さざ波のように広がる小さな奇跡の連続! じんわりと心に効く小説『ペンギンのバタフライ』

文芸・カルチャー

2015/10/26

 「ああ、時間を戻せたら…」誰もがそう願ったことがあるのでは? 何かしら嫌なこと、困ったことが起こると、不可能だということは重々承知しているのに、条件反射的にこう思ってしまうのは、私ばかりではないはずだ。だからこそ世の中には、時間を戻して未来を変えてくれる物語が数多く存在するのではないだろうか。

 中山智幸氏の最新作『ペンギンのバタフライ』(PHP研究所)も、いわゆる「タイムスリップ」が引き起こす小さな奇跡が鎖のようにつながっていく物語だ。中山氏といえば2005年に『さりぎわの歩き方』で文學界新人賞を受賞、2008年には『空で歌う』で芥川賞候補にもなった、いわゆる純文学系作家の印象が強いけれど、本作ではがらりとイメージチェンジ。語り口もマイルドな大人のためのファンタジーに挑戦している。収録された5つのストーリーは、それぞれ1話で完結、一見短編小説集のような構成なのだが、鍵となるフレーズや登場人物が微妙に重なっており、まるで水面に広がる波紋のように、物語同士が緩やかに響き合いながらつながる仕掛けで、ついつい何度も読み返してしまう。

 5つの物語、そこに登場するのは、人生最悪の時を迎えた元サラリーマンや契約をもうすぐ切られる派遣社員、幼いころの苦い思い出が忘れられない学生など、何だかあんまりパッとしない人たちだ。自分の今の状況に「幸せ」を感じることができない平凡な小市民たちが、それぞれ「時」の歪みが生み出したような不思議な事件に巻き込まれて、閉じこもっていた自分の中から一歩前へ、外へと踏み出していく。現実にはありえないことばかりだけれど、読んでいるうちにじんわりと心がほぐされてほっこりと温かい気持ちになってくる、まるで柔らかな毛布のような、優しさに満ちた物語だ。

 最初の物語は、起こったばかりの不幸をどうしても受け入れられない主人公「佳祐」が、なんとしてでも過去を変えようとすることから始まる。妻の語った「坂を自転車で後ろ向きに走り降りれば過去に戻れる」というたわいない都市伝説を思い出し、一縷の望みをかけてそれを実行するのだ。すると…。物語の途中で語られる、ちょっと唐突な印象も否めない若かりしころの思い出が、実はこの第1話のフィナーレへの伏線になっているという、構成的にもなかなか凝った作品だ。ここに登場するモチーフは、物語全体のキーワードにもなっていて、程度の差こそあれ続く4つの物語のあちこちに顔を出し、ひとつ目の物語で起こった出来事がすべての始まりだったことを、そしてそれが全く異なる場所に住む、なんのつながりもない人の人生にもじわじわと影響を与えることを、さりげなくほのめかしている。

 何の気なしに生きている自分も、この物語のように、実は色々な人の生に知らないうちに影響を与えているのかも、すべての生はどこかでつながっているのかも…。そう思えば何の取り柄もない自分のことも、少しは肯定的に見ることができそうだ。ファンタジーだからこその癒し効果でほのぼのしつつ、ちょっぴり前向きな気持ちになれる一冊だ。

文=yuyakana