震災のせいではなかった? 丸岡いずみが語る「うつ」の理由

健康

更新日:2013/10/2

 「10~15人に1人が生涯に経験する」とも言われているうつ病。仕事や学校をうつ病で休む人は少なくなく、「特別な病」という認識は薄れている。しかし、実際にうつ病の患者がどういった苦しみを体験しているのかは、意外と知られていないのではないだろうか。うつ病特有の無気力感や苦しさを『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』(主婦と生活社)で赤裸々に綴ったのが、元日本テレビのキャスター丸岡いずみだ。

 情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』で、宮根誠司との軽妙なやりとりで人気を博し、年齢を感じさせない美貌ゆえに「奇跡の38歳」と騒がれた丸岡。もとは北海道文化放送という地方局の女性アナウンサーだったが、日本テレビに転職し、報道記者を経て、同局の看板番組『news every.』のメインキャスターに抜てきされるなど、順風満帆なキャリアを積んでいた。

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 よく寝てよく食べ、「快活」という言葉がふわさしいほどのさっぱりした性格だったという丸岡だが、東日本大震災をきっかけに“眠れず食べられない”日々が続くように。マイナスの変化は仕事にも影響し、「いつもだったらスラスラ出てくる言葉が途切れ途切れに」なり、「キャスターになって初めて、原稿に出てくる“山”や“川”などのような、小学生でも読めるような簡単な漢字にさえ全部ふりがなを振りました」と、自分が自分でなくなるような感覚に襲われる。本番中にとんでもない発言をしてしまう可能性や、速報に対応できない状況を見越し、ひとり逃げるように東京から地元徳島へ戻り、静養することに。

 静養と同時に相性のいい担当医と出会うものの、大学院で「認知行動療法」を学んでいた丸岡は、「薬なんかに頼らなくても大丈夫」と処方された薬を一切飲まずに自力で治すと決意。しかしそれが裏目に出て症状は悪化。眠れず食べられない状況が続いているので、2階の自室まで尻で這っていかねばならないとほど体力が落ちていく。

 精神的にもネガティブのスパイラルに陥り、懸命に支えてくる母親に対しても「お母さんにヒ素を盛られた!」といった被害妄想に囚われたり、父親のベルトを見ているだけで「首をつったらラクだろうな」と思うほど追いつめられていたという。とうとう、「エサを求めるコイ」のように口がパクパクと動く過換気症候群を起こし、精神科に運び込まれ入院することに。

 入院によって強制的に薬を飲むようになった丸岡は劇的に回復し、映画コメンテーターの有村昆と交際をスタートさせ、結婚。日本テレビを退社し、「主婦」として穏やかな生活を送ることを選ぶ。

 本書の中で、丸岡はうつ病になった原因について、「他人から、“順風満帆な思い通りの人生を歩んでいる人”と、羨望の眼差しで見られることを、かなり意識していた」「地方から出てきて、階段を駆け上がっていくラッキーガール。そんなイメージの“丸岡いずみ像”を壊さないように頑張ってきた」と赤裸々に告白。他人の目を気にするあまり、自分の行動に制限がかかり、無自覚にストレスが蓄積。震災の取材がきっかけでうつ病になったという。

 丸岡の場合は“テレビに映る人”という特殊なケースだが、他人の目をきっかけに背伸びをして自分を押し殺す、というのは実は多くの人に当てはまることではないだろうか。丸岡は以前のライフスタイルを「“私らしい生き方”だったと十分納得しています。後悔はしていません」と話すが、「今は、他人から“幸せな人ね”と羨ましがられるより、自分が幸せと感じるほうを向いて歩いています」と、“自分の物差し”で生きることの大切さを語っている。

 「休むことも生きること」と話す丸岡。うつ病の苦しみから戻ってきた彼女の言葉は、日常に忙殺されて自分を見失いがちな人の心に響くのだろう。