山田悠介最新作! 豪雨が結びつけた2人の奇跡の物語

文芸・カルチャー

2014/12/6

「思い出はいつの日も雨」なんて歌詞があるように、大切な記憶も、悲しい記憶もすべて雨の中に眠っている。誰にとっても、天候によって思い出される出来事がある。若者に絶大な人気を誇る山田悠介氏の最新作『君がいる時はいつも雨』で描かれる世界も、舞台は雨の日だ。

山田悠介氏といえば、2001年に『リアル鬼ごっこ』でデビュー。『親指さがし』(2003年)や『パズル』(2004年)などが、映像化されたように、あらゆるホラーゲームをモチーフとし、そこに身を投じる少年を描く「ホラーの鬼才」として名高い。しかし、『その時までサヨナラ』(2008年)や『キリン』(2010年)などの作品では、人々に愛と絆について問うヒューマンストーリーを描き出し、読む者を切なさへと導いた。この最新作も、まるでゲリラ豪雨のように突然降る雨が降るたびに、不可思議な事件が発生する。若者を惹き付けてやまない共感のストーリーと、軽快な文体に、ページをめくる手を止めることができない。出会うべくして出会った少年たちのかけがえのない夏の日々に、若者はもちろんのこと、大人も胸にジーンと響くものを感じるに違いない。

主人公は小学6年生の坂本孝広。8年前の夏、事故で両親を亡くした彼は、共働きの叔父夫婦の元に身を寄せているが、未だに彼らと打ち解けることができない。毎日、本当の両親のことを思い出しては、寂しい日々を過ごしていた。夏休みは、部屋で一人ぽつり。その孤独を紛らわそうと、親友の陽介とともに大好きな野球に打ち込むが、そこへ謎の男の子が現れる。
「なんでそんな困ってるの? やっと会えたのにさあ」
「本当だよ? オイラお兄ちゃんのためにコドモランドから来たんだ」
孝平と名乗るその少年が現れると、いつも降る雨。一体彼は何者なのか?なぜ孝広の前に現れたのか?出会うはずのなかった少年との出会いが、孝広を少しずつ変えていく。

雨の日のたびに現れる少年はその存在も行動もすべてが不思議な存在だ。孝広と出会ったのが初めてという時も、その少年は既に孝広の名前も、家の場所も、何もかも知っていた。大雨が降るたびに現れ、孝広に「ア・ソ・ボ」とねだる。

ワガママで、自己中心的、うざったいけれども、何だか放っておけない。そんな少年の存在が、この物語から、ありありと浮かび上がってくる。こういう面倒な奴には手を焼かされるし、どうも目を離すことができないというのは、多くの人に経験があるのではないか。少年は、いつもどこからか傘を盗んでくる。孝広「盗みはダメだ」「謝らなきゃダメだ」とたしなめるが、少年はいうことを聞かない。野球好きな孝広のためだといって、少年がプラスチックのバッドとカラーボールを持ってきた時には、彼のバッティングに長く付き合わされることになり、「一緒に遊ぶ」というより、「良いように使われた」だけになってしまった。この少年はあまりにもヤンチャだ。だが、そう見えてしまうのは、叔父夫婦に迷惑をかけないように「良い子」になろうとする孝広に比べてしまうせいなのかもしれない。自分勝手な少年に振り回されるたびに、孝広は不満を募らせていく。

しかし、一人でぽつりと過ごしていた時、孝広は、喜びも悲しみも何も感じることはなく、ひたすら単調な日々を過ごしてきたのではないか。叔父夫婦が帰ってくれば、「良い子」になりきって、口数少なく過ごす日々。そんな時間に比べると、大雨のたびに会う少年との時間は濃厚で、かけがえのないもの。だが、孝広はそれに気が付くことができるのだろうか。何気ない毎日こそが、大切な思い出となるということを知っているのか。そして、この少年が何のために彼の前に現れたのか、その秘密を知ることができるだろうか。

「子どもは、素直で悩みもなく、楽しく毎日を過ごしている」なんて妄想を大人はいつから子どもに押しつけ始めるのだろうか。かつては自分たちも子どもだったはずなのに、なぜ大切な感情を忘れてしまうのだろうか。子どもの頃以上の悩みを抱え過ぎてしまったせいか。なんてもったいないのだろう。子どもだって何かに思い悩み、上手く自分の感情を吐露できなかったということ、子どもの痛みがわかっていれば、子どもにとって最高の理解者となりうるというのに、残念で極まりない。

子どもにとっては、友達との悔いのない時間を過ごす手がかりとなり、大人にとっては、子ども時代を思い出せる。そんな温かさがこの本の中にあるように思える。寂しさも、切なさも、苦しさも、楽しさも。子どもの頃感じた大切な感情すべてがギュッとつまっている。そう言ってしまったら、言い過ぎだろうか。忘れたくないもの、忘れるべきではないものが詰まった1冊。

文=アサトーミナミ

『君がいる時はいつも雨』(山田悠介/文芸社)