大河がまさかのBL展開!? 黒田官兵衛の知られざる男色秘話

テレビ

公開日:2014/1/14

 今年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で取り上げられる黒田官兵衛は、“人は殺すよりも使え”という考えの冷徹で優秀な軍師だったそう。そして、岡田准一演じるこの官兵衛は、豊臣秀吉の側近として彼の天下統一に貢献。負け知らずの戦の天才として、秀吉だけでなく織田信長や徳川家康からも一目置かれていた。しかし、敬虔なクリスチャンでもあった彼は、側室も持たず、妻一筋の誠実な男だったと言われている。そんな黒田官兵衛にも、実は男色の逸話があるのだ。その逸話が紹介されているのは、12月7日に発売された『戦国武将と男色―知られざる「武家衆道」の盛衰史』(乃至政彦/洋泉社)。

 この本に登場する『陰徳太平記』によると、安芸毛利家の重臣である吉川家当主元長が亡くなったとき、誰が跡を継ぐのかの話し合いが行われたそう。元長には息子がいなかったが、2人の弟がいた。そのなかで、下の弟である経言を推すために家中の者が相談した相手が黒田官兵衛なのだ。「容貌美麗」な経言と黒田官兵衛は、「水魚雲龍の約」を結んでおり「裁袖余桃」の関係にあったそう。この「水魚雲龍の約」とは「水と魚」「雲と龍」のように切っても切れない関係を表しており、「裁袖」は「起きなければいけない用事ができたが、腕枕をしている男の愛人が起きるとかわいそうなので、袖を断ってそこを離れた」という中国の故事に由来する。同じく、「余桃」も「桃園で男の愛人が同じ桃を主君とともにかじりあった」という故事に由来している。この『陰徳太平記』は、作者である香川宣阿が元になった『陰徳記』を「自分の主観をもって書き換えた軍記」と書かれているので、実際に男色関係にあったかどうかは定かではない。しかし、これだけまわりに頼りにされていた官兵衛なら、そんな話のひとつやふたつあってもおかしくはないのかもしれない。

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 また、黒田官兵衛には長政という息子が1人いるのだが、彼にも男色の話がある。長政には、「寵童」として愛されたハツこと黒田美作という家士がいた。美作は官兵衛の養子となり、長政の弟分としてかわいがられていたのだが、これだけでは男色関係だったかどうかはわからない。しかし、贔屓されていたことは間違いないようで、それを快く思わない家臣もいたようだ。また、城井一族との退却戦で長政の鮮やかな猩々緋の陣羽織を代わりに羽織り、自ら「黒田吉兵衛長政なり」と名乗りながら敵兵に斬り込んで討ち死にした大野小弁という少年もいたらしい。

 さらに、大の女好きとして有名な豊臣秀吉にも、実は男色趣味があったという異聞がある。そのひとつは、彼の側近である石田三成が男色の寵愛を受けて出世したという『石田軍記』。でも、これは「家康公に楯突いた三成を非難し、人格を貶める内容」となっているので、史書と言うよりは文学作品に近いらしい。ふたつめは『陰徳太平記』。ここでは、秀吉に「男色美麗」に「耽る心」があったと書かれている。そして、みっつめが『太閤記』やさまざまなところで見られる、主君である織田信長の息子・信忠と肉体関係にあったというもの。だが、『太閤記』と言われる文献は数多く、代表的な『甫庵太閤記』や『川角太閤記』といった初期のものにそういう記録は見られないとのことなので、秀吉の男色話について断言できるだけの確かな史料はないようだ。

 なかには、伊達政宗と只野作十郎や片倉小十郎重綱のように、当時の書状や子孫の記録によって残っているものもあるが、やはり男色だと噂されるもののなかには、かわいがっていた程度で、後の二次史料によって男色像がつくられていったものもたくさんあるよう。でも、そう考えると、大昔から仲のいいイケメンを見て妄想を膨らませる腐女子のような人がいたということかもしれない。

文=小里樹