本屋がなくなった街に、再び本屋を作る。東京・江戸川区の「平井の本棚」は街のアイデンティティが感じられる場所

文芸・カルチャー

更新日:2022/3/28

平井の本棚

 街中の書店が減少の一途をたどる中、コロナ禍やオンライン販売が影響し、さらなる衰退が進んでいる……。そんな状況下で、書店という販売スタイルを活かしつつも、新たな場所へと変化させて、「本を売る場所」のみにとどまらず、コミュニティの機能を活性化している書店が各地にあることをご存じだろうか。

 今回は、東京の江戸川区平井、駅前商店街で営まれている「平井の本棚」を訪ねてみた。駅の目前にあるビルには、本屋・イベントスペースを備え、ここでは本を買い、読書会やトークを楽しむことができる。さらに会員制の多拠点居住サービス「ADDress」を上階に誘致し、本屋の上で滞在し、銭湯や飲み屋が沢山ある“普段着の街”で生活してみる、そんな体験も可能だ。それにしても、一体なぜこのような店構えをしているのだろうか。訪れる者に好奇心と楽しみをうながす平井のオアシスは、オーナーである津守恵子(つもりけいこ)さんによる、とある試みをきっかけにして物語がはじまった。

(取材・文・写真=永見薫)

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本屋がほぼなくなった街で本屋は成り立つのか–「平井の本棚」は問いから始まった

 JR総武線の「平井」駅は、東京の東エリアにある、1日の乗降客数が約67,000人の、東京23区内で見れば比較的小さな駅だ。数駅先に進めば千葉県が見えてくる。

「平井に来たことがあります?」と開口一番尋ねるのはオーナーの津守恵子(つもりけいこ)さん。平井生まれの平井育ち、この土地のことを見守ってきた人だ。

「友人が住んでいたので、たまたま降りたことがある」と答えたけれど、街のことは今ひとつよくわかっていない。おそらく多くの人がそんな印象を持っているのではないだろうか。

「ここは荒川と旧中川に挟まれた島の形をしたエリア。乗り換えも観光地もなく、外の人がわざわざ降り立つことは少ない。暮らすことがメインの地味な街なんですよね」と、津守さん。

平井の本棚

 北口改札から徒歩1分、ホームも見えるほどの好立地にある小さな商店ビルの1階に、「平井の本棚」は店を構える。駅のロータリー周辺は、昔ながらの駅前商店街といった印象だ。それにしても書店経営の経験がなかったという彼女が、なぜこの地味な街で本屋を始めたのだろう。

「ここは、私の実家があった場所。父が不動産屋を営んでいたんですね。父が亡くなり店を畳んでからは、テナントをいれていたんですが、退去によって場所が空いた時に1ヶ月だけ古本市をやってみたんです。ちょっとした思いつきと好奇心(笑)」

 思いつきとはいえ、実家をどうにかしたいという想いが、津守さんの心のどこかにあったのかもしれない。

平井の本棚

「平井は、本屋がほぼ姿を消した街なんです。以前は数軒あった本屋もだんだんと閉店、とうとうチェーン店の古本屋もなくなった。もう本屋って求められていないのかな、本当にそんなものなのか?という思いが心のどこかにあって。それで試してみたくなったんです」

 ちょっとした好奇心とは言いつつも、けっこう壮大な好奇心のような気もするが……(笑)、かくして「本屋のなくなった街で、本屋を持続する」プロジェクトの火蓋は切られたのだった。

古本のラインナップから見える、街の面白さ

 1ヶ月限定で開いた古本市には様々な人が訪れ、想像以上に賑わいを見せた。店番も、知人を中心に交代制で担当してなんとか運営することができた。

「書店業界の知人たちから『やめとけ、本屋は大変だぞ』と言われたんですよ。そして古本市をやってみてわかったことは、“あれ、いま本ってこんなに読まれないのか、本当に大変だ”ってことだったんですね…。でもね、まあなんとかなるかも!と始めてしまったんです(笑)」

 屈託のない笑顔で話す津守さん。いや、でもちょっとそれは無謀じゃない?と話を聞き続けるも、
「そうですよね、無謀ですよねえ。実家がここになかったら本屋なんてやらなかったかも!」と笑う。

 心の底に大切にしたい本屋や実家、街への想いが眠っているのだろう。想いは多分にありながらも、終始軽やかで“好奇心”が第一の津守さんからは、不思議な魅力を感じる。

 いろんな方の教えと支えを得ながら、2018年7月に「平井の本棚」はなんとかオープンした。とはいえ “店を続けること”はそう簡単ではない。開店後も模索は続いた。

平井の本棚

“より面白く、街の人にとって魅力的な本屋であるためには?”――自身の持つ書店や出版とのネットワークを生かし、2階で「本の作り手と読む読書会」など、本にまつわるトークイベントなどを実施し、本を売るだけでない個性に富んだ本屋へと徐々に変容していく。

「周囲は、いまもハラハラしっぱなしですね。ずっとヨタヨタとしていて、こんなに多くの人に心配される店はないんじゃないかと思います。書店経験のある方が運営に入ってくれ、古本を流通する古書組合にも加入し、さあこれから!という時にその方が引っ越してしまったり、さらにはコロナ禍が重なったり…。いろんな波がザプンザプンとやってきます」

 こうした荒波も、店がどんどんと変容していく要素なのだろう。

平井の本棚

平井の本棚

 本の買い取り持ち込みで訪れる客は主に平井の街に住む人が多いが、ここには多くの出会いがあるそうだ。

「買い取りでいらっしゃる高齢の方がお持ちになる本が、これまた本当に面白くて。例えば貸本屋というのが昔はあったんですけど、そこで貸し出されていた漫画や様々なジャンルの本がやってきます。それが店頭で売れるかどうかは別なんですが……(笑)こうしたラインナップがまたこの本屋の個性を作ってくれる。街の古本屋ならではだと感じますよね」

平井の本棚

 そして「平井の本棚」が面白いのは、“単に本を売る場所”というだけではないところ。

「お客さまと言葉を交わすなかで、ぐっと心を打たれることが多々あります。染物職人の方が展覧会のカタログを沢山お持ちになり、美しいものを丹念に見つめながら、ご自身の仕事につなげてお話をされたり、またある日は、工事現場で働く方が、仕事終わりに眺める朝焼けの美しさについて、写真集を眺めながらお話されたり…。生活に根差した本にまつわるお話は、とても興味深くてハッとすることが多いです。遺品整理としての本の買取に関わることも多いので、亡くなった方との思い出話をお聞きして、ある種のグリーフケアを担うことも。もっと商売に徹しないとダメだというのはわかっているのですが……」

 津守さんのついつい話しかけたくなる懐が深い人柄も、訪れる人にとっての栄養になっているのだろう。そして彼女が「無謀でしょ」と言いつつも本屋を開いたのは、人々にとってのオアシスでありたいから、というのが本当の想いなのかもしれない。

私は仕組みを作るだけ、店をやりたい人に店をまかせたい

 2021年の6月、「平井の本棚」には大きな変化が訪れた。田中智大(たなかともひろ)さんが店の運営を全面的に担うことになったのだ。

 津守さんが店の担い手を探していたところに、書店を退職して「この先をどうしようか」と思案していた田中さん。偶然が重なる形の出来事だった。本屋の先輩、駒込の「BOOKS青いカバ」の店主が、ふたりをつないでくれたのだ。

「いつか自分で本屋をやってみたいという気持ちがあったけど、そのきっかけをもらえたと思っている。ここに場所があり、これまでの営みがある中で、自分の描く本屋の姿を作ることができるのはとても面白い」と話す田中さん。

 以前ご紹介した『小鳥書房』の落合さんのように、若い世代でも本屋の営みに挑戦したいと思う人はまだまだいる、ということが感じられる。

 田中さんが店を担うようになってからは店の品ぞろえが大きく変化した。“街の人が持ち寄る本屋というカラーに、彼が得意とする漫画やアニメ、サブカルチャーやアートのジャンルを加え、本の割合や棚の並びにも動きが出てきた。また、古書組合を積極的に活用。古書組合は、組合内で各書店の古書をトレードできることから、本を風化させずに互いによい流れを生むことができる仕組みである。こうして本を循環させていくことで、本棚の“鮮度”を保とうとしている。

平井の本棚

 それだけではない。著名なアニメーター、執筆者のトークイベントや、展示なども連動できるようになったのは、元・大手書店員時代の縁を大事にしてきた田中さんの誠実さゆえ。そのひたむきな熱意にほだされ、応援する人も多いからなのだろう。

平井の本棚

平井の本棚

「実は、本屋になることをあきらめて一度就職したんですが、ずっと悶々としていた。そんな時に声をかけてもらい、今の店に飛び込んでみたけれど、“圧倒的に経験値が足りない!”と痛感する日々です。いまは、とにかく勉強あるのみ。平井に引っ越して自宅も本の倉庫化、まさに本に囲まれて寝起きしている(笑)。でも朝目覚めて、“あ、俺本屋になったんだ!”と嬉しくなって飛び起きちゃうことがあります」

 とはいえ、課題もある。田中さんが得意とするアート、漫画など個性の強いラインナップへと舵を切りつつあり、そうすると街の人が求める、“普段使いの本屋”への期待から離れてしまう点だ。“新しいことも取り入れつつ、街の本屋としての良さを残す”、その塩梅を探し求めて、津守さんと田中さんの実験は続いている。

本屋であり続けるために、街の面白さを発見・発信していく

 現在、本の仕入れや販売といった運営面は田中さんに委ね、津守さんは2階のイベントスペースで行うトークイベントや展示・企画などに注力している。

平井の本棚

「私はオーナーとして、運営者の田中さんをサポートする立場。とはいえ、何の変哲もない街の本屋が何事もなく続けていければいいんですけど、なかなか難しい。立ち寄ってもらうためには、きっかけが必要です。街の人はもとより、この街に訪れてもらう機会を作ることで、本屋を持続していく。そのためには人が立ち寄り交流できるような“ハブ”を作れないかと模索しています。そうしたことが、今の私の役割です」

平井の本棚

 2階のイベントスペースでは、書籍の著者や編集者などを招いた企画や展示などをしてきたが、今後は新たな取り組みとして先輩書店が集う「古本市」を開催する。また、近隣の障がい者施設や小学校と協働したアートマネジメントなども実施。このように訪れる人、関わる人の幅も多様になってきている。もちろんイベント時には連動して新刊書籍の販売や関連フェアを実施し、連動性を持たせている。コロナ禍になり、対面のイベントが難しくなってからはオンライン化しての配信やコンテンツ販売にも挑戦。こうした軽やかな行動力によって、人々が“街の本屋”へアクセスしやすくなるのは、利用者にとって嬉しいことだ。

平井の本棚

「また来てくださいね」――お茶菓子を手土産にもらい、津守さんと田中さんから笑顔で見送ってもらう。平井のことを知りたくなったら、「平井の本棚」へ訪れよう。ここは、街の歴史と個性が眠る、街の相談所なのだから。

<イベント>
平井のはみだし古本市(同時開催:古書はなうた堂〜山川直人原画展)
会期:4月9日〜4月17日
営業時間:13:00〜19:00
会場:平井の本棚2階 イベントスペース
入場:無料
HP:https://hirai-shelf.tokyo/events/
問い合わせ:hirai.shelf.net@gmail.com / TEL:03-6661-8055

<Shop info>
店名:平井の本棚
住所:東京都江戸川区平井5-15-10
連絡先:03–6661-8055
営業日:13:00~19:00
定休日:HPをご確認ください
HP:https://hirai-shelf.tokyo/
Twitter:https://twitter.com/hirai_hondana

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