注意! “幸福でなければいけない”病に取り憑かれる人々

マンガ

公開日:2013/2/10

 「幸せになりたい」。家族や友達にだって「幸せになって欲しい」。それは誰もが願うこと。しかし、みんなが幸福でなければならない世界だったら、一体どうなってしまうのだろうか?

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1月16日に発売された『こちら、幸福安心委員会です。』(うたたP:著、鳥居 羊:著/PHP研究所)は、もともとボカロの楽曲だったものをノベル化したもので、幸福であることが義務であるという世界を描いたSF作品になっている。だから、この世界では働いたり、税金を納めたり、子どもに教育を受けさせるのと同じように、人々が幸福でなければならない。学校でも「幸せじゃないと怒られるよ」なんて言われちゃう世界なのだ。

 そして、何かしらに不平不満を持っている人たちは人々の幸福と安心を守るために働く「幸福安心委員会」に捕まえられ、毎日決まった時間に行われる幸福な自由処刑によって殺される。「絞首、斬首、銃殺、釜ゆで、溺死、電気、火あぶり、生き埋め、薬殺、石打ち、鋸、はりつけ」の中から自分で好きな方法を選び、あちこちに設置された公営スクリーンに映し出された状態で笑いながら死んでいく。

 この世界では少しの不平不満も感じてはいけないので、たとえば毎朝満員電車でもみくちゃにされても、子どもが言うことをきかなくても、イライラしてはいけない。それに、一生懸命練習してきた試合や勝負でも、敗けて悔しがることは許されないのだ。だから、できることはせいぜい笑って敵におめでとうと言うことくらい。まるで人形か何かのように、いつも幸福そうな笑顔でいなければならないのだ。

 もしも幸福でない人がいれば幸福安心委員会のメンバーに知らせなければならないし、幸福でないことは犯罪になる。1人でこっそり泣いているところを見られようものなら不幸の兆候として扱われ、下手をしたら処刑されてしまうのだ。おまけに、交通事故ではねられた人も元の幸福な身体に戻れないなら安楽死させられる。幸福でなければ、生きてなどいけないと思っているのだ。

 本当にこんな世界があったら、とても恐ろしいことになりそう。でも、実は現実世界においてみなさんも知らず知らずのうちに“幸せでなければいけない”病にかかっているかもしれないのだ。たとえば、FacebookなどのSNSに何か書き込みをするとき、友だちに「いいね!」してもらうためだけに何枚も写真をアップしたりしていないだろうか。顔見知り程度の人にも友だち申請してその多さに安心し、「素敵な友達がいて毎日充実していて幸せ」という幸せ自慢めいた書き込みをする。「支えてくれるみんなのおかげ」とやたら周囲の人に感謝することで自分の幸せを確認する……。心当たりはないだろうか。

 また、仕事で顧客にどれだけ無理難題をふっかけられても決して笑顔を絶やさない。誰かがミスしても、必要以上に「大丈夫、大丈夫」と声をかける。自分ではよかれと思って励ましているつもりでも、逆に相手にはプレッシャーになっていることに気づかない。上司や親、先生にどんなに理不尽なことで叱られても「これは自分を思って言ってくれているんだ」「それだけ期待してくれているんだ」とやたらポジティブに解釈しようとしたりする。そんなふうに常に明るく「ポジティブでなければならない」という思いはやがて強迫観念となり、それによって追い詰められ、自分だけでなく周りの人が欝になるケースまであるという。

 怒りも悲しみもない世界はこの上なく幸せな気もするが、本当にそうなのだろうか? 実際には、ケンカしてもお互いに不満をぶつけあったおかげでスッキリし、前よりもっと仲良くなれることだってある。失恋して泣いたからこそ気持ちを切り替えて新しい恋に進めるし、負けた悔しさを味わったことでそれをバネにして成長できることも。その時はたしかに不幸だと感じるかもしれないが、そういうことを乗り越えていくからこそ、より幸せを噛み締められるのだ。無理やり笑って、不平不満もなかったことにして毎日を過ごすことが、はたして幸せとよべるのか。人の死も悲しめないような世界の方が、よっぽど不幸な気がする。幸せなことは確かにいいことだが、無理して幸せである必要はないのだ。くれぐれも“幸福”であること。“幸福”になることにとらわれすぎて、日常の中にある小さな幸せや大切なことを見失ってしまわないようにしてほしい。