「母親に嫌われた」子どもの心のうちとは?

出産・子育て

2013/4/3

 「心臓が、なんどもぎゅうっとなった。」――糸井重里がこう感想を寄せているコミックエッセイが、いま静かな話題を呼んでいる。

 『母さんがどんなに僕が嫌いでも』(エンターブレイン)は、人気ブログ「【漫画】♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です。」でも知られるマンガ家・歌川たいじが「デビュー以来ずっと描くことができなかった」という母親との関係に向き合った実録マンガ。発売前からAmazonでは予約が殺到し、発売から約1ヵ月経ったいまは「ここ数年では間違いなくいちばんの、忘れられない作品」「読むと切なさと、悲しみで、胸がずずーんと詰まった」と、レビューにも感動の輪が広がっている。

 物語は幼少期からはじまる。東京の下町の町工場を経営する父親と、美人で、人を惹きつけるカリスマ性を身につけた母親のあいだに生まれた著者。しかし、夫婦仲は思わしくなく、ふたりともまだ幼い著者を邪険に扱い、見かねた工場の人びとが世話を焼いてくれる状態だった。学校では太っていたことを原因にいじめられ、「いじめから守ってくれようとする大人はほとんどいなかったし」「わかってくれようとする大人もあまりいませんでした」という日々。さらに、9歳のときには、母親に「からだが弱い子どもが健康になるための施設」に入所させられてしまう。

 そんな寂しさと不安の淵に立った彼に手をさしのべたのは、著者が「ばあちゃん」と呼んでいた、工場で働く年配の女性。入所させないよう母親に掛けあい、著者が母親のためを思って入所を決意した後も、「たいちゃんはなんにも悪くないんだからね」と気遣うばあちゃん。そして、別れのときには、四角いクッキーの缶を著者に手渡す。中に入っていたのは、ばあちゃん宛に宛名書きされた官製はがき。「たいちゃんはひとりじゃないからね。いやなことや困ったことがあったら、書いてポストに入れてね」。そう書かれた手紙と一緒に。……彼のそばに、ばあちゃんがいてよかった。この本を読む読者は、誰もがきっとそう思うはずだ。同時に、いま、著者のような境遇に立たされている子どもたちのまわりに、ばあちゃんのような“心の傷に気づく”大人がどれだけいるのだろうかと。

 だが、施設から戻ったあとも、母親のネグレクトは激しさを増していく。17歳で家を飛び出し、食肉市場で働くことで母親からは逃れるが、ときとして、母から暴力を受けた「記憶の中にある最悪の時間」に引き戻されてしまう。それでも、彼を先に導くのは、ばあちゃんや打ち解けた友人といった、人との出会いと言葉だ。

 相手の心を無視して傷つける人がいる。それでも、その一方では、心に寄り添い、自分では気づけなかったことを教えてくれる人がいる。何よりも胸を打たれるのは、そうした人との出会いを無駄にせず、どんなにつらいなかでも自分から目をそらさず、歩む道を切り拓いていく著者の姿だ。

 「親に変わってほしいならば まず自分が変われ 子どもが変われば 親も絶対変わる」。友人から言われたこのひとことは、しかし、実践するのはとても難しいものだろう。親というのは無条件に子どもを守るべき立場だ。にも関わらず、理不尽な暴力や無関心に、著者はただひたすらに耐えてきた。虐待を受けてきた人にとっては、許すどころか、「自分から変わる」なんて到底受け入れがたい話のはず。それでも、著者は苦しみながらも母親に歩み寄る。そして、母親もまた、心に闇を抱えるひとりの人間であることを知っていくのだ。

 「母さんがどんなに僕を嫌いでも 僕は生きていく」と決意した少年が、大人になり、最後に母親とどのように対峙するのか。親との関係に悩む人に限らず、子どもも、大人も、すべての人にぜひ手にとってもらいたい1冊だ。