ビジネス書の女王がスナックのママに転身!? 和田裕美初小説『ママの人生』レビュー&出版イベントレポ

文芸・カルチャー

2016/10/31

 かつて花街だった四谷荒木町。今ではスナックやバーがひしめき合うネオン街となっているが、都心のど真ん中にある割には、妙に気安さ漂う店が多いのが特徴だ。

 その一角にあるスナックで、ビジネス書の女王、和田裕美氏の出版イベントが行われた。といっても、今回彼女が著したのは、ノウハウ本でもなければ、自己啓発本でもない。スナックで働く破天荒な母を、娘視点で描いた小説『ママの人生』(ポプラ社)だ。和田氏の処女小説となる本作品は、フィクションや比喩表現を織り交ぜながらも、少女時代から社会人になるまでの亡き母との思い出がふんだんに詰め込まれている。

 会場案内に記されていた雑居ビルの1階へ到着すると、「スナックシャレード」と書かれた電飾看板が煌々と光っていた。年季の入った木製のドアを開けると、そこは昭和のかほりがぷんぷんする大人のワンダーランド。5人ほど座れるカウンター席ではバーテンダーがシェイカーを振っており、なにやら占い師風の女性もいる。店の装飾はザ・スナックといわんばかりのベロア素材の赤絨毯と赤ソファ、奥には楽器類が置かれた生カラオケステージまである。チャイナドレスを着たチーママに席へと案内されたあと、しばらくすると白地に銀の花模様が散りばめられた艶やかな着物に身を包んだ裕美ママが登場した。「小説の中のママが働いていた店をそのまま実現したかったんです」と満面の笑顔だ。聞くと、バーテンダーも、占い師も、チーママも、編集者含む、全員ポプラ社関係者。お通しは裕美ママ特製の塩豚だ。

「今回の本はある意味、人生捨てる気で書きました。今まで積み上げてきたことがゼロになっても仕方ないという覚悟はあります。自分の人生に自分自身が飽きたくないですし、人にどう言われたって新しいことにチャレンジしたい。とはいえ、ゲラを読んでくれた人から賛否両論の否のほうをもらったときは本当に凹んで、人生どうなるんだろうと思いました。今ようやく立ち直ったところです」

 裕美ママといえば、その代名詞といえるのが「陽転思考」だ。常に二者択一の選択肢に絞り、プラスになるほうを選んでいく――日本ブリタニカ2年目に、世界142カ国中、営業売り上げNo.2となったその思考法や営業ノウハウを広め、累計200万冊の著書を売り上げている。これまで彼女の本は日経ウーマンを読むような、どちらかというとオフィス街の女性向けという印象が強かったが、今回の小説は、微動だにしないと思われていたその「和田ブランド」を、正拳瓦割りで自らぶったぎるような、そんな潔さを感じる。そうした境地に至った背景には、突然この世を去ってしまった亡き母への特別な思いがあるようだ。

「私の母は小説の中で描いたとおり、常識はずれのどうしようもない人で、今の時代でいうなら確かに毒母だったんです。なのに、誰一人悪口をいう人がいなかった。要は人間性の深さですよね。なぜ母が、ああも人に愛されたのかを今回の作品を描きながら、追求したいと思いました。優等生じゃなくて、正しいことをやっていなくて、世間から後ろ指さされることばかりしていたのに、人に愛された。父も結局、離婚しなかった。つまるところ、ルールに沿った生き方をすることが正しいのではなくて、きちんと人を愛すとか、その気持ちを最大限に表現するとか、そういう自由を求め続けられる人の魅力を伝えたいと思いました」

 裕美ママの言葉通り、本作品に描かれているのは、「ルール」でもなければ、「ノウハウ」でもない。女であり、男であり、家族であり、人生だ。同作品には、家族を捨てて日雇いで働いている男性との心の交流や、腋毛を剃るか剃らないかにおける母娘問答、父や母の愛人を毛嫌いする娘の葛藤もあれば、家族の死と再生についても描かれている。無論、ビジネスライクのときはあくまでビジネスライクに、人の私生活など見たくないというタイプの裕美ママファンの中には、陰毛やらタンポンやらの記述も出てくる今回の裕美ママのチャレンジが想定外すぎて、拒否反応を起こす人もいるかもしれない。けれど、人間というのは、そもそも多面性があるもの。それを受け入れられるほうが楽しいように思う。

「ルールでがんじがらめになりすぎていて、今という時代はすごく息苦しいですよね。何かあったらすぐに叩かれたり、炎上したりしてしまう。だから、若い人たちは出る杭になれないし、無難に生きようとせざるをえない。だからこそ、『ルールなんてやぶっちゃえ』『自由に生きよう』というメッセージを、この作品に込めました。すべての人が、すべての人の多種多様な人生を受け入れられたら楽ですよね」

 同書は、「ビジネス書」という枠だけではその思いを表現し尽くせなくなったビジネス書の女王が、突然かっちりスーツとハイヒールを脱いで、全身ヌードで髪を振り乱しながら「私が伝えたいのはこれ! 原点はここ!」と突進してくる風もある。

 その視線の先の先には、もしかするとビジネスパートナーでもなければ、読者でもない。亡き母だけがいるように思う。どんな死に方であれ、大切な人を突然失ったとき、遺された者の心には多くの「なぜ」が残るもの。それを消化するかのごとく、人は悩み、学び、そして、その後の生き方を選択する。同書は彼女の「陽転思考」の原点を知るに値する「これからも絶対自由に、強く生きていくんだ」という、亡き母への宣誓のように感じた。

文=山葵夕子