊の『ライフ』もそうですが、いつも、手応えってよくわからないんですよ。読者にどれくらい届いているかも、実感がない。あれば、もう少し売れる手法も見いだせるのかもしれないけれど、僕は僕に書ける小説を書くしかないので。毎回、手持ちのネタを編集者に見せて、そこから探り探りという感じですね。

――『ライフ』は、主人公の幹太が結婚式の代理出席バイトをするところから始まります。きっとこれは代理出席バイトの裏側を描いていくんだな、と思って読み進めていると、意外とそうでもないのがおもしろかったです。

小野寺 バイト中の描写は、一度しかありませんからね(笑)。代理出席はもちろん持ちネタの一つではありましたし、冒頭で高校時代の同級生・澄穂と再会するみたいに、思いがけない人と出会って人生が転がっていく、という物語にもできただろうとは思うんですが、なんとなくそれは僕の書きたいこととも違う気がして。どちらかというと、「一生ワンルームでいい」と思っている男を主人公に、アパートの住人たちとの関係を書いてみたいという気持ちのほうが強かった。

――1階に住んでいる幹太が出会うのは、足音をはじめ生活音のすべてがうるさい2階の“がさつくん”。戸田愛斗と2人の子供たちです。

小野寺 ワンルームなのに親子で越してきちゃうっていうのはおもしろいかな、と(笑)。人と人とが敵対するとき、「最初に一回、コミュニケーションをとっておけば問題なかったはずなのに」ってケースがたくさんあると思うんです。一度、挨拶しておくだけで「この人は悪意を持っているわけじゃない」って伝わることもあるのに、しなかったために取り返しのつかないことになったり。とくに東京の集合住宅では、隣人と関わりを持つほうが少ない。アパートの人間関係を描くことで、浮かびあがるものもあるんじゃないかなと思いました。

■人間は、そう簡単に成長しないし、変われない

――幹太は結果的に、住人全員と知り合いになります。小野寺さんはプロットをつくるとき、登場人物の名前をすべてフルネームで決めるそうですが。

小野寺 めちゃくちゃ考えます。だいたい20人くらいですかね。名前しか決まっていない人もいます。

――相関図ではなく、本当にただ名前だけを考える?

小野寺 そうです。主人公をはじめ、最初から役割が決まっている人もいますけど、主人公とどんな関係でどう登場するのかさっぱりわからない人もいる。でも、不思議なもので、名前が決まっていると、それだけで物語が動き出すということもあるんです。気をつけているのは、名前が小説を読むうえで邪魔にならないこと。たとえば「菅野さん」を「すがの」と読むか「かんの」と読むか、割合としては半々でしょう? 小説にはルビがふられるけど、たいていは最初だけで、途中から脳内で自分の読みやすいほうに変換しちゃっている人って多いと思うんです。少なくとも、僕はそう。だからなるべく読み方を悩まない漢字を使ったり、風変わりすぎて「なんでこんな名前?」って引っかからないようにしたり、塩梅を考えながら自分なりにピタッとくるものを最初に全部考えます。それだけでけっこう、一日かかったりする。

――ありふれているけれど、苗字と組み合わせると同姓同名って多くはないし、その人を知ると「これしかない」と思えるような唯一無二性も生まれる。現実の名前も、本来はそういうものですよね。

小野寺 そうですね。ただ、現実には同じクラスに沢田さんと田沢さんがいてもおかしくないけど、小説でそれをやると混乱するし、僕は作品をまたいで人物を登場させることが多いから、同じ名前も使いたくない。使った名前は全部控えていますが、もう30作近く書いていると、名前のストックがなくなってきて大変です。

――だからこそ、現実にある街を舞台にしていることもあり、小野寺さんの書く人々は「同じ電車で乗り合わせることもあるかも」というリアリティを持つんだと思います。

小野寺 だといいんですが。僕の書く小説って基本、主人公があんまり成長とかしないんですよ。というのも、人ってそんなに成長しないでしょ、と思っている部分があって。たとえば誰か嫌いな人がいて、態度に出さないよう努力することはできるし、それが成長するってことかもしれないけれど、「嫌わないようにする」なんてことは絶対無理だし、外側をどれだけとりつくろえても、内側はずっと変えられない。だいたいの人間はそうだろうから、全力で後ろ向きで走る小説があってもいいんじゃないかなと思っているんです。ただ、人と関わればそのぶん、知ることは増えるし、選択肢も増える。それに応じて、同じ現象でも感じ方が変わり、結果も変わっていく。そういうことはあるんじゃないでしょうか。

――幹太は、戸田親子と親しくするうち、騒音にも生活音としての親しみを覚えるようになります。「あれはでんぐりがえしの音だな」とか。その変化が、すごくよかったです。違う世帯だけど、同じ家に住む家族、になっている感じがして。

小野寺 特別、人と人との繋がりを描きたい、と思っているわけではないんですが、一人称の主人公を据えて物語を書いていくと、やっぱり知り合う人には親しみを持つようになる。たとえば同じ階の中条さんとは、戸田親子ほど濃密な付き合いにならなくても、立ち話をして、彼の背景を知ったことで、無関係の人ではなくなる。ふだんは何をしているかも知らないし、知らなければ知らないでなんの問題もない。中条さんに何が起きても、幹太の人生にはさほど影響はない。けれど実際、中条さんにあることが起きたとき、幹太は心を揺さぶられる。人との繋がりってそんなふうに自然と発生していくものなんだろうと思います。

■ぼんやりとした「何者か」をめざすより「何をしたいか」に従ったほうがいい

――以前、別のインタビューで「ストーリーそのものを読ませるタイプではない」とおっしゃっていましたが、小野寺さんの作品は、あらすじだけではその良さが想像できないものばかりですよね。

小野寺 そんな偉そうなこと言っていましたか(笑)。まあでも実際、そうなんですよ。あらすじだけ聞いたらすごくつまらなさそう。『ひと』だって、「上京したものの親を亡くして大学やめて、一人で頑張っていく青年の話です」って言われてそれだけで読みたくなる人は少ないでしょう。

――今回も、代理出席バイトの話です!って言ったほうが、キャッチ―ではありますが。

小野寺 そうなんですよね。でも、そうじゃないものしか書けないんです。だからいつも編集さんには「あらすじだけで判断しないで最後まで聞いてください」って言う(笑)。

――あらすじには書けない名言がいっぱいありました。たとえばバイト先の同僚・七子さんが言う「顔ぐらいはせめて笑ってないとね。だって、ほら、わたしの価値はそこだから」ってセリフとか。人の価値って、たとえば笑顔とか、佇まいとか、本当にちょっとしたところに宿るもので、それがその人を唯一無二の存在にしていくんだな、と感じられて。

小野寺 何者にもなれない自分に落ち込むこともありますけど、逆に、これまで何者かになれた人なんているでしょうかね。たとえば戸田さんは、風岡立真っていう空手でいつも負けていた相手をずっと「あいつはすごかった」と思い続けていますけど、じゃあ本当にその人になりたかったのかというとそうでもないし、なれるわけではないのもわかっている。幹太と友達以上恋愛未満みたいな関係の澄穂も「何もやりたいことがない」と言いながら、バイタリティあふれてガンガンつっぱしる人になりたいかというと、そういうわけでもないでしょうし。

――ないものねだり、ですね。

小野寺 何者かっていうのは、そういう、ぼんやりとしたもののような気がするんです。どんな人になりたいのか、具体的に思い描こうとすると、たいていは「年収〇〇万円」とかわかりやすい指標になってしまう。でも実際、達成できたとして、本当にそれがなりたかったものかと聞かれると、首を傾げる人のほうが多いんじゃないかな。じゃあどうするんだ、っていうのが「自分」を考えるうえでの永遠の課題なんだと思いますが、だからこそとらわれなくていいんじゃないかと思っていて。それよりも自分が「何をしたいか」を考えたほうが、一歩踏み出すための原動力になる。それがたとえ人から「そんな道を選んで……」といわれてしまうものだとしても、まあいっか、と自分が思えることのほうが大事なんじゃないかと。

――その過程が丁寧に描かれているからこそ、あらすじだけでは測りきれない救いが、作品に溢れているんだと思います。中条さんのお母さんの「生きてさえいれば、人は何者でもあります」という言葉が沁みたのも、それが名言だからではなく、たくさんの積み重ねの上で発せられた言葉だから。

小野寺 そう言っていただけると嬉しいです。でも僕は、小説を読んで感動してほしいとか、ここが響いてほしいとか、そんなのは特になくて。それよりも、たとえば戸田さんの息子・風斗くんの愛らしさとか、細部を楽しんでもらいたい。何度も聴いた音楽をくりかえし聞きたくなるみたいに、あそこのあのシーン読みたいなとか、寝る前にちょっと読んでみようかとか、そんなふうに思ってもらえたらいちばん嬉しいです。

取材・文=立花もも 撮影=岡村大輔