西洋と東洋の交わる国・トルコ。その貴重な研究記録を通じて考える「宗教」や「民族」、そして「言語」

海外

2016/3/15


『トルコのもう一つの顔(中公新書)』(小島剛一/中央公論社)

トルコに住む少数民族をめぐる冒険

 著者の小島剛一さんは、フランス在住の言語学者。ストラスブール大学での学生時代、トルコ語の方言を対象にした博士号を取得するため、フランスとトルコを行き来しているいうちに、トルコ国内の少数民族の言葉に関心を抱くようになったという。

 けれども当時、トルコの政府は「トルコ国民は全てトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言葉はトルコ国内に存在しない」という公式見解を持っていたことから、現地での調査には様々な困難が伴うことに。

 事実を述べるだけで、国家叛逆の罪に問われるという状況のなかを生きてきた人びと。なかには、「民族」としてのアイデンティティは保ちながらも、何世代にもわたる長期間、その「言語」を使用できなかったため、自らの「言語」を忘れてしまった人びとまでいたという。

トルコのもう一つの顔(中公新書)』(小島剛一/中央公論社)は、そのトルコにおける少数民族の言葉を調査・研究した際の貴重な記録だ。16年間にもわたる、確かな研究と経験の積み重ねに裏打ちされた事実が、ここにはみずみずしく綴られている。

複雑に絡まりあう「星雲」たち

 このトルコにおける少数民族たちの「言語」をめぐる冒険は、「言語」だけでなく、「宗教」「民族」「国家」という問題にも密接に、そして複雑に絡み合っている。そのひとつだけを抽出することはできないほどに。

 また、異なる「言語」や「宗教」、そして「民族」は、はっきりとした境界線が引けるようなものではない。それらはとても曖昧なもので、著者はその特徴を踏まえ「星雲」と呼んでいる。太古の昔から、その無数の「星雲」たちは戦い続けていた、というのだ。

 トルコという国はまるでモザイク画のように、様々な「星雲」たちが生活を営んでいる場所だ。だがトルコ語を話すトルコ人以外の多くの人びとは、「いるのにいないもの」と扱われ、「あるのにないもの」として扱われる。

 そのような状況の中から、まるで日本における「隠れキリシタン」のような「隠れ民族」などの人びとが、トルコの地では数多く暮らしているのだ。そして著者は、その「言語」の調査・研究をしていくなかで、そんな人びとに出会い言葉をかき集めていく。

故郷から疎外される人たちの「声」

 現地で言語の調査・研究を進めていくなかで、そこにある様々な思いと、その思いに感応する自らのこころの有様が本書では描き出されている。もう、25年も前に出版された本書だが、その記述された言葉たちは、まったく古びてはいない。

 もちろん、当時と現在のトルコでは、状況は大きく変わっているだろう。しかし、ここに刻印されている言葉たちは、読者をまるでその場に居合わせているような気持ちにさせる。登場人物たちの描写はそれほど行われているわけではないのに、ありありと情景が浮かんでくる。

 著者はトルコにおける「方言」の研究者としての立場を守り、そしてトルコ国内における政治は、できるだけ触らないようにしている。

 たとえ考えは違っていても、それを胸に秘めておく駆け引きなどには、読者は様々な感情を呼び起こされることだろう。そしてその葛藤は本書の後半で、ある方向へと傾きだしていく。

 百数十年前に、「故郷」から追われ逃げてきた人びと。代々引き継がれていく、その物語と故郷の風景。ただ、言葉以前の「声」に取り憑かれるように、著者はその歩みを進めていく。自らの言語を大っぴらに話すことのできない、少数民族の人びととの会話の痕跡が、その祈りと共に本書のなかにこだましている。

文=中川康雄