少女の自立を主軸に描かれる『海辺の金魚』監督・小川紗良インタビュー! 映画と小説で異なる見どころとは?

文芸・カルチャー

更新日:2021/6/9

海辺の金魚

6月25日に公開される映画『海辺の金魚』。監督をつとめるのは、NHK連続テレビ小説『まんぷく』で安藤サクラさんが演じるヒロイン・福子の娘役など、役者としても活躍する小川紗良さん。早稲田大学在学中は、是枝裕和監督のもとで映像制作について学んだ小川さんが、大学卒業後に手掛けた初の長編映画となる本作。みずから小説化した連作短編集がこのたび刊行された。公開に先駆け、作品にこめた想いと、映画と小説というふたつのメディアで物語を紡ぐことについて、うかがった。

(取材・文=立花もも 撮影=内海裕之)

海辺の金魚
『海辺の金魚』(小川紗良/ポプラ社)

――『海辺の金魚』は、児童養護施設「星の子の家」で暮らす18歳の少女・花をめぐる物語です。初の長編映画でこの題材を選んだのはなぜだったんでしょう?

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小川紗良さん(以下、小川) 学生時代は短編と中編しか撮っていなくて、いつか長編をと思っていたとき、『最期の星』という映画で主演をつとめてくれた小川未祐さんと再会したんです。そのとき彼女が抱えていた葛藤や将来への不安、それでもほとばしる情熱みたいなものに触れているうちに、また一緒に映画をつくりたいなと思うようになって。一人の女の子が自分の人生を歩みだしていく瞬間を描いた映画を撮ろう、と決めました。以前から身寄りのない子どもたちを描いた作品に、フィクション・ノンフィクション問わず関心をもっていたので、自然と「星の子の家」という設定も生まれました。

――実際に取材されたんですか?

小川 はい。映画を撮る前に、実際に施設を訪ねたり、過去に観たドキュメンタリー作品や本を観返したり……。児童養護施設というと、施設のような場所で大勢の子どもたちが暮らしているイメージをもたれる方も多いと思うんですけど、「星の子の家」のように、それほど多くない人数で、一軒家などの普通の“家”で、できるだけ家庭に近い形で暮らす家庭的養護というのが最近では推奨されていて、増えているんです。そういう場所での普通の暮らしを映し出せたら、と思いました。

――次の春に高校を卒業したら家を出ていかなくてはならない花の、18歳の誕生日にやってきた幼い少女・晴海。常にぬいぐるみを抱きしめ、なかなか心を開こうとしない晴海の姿に、花はかつての自分を重ねていきます。

小川 最初はもっと花が主体の物語にするつもりで、彼女の母親についての描写も多かったんです。でも、自分が親の視点を想像しても、なかなか物語がたちあがっていかなくて……。晴海に焦点をあてて、花と晴海の物語としてとらえなおしたとき、「これなら書ける」って思いました。

海辺の金魚

――映画では2人ともが主人公、という感じですが、小説では晴海以外の子どもたちにも焦点をあてられているので、「星の子の家」を見守る花の物語、という印象が強いですね。

小川 そうですね……。映画の脚本は最初にプロットをしっかり考えて、構成を決めてから書くんですけど、小説はなにも考えずに最初から最後まで流れるままに書いていったのも大きいと思います。もともと『海辺の金魚』だけでは1冊にならないだろうから、短編を加えようという話はあったんですけど、メディアが変わればアプローチの仕方もまるで違ってくるはずなので、ただ映画をなぞっただけのものにはしたくなかった。私自身、マンガや小説が原作の映画を観るとき、そのまま再現しようとしたものよりも、メディアの特性に沿ったアレンジが加えられたもののほうがおもしろいと思うことも多かったので。

――冒頭の場面、映画では晴れているのに小説では雨、というところからして、全然違いますもんね。

小川 違いますね(笑)。本当に徒然なるままにというか、思いつく自然の流れで書いていったので、映画と同じ場面でも違うセリフや展開が生まれたりして、自分でも書きながら意外に思うことの連続でした。映画を撮るときに盛り込みきれず散らばっていったものが、文章にすることでひとつずつ整理されて、舞い戻ってきたのかな、とも思います。たいていの施設では「○○通信」みたいなものを定期的に刊行していて、保育士さんの日誌とかが書かれているんですけど、もちろん個人情報は保護されていますが、そこには子どもたちの過ごしている日常が詰まっていて……。ホームページに掲載されていたりするので、映画を撮る前に全部印刷して片っ端から読んだことも、映画以上に小説で生かされましたね。

――小説は、はじめて書いたとは思えないほど微細な描写が美しくて……。「星の子の家」で最年少だったころの花が、ほうれん草の根元ばかりまわってくるから、ほうれん草はピンクの食べ物だと思っていたというところ、すごく好きでした。

小川 あれは、私の通っていた保育園が食育に力を入れているところで、ほうれん草も根っこまでしっかり食べていたんですよね。緑の野菜なのにピンク色、というのがとても印象に残っていたので、書いたんだと思います。

海辺の金魚

――今は、多くの家では根元を捨ててしまうことを知ったけれど、きっと自分は生涯にわたりピンクの部分まで食べる、そうせずにはいられないだろう、というところも。「根元を食べる生活から抜け出してやる」ではなく、家での生活がどれほど彼女にとって大事なのかが伝わってくる文章でした。

小川 ああ……そうですね。「施設が嫌いで絶対に出てやる!」みたいな話にはしたくなかったです。たとえば花たちの面倒を見てくれるタカ兄は、繊細な仕事をしているわりに抜けているところがあって(笑)。でも子どもたちを大切にしたい気持ちは誰より強くて、完璧じゃないからこそ愛おしい人。それが伝わっているから花も子どもたちもタカ兄のことが好きで、ちゃんと繋がりのある場所なんだということを描きたかった。施設を描く作品の中には、作り手が“かわいそう”と思っているのが透けて見えるものもあって、それに違和感を覚えていたんです。もちろんつらくてさみしいこともあるだろうけど、彼らにとってはそこでの暮らしが当たり前の日常で、笑って駆けまわる瞬間もたくさんある。そういう彼らの“普通”を見つめたいな、と。

――「星に願いを」という短編で、悪いことをしても「だって、かわいそうじゃない」と許されてしまう子どもたちを見ながら、花が疑問を抱く場面がありました。

小川 表題作の「海辺の金魚」をはじめ、書いた4編すべてにアンデルセンの童話を重ねるという試みをしていて、「星に願いを」は『マッチ売りの少女』をモチーフにしたんですけど、あの話って、すごく悲劇的な印象がありません? 私自身、記憶していたのは「マッチを買ってもらえなかった少女が、最終的に凍えて路上で死んでしまう」という……。

――まさに“かわいそう”なお話ですよね。

小川 でも読み返してみたら、確かに死んだ彼女を見て道行く人はかわいそうだと思うんだけど、彼女がどれほど美しい景色を昨晩見たのか誰も知らないのだ、みたいな終わり方をしていて、印象ががらっと変わったんですよね。はたから見てどれほどかわいそうな状況だったとしても彼女にとってはそれだけじゃなかった、その気持ちにすごく寄り添った話なんだな、って。そこが、好きなんですよね。アンデルセンの童話はどれも、どんなに暗い話で皮肉な表現で描かれていたとしても、必ず子どもたちの視点に寄り添っている。過剰にかわいそうがることもなければ、美化することもない。だから私も、この物語を描く上で、小説においても映画においても、花や晴海、「星の子の家」で暮らす子どもたち自身が何を感じているかを、徹底して考えるようにしていました。