何のために働くのか? 社会・時代を映す鏡でもある池井戸潤の小説たち

文芸・カルチャー

2014/7/14

ドラマ『半沢直樹』から流行語大賞が飛び出し、4月クールは『ルーズヴェルト・ゲーム』『花咲舞が黙ってない』の2本立てと、いまやドラマ界は原作・池井戸潤ブーム。だが池井戸作品の映像化は90年代後半から多々なされ、そのたびに視聴者の心をつかんできた。痛快なエンターテインメント小説であるいっぽう、経済小説、企業小説と呼ばれているほど、社会や時代を映す鏡でもある池井戸作品。『ダ・ヴィンチ』8月号ではそんな池井戸潤を特集するとともに、作品から見た「日本」を振り返り、分析している。

――池井戸作品は、1998年『果つる底なき』からスタートした。時代はちょうどバブル景気が崩壊し、いまでいう“失われた20年”の真っ只中だった。

その前年には、野村證券損失補てん事件が公になり、山一證券が破綻、北海道拓殖銀行も破綻し、金融業界は一気に信用を失った。

その影響は計り知れず、デフレ期を迎えた日本の社会情勢に、マイナスの拍車を掛けていくことになる。

日銀は金利を低くして企業が融資を受けやすくするための、ゼロ金利政策を打ち出すも、一向に景気は回復しない。加えて銀行や企業による巨額損失事件、粉飾決算事件もあとを絶たず、モノは安いが給料は上がらず、所得が減り、派遣や非正規従業員が増えていた。しかも消費税は5%になり、中小企業はジリ貧で、多くの会社が倒産。人々の鬱憤はたまるばかりで、日本社会は暗中模索状態。不景気を絵に描いたような時代だった。

果つる底なき』『M1』『銀行狐』『銀行総務特命』『仇敵』など、池井戸作品はそれを象徴するかのように、銀行の不祥事や中小企業の悲しい現実を描き出している。

しかし、そこにあるのは悲壮感や苦しみだけではない。“人々の鬱憤を晴らす”かのように、小さき主人公たちが、巨悪に何度も立ち向かっている。しかも「半沢直樹」シリーズで中間管理職の半沢は、何度も危機に直面しながら債権をなんとか回収するが、読者は一緒になってハラハラ・ドキドキし、半沢の言動、行動に勇気づけられたのだ。

2009年からの池井戸作品は、企業が舞台になっているものが多いが、そこに描かれているのは、人の生き方であり、働くことの意味や情熱、精神性である。『鉄の骨』はゼネコンに勤める若手のサラリーマンを。『下町ロケット』では、もの作りに関わる中小企業の人々を。彼らは、それぞれの立場で、真摯に仕事と向き合い、ひたむきに自分を信じ、夢をみた。

そして2011年の東日本大震災を経験した日本は、お金を稼ぐだけが幸せではない、ということを身をもって知った。

2012年、安倍首相が打ち出したアベノミクスで、日本の景気は、少しずつ上向きになってきたという。今年4月、消費税が8%になり、4・5・6月と消費者の買い控えが目立っているが、『日本経済新聞』によると、今夏のボーナスの全産業の平均支給額は、13年夏比で5.92%増の81万8340円と6年ぶりに80万円台に回復するとか。

現在『小説すばる』に連載中の「陸王」に、こんなくだりがある。――「絶対に代わりがいないのは、モノじゃなくて、人なんだ」――仕事はお金を稼ぐだけではない。池井戸氏が作中で放つこの台詞を肝に銘じなければ、バブル、デフレ期を体感した日本に、未来はきっとない。

文=大久保寛子/ダ・ヴィンチ8月号 「池井戸潤」特集