加藤紗里、「カノウ」との写真集発売で“流れ”を変えられるか?

芸能

公開日:2016/7/12

出典:加藤紗里オフィシャルブログより

 いきなりだが、野球ではよく「流れ」という言葉が使われる。

 投手のピッチング傾向から、打者のウィークポイント・捕手の二塁送球速度・ランナーの走塁タイム……まで、選手個々のデータが高校野球ですらコンマ数妙レベルで分析され尽くす今の時代、「流れ」とはまことにもって曖昧かつ前近代的で、半ば“神だのみ”に近い概念だと思われるが、野球、いや“すべての対戦型スポーツ”に「流れ」なるものは確実に存在する。

 たとえば、先日行われた、私が所属する草野球チームのとある公式戦。3-3の緊迫した展開で迎えた3回表の私らチームの攻撃。ノーアウト満塁の絶好のチャンスをキャッチャーフライ・三振・ピーゴロ……と0点で抑えられてしまう。その裏、私らチームは相手チームの先頭打者が放った平凡なサードゴローを痛恨のエラー。そこから大量失点、最終的には3-15という惨憺たる結果となった。2回の裏までは確実に私らチームにあった「流れ」をノー満0点で手離してしまい、エラーで相手チームに一気に持って行かれたわけだ。

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 さて。このcitrusではなかなかハネない野球の話はこれくらいでやめといて、今日の議題は「加藤紗里」である。東スポによると、“狩野英孝の恋人”として彗星のように現れたタレント・加藤紗里(25)が、ヌード写真集を出版することがわかった。しかも、撮影したのは同じ「カノウ」とは言っても元カレではなく、あの写真家・加納典明氏(74)。

 そのヌード写真集『加藤紗里×加納典明 加藤紗里写真集』(双葉社)は、そのタイトル名のとおり“過激ヌードの巨匠・加納氏とのコラボ”だけあって、相当に際どい“作品”が揃っているのだそう。東スポが極秘に写真集を入手したところ、こんな危なすぎる1カットを発見した……らしい。

 それは紫のパンティーに包まれたヒップを突き出したカットだ。女性器の部分に、なんともなまめかしく怪しい“物体”が写っているではないか!? これはいわゆるアソコなのか、それともただの影なのか、それとも加藤の指なのか? 本紙は“第三者の厳しい目”で精査したものの、いまいち判然としない。どこかで聞いたような結論だが、“不適切ではあるが違法ではない”といったところか?

「“第三者の厳しい目”で精査したものの、いまいち判然としない怪しい“物体”」の正体がなんであろうと、そこは別にどーだっていいのだが(笑)、私がここでむしろ注目したいのは「風評の変質」──この写真集発売のニュースを境に、(相変わらず「売名行為」などの批判こそ多いが)どうも加藤に対するバッシングの質がガラリと変わった気がしてならない……つまり、さっきの野球話で例えると、加藤紗里が「流れを一気に引き寄せた」のだ。

「流れが変わった」理由は、いくつかの推測を挙げることができる。

 まず、これまでみずからのスキャンダルをネタに、それこそ漁夫の利的にキャンキャンとピントのズレた不毛な発言を繰り返してきただけの加藤が、今回はヌードというかたちでキチンと“身を切っている”こと。

 そして、まだ私は現時点でこの写真集の表紙と、東スポが“第三者の厳しい目”で精査したカットを含む数点しか確認できていないのだが、これらの“ダイジェスト”から判断するかぎり、下手な没落気味の女性タレントの“キレイ”にベクトルを向けた中途半端なヌード写真集と比べ、キチンとエロい。おそらく、加納氏の過激な(良い意味での)下品さと、加藤の歌舞伎町あたりの場末の店で働くキャバ嬢的なはすっぱさが絶妙な化学反応を起こしたのだろう。

 あと、押しも押されもせぬ“ギョーカイの大御所”である「加納典明」を、久々に“ソノ気”にさせて“現役バリバリ”の場に呼び戻し、味方につけたことがなによりも大きい。撮影を終えた加納氏は、加藤のことをこう絶賛する。

面白い子。被写体としても一級品といえる個性ある子だ。(中略)当たって砕けろ的な突撃力はいささかマンガチックであるが、本人的にはヤル気十分なようで、決してただのおバカとは思えず、今は戦略することを知らず駆け抜けている感じだ。こういったパターンにハマらないひと味もふた味も変わった子が比べ物にはならないが壇蜜のような変身もあるわけで期待したい。公私をわきまえ、とりあえず思うままヤッてみろ、紗里!

 はたして、一念発起のヌード写真集発売が“最後の花火”となるのか、“ポスト壇蜜の布石”となるのか、さらにはコレをきっかけに今後「加藤紗里」の俗世間イメージがどっちの方向に転がっていくのか……その「流れ」が野次馬の立場としては少々見ものだったりする。

文=citrus 山田ゴメス