特集番外編2 2007年10月号

特集番外編2

公開日:2007/9/10

中島みゆき特集を終えて

今もときどき夢を見る。夢の中の僕は高校2年生。もう25年も前のことだ。当時の僕には7年間想いつづけた女の子がいた。初恋だった。彼女とは長らく“いい友達”ではあったが、同時に、友達より先に踏み込めない関係でもあった。踏み込むと失われてしまいそうで、それが怖くて、その場所にとどまっていた。よくある話だ。

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その年の秋、僕は“よくある話”からの脱却をもくろんだ。彼女を中島みゆきのコンサートに誘ったのだ。それまで、彼女も交えた複数の友人たちと映画を観に行ったり、遊びに行くことはあっても、ふたりきりで出かけることはなかった。実現すれば、初めてのデートになる。7年間変化のない僕たちの何かが変わるような気がした。「もし、チケットが2枚取れたら、一緒に行かない?」勇気と覚悟と期待と諦めが入り混じった思いで彼女に声をかけた。「行きたい行きたい」彼女の返事は予想以上に軽やかだった。

僕は何としてでもチケットを入手しなければならなくなった。とはいえ中島みゆきのチケットは入手困難だった。予約受付がスタートする日、授業を抜け出して公衆電話からひたすらダイヤルしつづけた。インターネットもケータイもない当時は、欲しいチケットを手に入れるためには、とにかくひたすら電話をかけつづけるしかなかった。ようやく繋がったときには既に完売になっていることなんかザラで、もう運を天に任せるしかなかった。しかし今回は、見事に取れた。それだけで奇跡だと思った。ガッツポーズをした。未来は明るいと信じた。

コンサート会場は名古屋だった。僕と彼女が住んでいる町からは、途中で急行列車に乗り換えても1時間以上かかる。田舎の高校生だった僕たちにとって、自分の力だけで辿り着くことができる限界の場所、ギリギリの境界だったように思う。世界の最果てを目指して、ふたりきりで旅に出る。そんなロマンチックな思いに、僕は勝手に酔った。

そして、コンサート当日、大きな台風が上陸した。

普通列車しか停まらない小さな木造の駅舎で、僕は彼女を待った。暴風雨の中、待てども待てども彼女は来ない。何とか運行されている列車の時間が迫ってくる。傘など意味をなさないほどの風雨の中、びしょ濡れになって彼女は現われた。「ごめん。台風で電車が止まるかもしれないから、行っちゃだめだってお母さんに言われて……」そう言う彼女の表情が思い出せないのはなぜだろう。「それでも僕は行くよ」と強く返したことははっきりと覚えている。僕はそれしか言えなかった。「雨の中ここまで来てくれてありがとう」とも「大丈夫だから一緒に行こう」とも言えなかった。17歳の自分には、相手の気持ちを気遣うだけの余裕もなく、大切な人を守り抜くという自信もなく、いざというときに困難を克服するための機転も経験もなかった。何ひとつ持っていなかった僕は、「ごめんね」と言うばかりの彼女を残して列車に乗った。とにかく悔しくて悔しくてしかたがなかった。列車の中では、ずっと中島みゆきを聴いていた。

コンサートが始まった後でも、乱れたダイヤの影響で遅れた客たちが頻繁に入ってくる。当然ながら僕の隣だけはずっと空席だった。最初のMCで中島みゆきは「こんな天候の中、来てくれてありがとね」と言った。僕だけにかけてくれた言葉のように思えて、ちょっとだけ泣いた。嵐の中で聴く中島みゆきの歌は、どこまでも静謐で、やさしかった。

コンサートが終わった。おそらく電車は動いていないだろう。今日は帰れないから、駅の構内で野宿でもするかとホールを出ると、そこには思いがけず満天の星が広がっていた。あっけにとられた。こんな綺麗な星空はなかなか見れないというくらい大気が澄みきっていた。台風一過の空気の底で僕はしばらく空を見上げていた。

彼女とは、その後も友達ではあったが、もうそれ以上にはならなかった。もし、あのとき、中島みゆきのコンサートに一緒に行っていたら……と何度も反芻したことがある。でも、今なら分かる。彼女への拙い思いは、たとえどのような道筋をたどっても成就することはなかっただろうと。その諦観と、そこから始まる新たな一歩の自覚は、30年近く中島みゆきを聴き続けてきて獲得したものなのかもしれない。

思えば、届かなかった初恋も、その後の恋も、いつも中島みゆきとともにあった。その言葉に教わり、その歌に支えられ、そのメロディに救われながら。

恋以外の人間関係の築き方も、生き方も、あきらめ方も、決してあきらめない方法も、中島みゆきの歌からたくさん教えてもらった。

“いつか、叶うならばいつか、みゆきさんに恩返ししたい”。僭越ながら持ちつづけていたそんな思いを、ほんの少しだけ叶えていただいたのが、今回の特集だったように思う。

みゆきさん、糸井さん、ヤマハの皆様、そして特集に協力してくださったたくさんの皆様、本当に本当にありがとうございました。

そして、これからも……。

平成19年9月3日(月)

ダ・ヴィンチ編集長 横里 隆