日直、朝の会、ぞうきんがけ… その“学校あるある”って本当に必要?

社会

公開日:2014/7/28

 朝の会や帰りの会、ぞうきんがけや感想文など、学校ではなぜか当たり前になってしまっていることがたくさんある。しかし、それらは本当に必要なものなのだろうか?

 2月17日に発売された『学校珍百景「学校あるある」を問い直す』(塩崎義明/学事出版)から、学校では当たり前になっていたことに対する新たな気づきや、それへの改善策を紹介してみよう。

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 学校には、朝の会や帰りの会、あいさつ運動、職員室への入り方など、マニュアル化されたものがたくさんある。こんなふうに、さまざまなコミュニケーションがマニュアル化され、“学校のマクドナルド化”が起こっているようだ。元気に挨拶してくれて礼儀正しく見えても、マニュアル外の内容を話しかけられると煙たそうな顔をする店員のように、あいさつ運動をする教師もあいさつ以外に話すことがないからしつこくあいさつしているという人もいるはず。職員室に入るときは「○年△組の□□です。××先生に~の用があってまいりました」と言わなければ入れてもらえないし、そのハードルが教師と生徒の距離まで遠ざけてしまっている部分もある。

 また、読書感想文をはじめ、子どもたちはあらゆるものに対して「感想文」を書かされる。その背景には、先生たちの「評定に使いたいから」という下心があるよう。感想文は残すことができるので、評定について説明を求められたときに証拠にできる。でも、それでは子どもたちも「好評価につながりそうな言葉を羅列しただけの“ウソの感想”を書くだけ」になってしまう。小学生の頃から「人生、建前や体裁が大切です。がんばって取り繕いましょう」といった教え方をするのは、いかがなものか。何でもかんでも感想文を書かせるのではなく、1番大切なのは「豊かな題材を見つけること」なので、「どれだけ書けたか」を見張るのではなく、思わず感想を表現したくなるような「素敵な活動をあれこれと考えていく」ことに力を入れた方がいいよう。

 そして、形ばかりの健康観察もやる意味がない。高学年になればなるほど、「はい、元気です」と言いながらダルそうにしていたり、正直に言うのが恥ずかしくて「元気です」としか言えなくなっている子もいるよう。そこで、ある学級では班単位で呼ぶ方法を用いている。まず、子どもたちは班の仲間と声を合わせて「はい!」と挙手する。すると、教師は「○班!」と指名し、指名された班が事前に互いの健康状態を確認して「○○さんは風邪気味で、△△くんは足をけがしていて、その他全員元気です」といった感じで先生に伝える。最後に、教師が班全員の表情を見ながら、子どもたちの発言で気になる点を個別に質問するのだ。これなら、健康観察はもちろん、「班(小グループ)で活動する力、コミュニケーション力を養う」こともできる。

 子どもの頃に学校で当たり前だったことは、時代に合わせてどんどん形を変えていく。理由もわからず受け継がれてしまっていた“当たり前”たちは、徐々になくなっていくのかもしれない。

文=小里樹